hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

向田邦子『女の人差し指』を読む

2012年11月02日 | 読書2
向田邦子著『女の人差し指』文春文庫む1-23、新装版2,011年6月文藝春秋発行、を読んだ。

脚本家としてのTVドラマや、大好きな「食」、「旅」をテーマとしたエッセイ集。晩年、といっても亡くなったのは51歳、のエッセイが多く自由闊達な話運び、ちょっとした日常の機微を捉え、鮮やかな会話文が光る。

脚本家デビューのきっかけ、料理好きがこうじて妹と開店した小料理屋、アフリカなど旅行の旅の思い出、急逝で遺作となった「クラシック」などを集めている。
負けん気が強く、甘えるのが苦手で、おっちょこちょいだが、好奇心旺盛で、生き生きとした向田邦子が溢れ出る作品集だ。

本書は、雑誌掲載の小エッセイを集めて1982(昭和57)年に単行本となり、1985年に文春文庫で出たものの新装版。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

忙しく駆けまわり、なんでも一生懸命で、オッチョコチョイ。ちょっと蓮っ葉で、生きの良い言葉遣いをし、意気地なし面もあり、やさしい魅力的な向田さんが浮かび上がる。

さすがに話の背景は古く、若い人が実感を持てるか疑問でもある。しかし、昭和一桁生れの向田さんが若い時を語ると、10歳以上若い(若い、いい言葉だ!)私にはうろ覚えの幼い頃が浮かび上がり懐かしい。
しかし、例えば、多いことを「つくだ煮にするほどの」と表現する箇所が3つほどあるが、若い(まだ言ってる)私には多少違和感がある。

向田邦子のエッセイの魅力のひとつに、自在な話運びがある。いかにも女性の話なのだが、終わって見ると、きっちり締めくくられている。題名から関係ないところから始まり、どこへ連れて行かれるかわからないルートを通って、絶妙なオチで締めくくられる。
たとえば、最初の「チャンバラ」は、箸で始まり、ナイフとフォーク、固く握ることからようやくチャンバラになったと思ったら、女の子はチャンバラより日本人形と人形になる。突然、チャンバラに戻り、固く握ることからペンだこ、剣だこで終わる。



向田邦子(むこうだ・くにこ)
1929(昭和4)年東京生れ。
実践女子大学卒業。秘書、「映画ストーリー」編集者を経て、脚本・エッセイ・小説家。
「七人の孫」「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など人気TVドラマの脚本、『父の詫び状』『あ・うん』『家族熱』などの小説・エッセイを書く。
1981(昭和56)年8月22日台湾の飛行機事故で死亡(享年51歳)



邦子さんのお母さんは、お父さんがお賽銭を間違えてほうり込んだと聞くや、社務所にかけあってお賽銭のお釣りを頂戴したという。そのくせ、市電に乗って回数券の代わりに汲取券を出してしまったという。(汲取券って分かりますか?)

お母さんとは年寄りだからと手加減せず付き合っている。仕事中や来客中の電話だとはっきりという。
「いま忙しいから、略して言ってくれない」
「あ、そうお、じゃあ略して言いますけどねぇ」
「略して言うとき、いちいち断らなくてもいいのよ」
「本当だねえ、それじゃ略して言うことにならないものねぇ」
「そうよ、で、どうしたの」
「略して言うとね―――あとで電話する」
電話はガチャンと切れてしまうのである。

こんな会話文、男性には書けません。

「女性が一人でも気軽に寄れるお店を作ろう」「吟味されたご飯。煮魚と焼魚。季節のお総菜。出来たら、精進揚の煮つけや、ほんのひと口、ライスカレーなんぞが食べられたら、もっといい。」と、妹の和子と東京都の赤坂で小料理屋「ままや」を開店した。この店は邦子さんの死後も妹の和子によって続けられたが、1998年(平成10年)に閉店した。


コメント (2)
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