私が生意気盛りの20代の頃、こんな矛盾だらけで、窮屈な社会はこのまま続くはずがないし、行き詰まってひっくり返るに違いないし、そうしなければならないと思っていました。
また、私自身、40、50歳になれば考えも、生活もすべてが固まってしまっているだろうし、さらに60,70歳になったならば「はっきり言って人生もう終わったようなものじゃん」と思い込んでいたのです。
ところが、当時の若者の反抗も思いもかけない陰惨な結果で自滅し、世の中は、そして私の20代、30代も言い訳しながら平然とそのまま動いていきました。安月給で、二人だけの家庭を作り上げるのに、必死だったとも言えるでしょう。
さらに、40代、50代では、こんな思い通りにいかない仕事辞めてやると数年ごとに思いましたが、心配しながらどこまでもついて来てくれるだろう妻や、授かった子供を思い、踏み切れませんでした。いやそれ以前に、まあ経済的に見れば人並以上に恵まれている生活じゃないかと、新しい人生への勇気を持てず、結局、ただバタバタしているだけで流され、過ごしてしまいました。
気が付けば60代に入っていて、まあ肩の力を抜けば、悪い生活じゃないし、世の中そんなに急に変わるものじゃないと悟り、お得意のあきらめの境地になっていました。まさに、水から茹で上がってしまう、あきらめのカエル状態でした。
70代になっても、枯れた仙人の気持ちには程遠く、元気もないのにすれ違う美人を目で追ってしまうし、特に欲しい物もないのに宝くじに当たったらと妄想してしまうのです。一方で体力は確実に低下し、歩いていても、ながらスマホのハイヒールの若い女性にスイスイと追い抜かれ、細身だったのに下腹だけは出っ張ってズボンのウエストは際限なく拡大し、頭髪も白髪はあっというまに通り過ぎ、ヒヨヒヨから、テカテカに近づいているのです。あちこち問題も出てきて身体は確実に壊れ始めています。
しかし、心は、少なくとも一部にはまだ20代の頃のかけらを引きずっていて、昭和30年代、40年代のニュース映像などを見ると、一瞬、若い時代に戻っている自分に気づき、一人恥ずかしく思うのです。出来ることはほとんどないくせに、社会に貢献していないことへ心苦しさを感じ、いくつかの社会活動団体へ申し訳程度の少額の寄付をしたり、これぞと思うネット請願に一票を投じたりする程度のいじましいことして、言い訳しています。
80代に入った現在、親しい友人が一人二人と亡くなったりするなか、自分も身体が不自由になることへの不安が心の底に澱んでいます。一方では、まだ何か一つぐらいは社会と関りを持ちたいし、その能力は少しだけなら残っているはずとの未練もあります。しかし、年々ともかくここまで来たのだから後は流れに任せるほかないと、諦めがようやく優位になりつつあります。
過去を振り返れば後悔することが多く、私の人生、けして充実していたとは言えません。あそこで、ああすればなどと思ったらきりがありません。そして、「平凡」じゃあ、私が生きている価値がないと嫌っていた若かった私も、結局、多くの同世代の皆さんと同じような人生になってしまいました。それでも、その結果としての現在の、のんびり過ごす老後には大きな不満はありません。
会社で出世したわけでもないのに、ちょうど日本経済の発展期だったので、老後も過度に心配しなければまあなんとかなるだろうと思えます。考えようによっては、嫌なことはやらなくてよいのでストレスがなく、夫婦2人なんとか仲よくのんびり暮らせる現在がわが人生で一番幸せな時期なのだと思いますし、思うことにしています。
そんなとき、片意地張っていた20歳の私に、「老人になっても全部が終わってしまうわけでもないし、そう悪いものじゃないよ。自分がどれほどのものか、内心では分かっているだろう。まあそう突っ張らず、のんびり行こうぜ」と伝えたくなるのです。
さらに、「互いに心から信頼できそうな人を嫁さんにさえすれば、あとはなんとかなるさ」と。