絵といえばベタで申し訳ないが印象派の系譜が好きだ。マチスの「ダンス」も、長谷川等伯の「松林図屏風」も凄みを感じる好きな絵だが、すなおに良いなと思えるのは、難解でなく、ひどく通俗的でもなく、それぞれ個性的な印象派の人々の絵だ。
印象派に先立つマネ、特に後期のマネは、何気なく置いたかに見えるタッチの絵具跡が人の姿に見えたりする。簡単に見える練達の筆使いで、巧みさにほれぼれしてしまう。ピサロの絵も広い空と爽やかな風景が広がり、部屋に飾った写真もあきがこない。
しかし、誰が一番好きかと聞かれれば、その印象派の影響を強く受けたゴッホと言わざるを得ない。あの絵具をそのままキャンバスに絞り出したようなうねるタッチ、叫んでいるような激しい色使い。
そして、生前一枚しか絵が売れず、貧困と絶望の中で精神を病んで自死した生涯も心を搔き立てる。情熱がほとばしる絵が、激しい生きざまと共に凡庸な私の人生を波立たせてくれる。
私が初めてゴッホの本物を見たのは約20前、安田火災海上(現損保ジャパン)が約58億円で購入した「ひまわり」の絵で、ロープで仕切られた区域に厚いガラスケースに納まっていた。直後、ロンドン出張の空き時間にナショナルギャラリーでゴッホの違う「ひまわり」を見た。当時は地下のコンクリートむき出しの壁に、習作らしい何点かと一緒に無造作に並んでいて、富の蓄積の差を実感した。ゴッホの「ひまわり」は7点あり、習作を含めると10点以上あるという。
定年後、南仏の印象派の人々の足跡を訪ねるツアーに参加した。「アルルの跳ね橋」や「夜のカフェテラス」(いずれも複製)を見て、ゴッホが収容されたアルル市立病院中庭や、心を病んで入院していたサン・ポール・ド・モーゾール修道院を訪ねた。それらを描いた場所には彼の絵の模写が飾られていた。絵と同じ景色を見ていると、自分がゴッホになった気分になった。
アルル市立病院中庭
夜のカフェテラス(模造し営業中)
アルルの跳ね橋(1960年に移築したので洗濯場はない)
サン・ポール・ド・モーゾール修道院のオリーブ畑
置かれていたゴッホの絵の模写
ついでのゴッホの精神病棟病室の窓からの眺め
こんな環境で、ゴッホは1年間で150点以上の絵画を描いた。絵は生涯1点しか売れなかったというのに!