田中慎弥著『完全犯罪の恋』(2020年10月26日講談社発行)を読んだ。
宣伝文句は以下。
「私の顔、見覚えありませんか」
突然現れたのは、初めて恋仲になった女性の娘だった。
芥川賞を受賞し上京したものの、変わらず華やかさのない生活を送る四十男である「田中」。編集者と待ち合わせていた新宿で、女子大生とおぼしき若い女性から声を掛けられる。「教えてください。どうして母と別れたんですか」
下関の高校で、自分ほど読書をする人間はいないと思っていた。その自意識をあっさり打ち破った才女・真木山緑に、田中は恋をした。ドストエフスキー、川端康成、三島由紀夫……。本の話を重ねながら進んでいく関係に夢中になった田中だったが……。
芥川賞受賞後ますます飛躍する田中慎弥が、過去と現在、下関と東京を往還しながら描く、初の恋愛小説。
「いい恋愛小説を一作は書きたい―『完全犯罪の恋』創作秘話」で著者・田中慎弥はこう語っている。」
……
懐かしいあの頃に戻ることが出来たなら、必ずあの人に思いを告げよう……これはもう人間として男として、下手をすると作家としてもおしまいである。
せっかくおしまいなのであれば、この情ないノスタルジーを、過去と現在の自分を対比させる形で小説に出来ないものか、と考えた。
……
ろくに恋愛も経験していない。どこかにモデルとなる美しい女性はいないものだろうか……
小松菜奈の顔を思い浮べていたのだと思う。……あの視線の先に何があるのかを確めたい。そこで起っていることを書き留めたい。
冒頭、これは主人公の作家の名前が田中だと言っても著者の体験談ではないとことわっている。
主人公の田中が東京に住む作家となっていて、何度か目が合った大学生らしい若い女性に声をかけると、「私じゃなくて、私の顔なんですけど、覚えていませんか?」と聞く。高校で付き合ったことのある真木山緑の娘で静だった。
静は、山口県下関で平成の最初の春に高校生だった田中と緑の間に起こった出来事を詳しく話して欲しいと強引に頼んでくる。
以下、静の質問に対する田中の答えと、20年程前の高校生の恋愛話が交互に展開される。高校時代、田中と緑、そして一学年上の森戸の間では恋愛もどきと、三島由紀夫、川端康成などの読書を巡るぶつかり合いがあったのだ。
初出:「群像」2020年4月号
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お勧め)(最大は五つ星)
3人の高校生の幼い恋愛もどきには面白味がない。三島由紀夫の死をめぐる議論も内容がない。なにせ高校生じゃあね。
あえて面白味を探すと、40歳半ばの田中が、かっての恋人の娘から追及を受けながら、20年前の高校時代を思い出すという構成だろう。ところどころに突然関係ない文を挿入して、跳んだ感じを出そうとしているのも芥川賞を意識しているようで微笑ましい。
大きめの字で、160頁足らずという薄さがいい。年取ると厚い本は、根気が続かないし、読み終わるまで寿命があるかどうか心配なので困る。
田中慎弥(たなか・しんや)
1972年山口県生まれ。山口県立下関中央工業高校卒。
2005年「冷たい水の羊」で新潮新人賞受賞
2008年「蛹」で川端康成文学賞受賞、「蛹」を収録した『切れた鎖』で三島由紀夫賞受賞
2012年「共食い」で芥川賞受賞
2019年『ひよこ太陽』で泉鏡花文学賞受賞
その他、『図書準備室』『神様のいない日本シリーズ』『犬と鴉』『実験』『燃える家』『宰相A』『地に這うものの記録』