hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

牛田守彦『戦時下の武蔵野 1』を読む

2012年11月12日 | 読書2

牛田守彦著『戦時下の武蔵 1中島飛行機武蔵製作所への空襲を探る』(2011年11月ぶんしん出版発行)を読んだ。

戦前、戦中の武蔵野市には、零戦のエンジンなどを製造する5万人が務める中島飛行機という工場があった。1944年11月24日、アメリカ軍は日本最初の空襲の目標地としてこの中島飛行機を選んだ。以来、9回、505機の爆撃で工場は破壊され、周辺も含め220名の方がなくなった。
この本は、戦争経験のない世代に、身近に残る戦争の傷跡を写真、被害者の話などを前にして、悲惨な戦争の現実を報せるためのものだ。

目次
Ⅰ 工場内の空襲犠牲者
Ⅱ 爆撃による工場内の被害状況について
Ⅲ 「米国戦略爆撃調査団」と中島飛行機武蔵製作所
Ⅳ 米軍資料に見る中島飛行機武蔵製作所への爆撃
Ⅴ 武蔵野町における市民の犠牲者
Ⅵ 親友の命を奪ったあの戦争
エピローグ 戦時下の体験を想像し、平和を守る力にしたい



牛田/守彦
1961年愛知県生まれ。1988年早稲田大学大学院文学研究科(教育学専攻)修士課程修了。現在、法政大学中学高等学校教諭、武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会幹事、戦争遺跡保存全国ネットワーク会員、武蔵野市平和施策懇談会・委員(2010年)
武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会

続編Ⅱは、三鷹市など周辺地域を扱うことになるそうだ。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

激しかった空爆の跡の痕跡は、話を聞いて、よく見ると、わずかだがいくつか武蔵野市に今も残っている。緑町近辺の人はもちろん、武蔵野市に住人には知っておいて欲しい情報だ。なんらかの形で若い人に伝えていかねがと思う。
広々として子ども達が駆けまわる原っぱ公園が、かっては巨大な軍需工場で今も地下には地下道が走っていて、激しい空爆で多くの人が亡くなったことを知っていて欲しい。

それにしても、はるか昔なのに、米軍の科学的な攻撃方法には恐れ入る。最初の空爆前に米軍が中島飛行機を撮影した写真や、空爆中の爆弾が落下していく写真の鮮明なこと。常に結果を吟味して次の攻撃に反映している。戦後に爆撃跡を詳細に調べる調査団を派遣して、爆撃の効果、効率を調べている。これらを公文書館に保存し、公開している姿勢は米国の良き面だと思う。被害を受けた側からも敵ながらあっぱれと言うしかない。
これに比べて日本軍のお粗末なこと。今も当時の隠蔽体質が残っているのが哀しい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする