コート・ダジュールからプロヴァンスを経て、今回は、アルルに近いサン・レミ・ド・プロヴァンスへ。
ドーデの短編小説集『風車小屋だより』に出てくる?)ドーデの風車小屋
この小説の中にでてくる「アルルの女」がもとになってあの戯曲ができたという。
遠くに、現代の風車、風力発電機が見える。
アルビーユの山の麓のローマの遺跡に寄った。
ひとつは霊廟。
もう一つは紀元前49年のマルセイユ降伏を記念する凱旋門。
レリーフなどもくっきりとして、保存状態が良い。
ゴッホが心を病んで入院していたサン・ポール・ド・モーゾール修道院。
修道院への道の途中にオリーブ畑があり、
例によって、ここで(?)ゴッホが描いた模写がかかげられていた。
ゴッホの病室(再現)は、
窓には鉄格子。
100年前の精神病院はもっともっと厳しいもので、ここは当時としては精神病の先端的治療を行っていたという。
でも、こんな環境で、ゴッホは1年間で150点以上の絵画を描いたのだ。聞くも涙だが、150点も描いたなら1点くらいなんとかもらえなかっただろうか。
当時使っていた風呂。
禁欲生活で知られるセナンク修道院。
ここは、写真手前のラベンダー畑でも有名だ。
現在も祈りと労働だけの生活をおくる修道僧がいる。スターウォーズのジュダイのようなマントを翻した修道僧を見かけた。
教会も飾りはいっさいなく、清楚ですがすがしい。
食堂には窯があるが、このほかに暖房はもう一か所だけという。
しかし、回廊は美しい。
運営事項はすべて会議で民主的に決められた。
しかし、ここも、100年ほど(?)で、院長は別の場所で暮らすようになり、堕落が始まった。
もともと良家の次男坊で充分な教育を受けた僧と、貧しい家出身の高度な教育を受けていない僧など、階級はあり、ラベンダー畑で働くのは修道院で雇われた周辺の農民だったという。
次回は、フランスの美しい村で鷲巣村のゴルド、カミユの愛した美しい村ルールマラン。