hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

傷痍軍人

2007年03月27日 | 昔の話

傷痍(しょうい)軍人という言葉を知っている人は現在どのくらいいるのだろうか?ましてや、実際に見たことのある人は団塊の世代まででしょうか?

傷痍軍人とは戦傷を負った軍人のことで、日本でも大昔の日露戦争の後に大量の傷痍軍人が出て大きな社会問題となったそうです。とくに、太平洋戦争後多くの軍人が重傷となり、傷痍軍人が町にあふれました。戦後、その補償がなされるようになり、基本的には目に付かなくなりました。

胸に寄付を募る箱をぶら下げ、片足義足で杖をつき、白衣を着た傷痍軍人が、私のいる車両に入ってくると、一礼をしました。大人は黙って目を背けています。私は、子供心にもなにか重苦しいものを感じて、「あの人何?」と聞くのもはばかられました。
街角にも、手や足のない人が自らの傷をさらし、白衣を着て、アコーディオンを奏でながら、募金箱の前で頭を下げる姿をよく目にしました。私も、痛ましいと思う一方でなんとなくわざとらしくも感じたものです。後には本当かなとも思いました。

彼らは同情を集める一方で、押し付けがましい、自力更生すべきなどの議論や反発もあったようです。一方、彼らへ援助するように政府への圧力もあり、彼ら自身もハンガーストライキなど運動を行った結果、戦死軍人とともに年金が交付される「戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)」が1952年、講和条約発効の2日後に成立しました。

また、次第に時代とともに忘れ去りたい不気味な存在ともなり、大部分の傷痍軍人は町から姿を消していきました。いまや、かっての傷痍軍人もほぼ80歳以上になっているはずで、少なくとも現在町で募金活動をしている人がいるとは思えません。

すっかり、昔話になっているつもりでしたが、ただ、今回調べてみて、在日朝鮮人などの傷痍軍人にはまだ戦後の補償がされていないことがわかりました。そういえば何か新聞で読んだような気もしますが。
当時、日本の領土であった朝鮮並びに台湾出身の人で、日本政府の命令に従い大東亜戦争に従軍した元日本軍人で、傷痍軍人となった者は、終戦後出身国の独立に伴い自動的に外国人となり、日本国籍がないという理由で「援護法」による障害年金の支給対象からはずされました。
また、出身国の政府も、日本の戦争協力者として援護対策を行っていないようです。

変な言い方になりますが、日本国全体から見て、そんなに量的に大きな問題でないこのような問題は、意固地になって、立場、建前にこだわらずともかく解決して、次世代に負の資産を一つでも残さないようにした方が良いと思うのですが。


コメント (2)
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