hiyamizu's blog

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大竹昭子『須賀敦子の旅路』を読む

2018年08月03日 | 読書2

 

大竹昭子著『須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京』(文春文庫お74-1、2018年3月10日文藝春秋発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

須賀敦子没後20年。親交の深かった著者が、ミラノ、ヴェネツィア、ローマと須賀の足跡をたどり、その起伏ある人生と作品の背景を探る。そして、初めて解き明かされる、帰国後『ミラノ 霧の風景』刊行までの東京における「空白の20年」。初めて読む人にも再読したい人にも最良の案内となる、清新な須賀敦子論。 解説・福岡伸一

 

内容紹介は、さすがの福岡伸一さんにおまかせしよう。

61歳で初の著作『ミラノ 霧の風景』を刊行し、衝撃のデビューを飾った須賀敦子。その8年後に世を去り、残された作品は数少ないが、その人気は衰えることなく、読者に愛されつづけている。2018年は、須賀の没後20年。その記念すべき年に、生前親交の深かった著者が、ミラノ、ヴェネツィア、ローマと須賀の足跡をたどり執筆したシリーズを加筆改稿し、新たに「東京」篇を書き下ろした。『コルシア書店の仲間たち』刊行直後に行なわれた須賀へのロングインタビューも初所収となる。
夫と暮らし、コルシア書店に通ったミラノ。夫を亡くした傷心を慰めてくれたヴェネツィア。晩年、ハドリアヌス帝の跡をたどったローマ。帰国後、『ミラノ 霧の風景』を書くまでの東京における「空白の20年」。須賀敦子の起伏ある人生をたどり、その作品の核心に迫る意欲作。
「この本の白眉はなんといっても書き下ろしの「東京」篇ということになる。〈略〉夫を失い、日本に帰国してから作家・須賀敦子が現れるまでに実に20年近い時間が経過しているのだ。この空白の20年にいったい何がどのようにして満ちていったのか。その謎が解き明かされる」(福岡伸一氏「解説」より)

 

 

本書は、『須賀敦子のミラノ』『須賀敦子のヴェネツィア』『須賀敦子のローマ』(すべて河出書房新社)を加筆改稿し、新たに「東京」を書き下ろした。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

とくに「東京編」では端正で美しい文章、冷静でかつ温かい人を見る目を持つ、謎の須賀敦子の実像の一端を知ることができる。福岡さんの解説も、口絵の写真も見事だ。

前半のミラノ・ヴェネツィア・ローマの須賀の足跡を訪ねる紀行文も、多少くどいが、濃厚に描けている。著者の須賀敦子に対する尊敬、愛おしさがにじみ出て、よく勉強していることがわかる。

 

 

目次

口絵のミラノ・ヴェネツィア・ローマの著者による14枚の写真が素晴らしい。

はじめに

ミラノ
電車道/ムジェッロ街の家/コルシア書店の日々/ボンピアーニ一族/ナヴィリオの環/三ツ橋のむこう側/墓参りの日曜日/ミラノ最後の年

ヴェネツィア
島へ/橋づくし、小路めぐり/ゲット・ツアー/ザッテレの河岸/リド島のひと夏/ラグーナを渡って/ヴェネツィアの友人/陸地へ

ローマ
アヴェンティーノの丘/カンポ・マルツィ オ彷徨/サン・ピエトロの聖霊降誕祭/マ ルグッタ街五十一番地/ギンズブルグの家/聖天使城へ/皇帝の夢の跡/ノマッドのように


東京
空白の二十年/文体との出会い/創作への道/内なる“鬼”


ことばを探す旅 ロングインタビュー
須賀敦子 略年譜
解説 福岡伸一

 

 

大竹昭子(おおたけ・あきこ)
1950年、東京都生まれ。79~81年、ニューヨークに滞在、執筆をはじめる。小説、エッセイ、批評など、ジャンルを横断して活動。

須賀敦子とは、雑誌のインタビューで知り合い、亡くなるまで親しい関係にあった。朗読イベント「カタリココ」を開催中。

 

須賀敦子の略歴と既読本リスト

 

 私のブログ「須賀敦子の世界展へ」見学記録

 

「東京編」より

須賀敦子というとイタリアということになり、東京での須賀のイメージはほとんどない。

須賀の帰国は1971年、42歳のときで、『ミラノ 霧の風景』が出たのは61歳、とそのあいだには約20年の月日が流れている。端的に言えば、帰国後に時間がイタリアにいた期間を超えているのだ。……帰国後のことが作品で触れられていないこともあり、著作が出る直前までイタリアに暮らしていたように思われがちだが、そうではない。

 

イタリアでの須賀は大学などの組織に属していなかったこともあり、40歳過ぎて日本に戻ってきても居場所がなく、その実力にもかかわらず、ながく大学の下済み的な仕事を続けていた。しかし、廃品回収のボランティアで若者に交じって自ら荷物運びするなどそんな仕事を楽しんでいたのが、須賀敦子らしい。

 

『ミラノ 霧の風景』が出たとき、文学界はこれほどの書き手がどこかに隠れていたことに沸き立ち、彼女を表舞台に引っ張り出そうと競い合った。……アカデミックな世界でも同じで、マンホールの蓋がぱかっと開いて、驚くほどイタリア語がうまく、イタリア文学に精通し、しかも翻訳する日本語がずば抜けて優れている人がはい出て来たのだ。いままでどこで、なにをしていたの? と問いだしたくなるほど、それは既成のルートを外れた突飛な出来事だったのである。

 

 

 

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