hiyamizu's blog

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森絵都『みかづき』を読む

2024年08月13日 | 読書2

 

森絵都著『みかづき』(集英社文庫も27-4、2018年11月25日集英社発行)

 

裏表紙にはこうある。

昭和36年。放課後の用務員室で子供たちに勉強を教えていた大島吾郎は、ある少女の母・千明に見込まれ、学習塾を開くことに。この決断が、何代にもわたる大島家の波瀾万丈の人生の幕開けとなる。二人は結婚し、娘も誕生。戦後のベビーブームや高度経済成長の時流に乗り、急速に塾は成長していくが……。本屋大賞で2位となり、中央公論文芸賞を受賞した心揺さぶる大河小説、ついに文庫化。

 

集英社 文芸ステーションの特集が詳しい。

文庫本だが600頁を越える大部。本屋大賞2位の力作。

 

戦後すぐから現代まで、塾経営に関わる親子三世代の物語。時代が移り変わって行く中で、学習塾・千葉進塾の変わっていく姿と、吾郎、千明、蘭、一郎と大島家の3代の民間教育への考え方の変遷と対立。

 

 

一軒家を借りて吾郎と千明が始めた塾は、受験競争を煽る受験屋と非難・軽蔑され、隠れて塾に通う時代を経て、大きく成長していく。時を経て、吾郎はあくまで補習、千明は進学と目的が乖離し、時代の要請を得て進学塾へ発展していく。

 

公教育への反発で強固な信念で突っ走る千明、用務員から塾講師となったカリスマ的教育者の吾郎。
千明の連れ子・蕗子(ふきこ)は公立学校の教師になる。2人の間の子供である、我が強く利己的な次女蘭は新形式の塾を創設し、三女菜々美はバンクーバーのグリンピースで活動する。さらに蕗子の子・一郎は長じて、塾へ通えない貧しい子共達の学びの場を作る。
いずれも両親の影響・母への反発の下で、それぞれが自分なりの考えで、教育に関する自分の考えを築いて行動し、大島家はバラバラとなり、拡大していくが……。

 

 

本書は、2016年9月、集英社より刊行。

初出:「小説すばる」2014年5月号~11月号、2015年2月号~9月号、2015年12月号~2016年4月号

 

森絵都の略歴と既読本リスト

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき、 最大は五つ星)

 

年寄りには大部過ぎるし、前半は人物が類型的で、ありがちな通俗的な話に留まっているので飽きる。しかし、後半にかけて、強気一方の内面暴露という常套手段にひっかかり、幾くたびか、感動してしまう場面があって、どうなるのかと引き込まれてしまった。数々の名言も光っていて、少々甘いが五つ星にせざるを得なかった。

 

次々と前政策を覆す新たな改革を打ち出す文部省の基で変化し続ける教育界の流れ。その中で吾郎と千明が各々目指した教育の流れ。そんな親を見て育った三姉妹、孫のホームドラマも楽しめた。

 

 

私は、自分で考えることはもちろん重要だが、学ぶこともやはり何と言っても必須で、重要だと思っている。しかし、オウムの事件で、成績優先の高等教育を受けた優秀な人物たちが、いかにも下劣な麻原彰晃にひっかってしまったという事実が、日本の教育の根本に、何か欠けるものがあることを示していると、今でも私の心の奥にうずく傷となっている。

 

 

以下、メモ

 

教育は、子どもをコントロールするためにあるんじゃない。不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ……。(統一最重視の体育系教師に突き付けたい言葉)

 

知は力であり、容易にコントロールされないために学ぶのだと、自分の頭で考える力を身につけてもらうために教えるのだと。

 

「常にしゃかりきに何かを追ってきた妻(千明)を、かって自分は永遠に満ちることのない三日月にたとえたことがある。……(妻は、)(教育は)常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない、と」(吾郎の言葉)

 

以上

 

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