ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

坊主と薬と、売薬と、

2012-06-04 | 日記
懐かしい練飴の話題ですが、
実は、私にはそんな懐かしい思い出はなく…舐めた事がありませんでした。

おかん「あぁ、私らの小さい頃には、紙芝居のおじさんが水あめ練ってくれたんよ」
ふぅ…ん。
いいなぁ…。
私の時代には紙芝居はアニメーションに代わっていた…。

良い子にしてるから、
アメ、練アメ…水アメッ頂~戴ッ!

おかん「なら、買ってこられよ。たしか、池田さん近くの岡田さんの前に飴屋さんあるわよ」
そうか、薬の池田屋さんを通り過ぎて、
母子ともに危険だったわれ等命を拾ってあげてくれた岡田産婦人科に向かうように行くと、
飴屋さんがあるのね。
というわけで、GO!しました。

「島川さん」です。

お店に入って、
こんにちはぁ!
店員さんと子供さんのアレルギーやアトピーの話をして、
つい、珍しいお菓子があったので…

買い込みました。

私がアトピーを発症したのは小学生でしたか、そこから長~い皮膚科通院が始まりました。
今でも悩みの種で、現在近くのさいとうさんにお世話になっています。
アレルギー体質というのは、そう簡単に治るものではなく、
飲み薬では薬疹(薬による過剰反応)が出てたりと、まぁ厄介な体質ですね。

そういう体の悩みは、とおぉ~い昔からで、
その心の痛みを受け、富山藩主二代目前田正甫(まさとし)さんは富山の売薬を全国に広めました。
もともと富山立山は薬草の宝庫で、立山信仰 修験者たちは秘伝の薬を伝えていましたから、
その秘伝で一儲けという修験者が売薬になった…かどうかは知りませんが、
お寺の坊主が山で薬草を取り、練って練って薬を作りました。
坊主も「薬師祈祷だけで治る病はない…」と悟ったかも知りませんね。
山から下りた坊主が病に苦しむ人々のために薬を配ったのが始まりだそうです。

もちろん、坊主だけが一儲けと思ったわけではなく、
佐々成政様の家臣たちも売薬に扮しました。
まぁ、密偵ばかりをやっていたわけではないでしょう。
庶民から情報収集を…っと、
ガラッと開けたお宅では、
子供が「こんこんッ」咳をしていました。
風邪…を引いた子供に、
密偵だってズキッと心が痛むわけですよ。
手元には苦い薬しかない。
そこで考案するのです。
「のど飴…」
売薬のおじちゃん、ありがとうッ!
※実際に、我が家を訪れる売薬さんは女性の方です。

お菓子に薬草の粉を混ぜるというのは平安の頃から。
おだべちゃんで有名な京菓子「生八橋」はニッキ(シナモン・健胃薬)が練られていますね。

心優しい坊主と密偵と売薬がいたから、
富山と言えば「くすり」が代名詞となったのでしょうね。

懐かしいな…

2012-06-04 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
山長さん「は?」
あやめ「そのお医者様は、心の傷が診えますか?」
山長さん「何言って…、」
あやめ「女将さんには、斎藤さんの心が診えましたか?」
山長さん「心?あぁいう人に心なんて無いんだよ」
あやめ「心無い方が、私に、この葉を付けてくれますか?」
山長さん「…」
あやめ「わざわざ、私を、お店まで送って下さいますか?」
山長さん「…」
あ…とさ、これ。くれよ。
くるくる…指を巻いて、
懐かしいな…、練アメだ。

あやめ「彼には、私たちの理解を超えた、計り知れない心があります」
山長さん「あ、あやめちゃん…」
あやめ「それに、ようやく気付きました」
畳に三つ指を付いて「長い間お世話になりました」お辞儀した。
山長さん「辞表提出直後に辞めるってのは…あのね、社会通念無視して、」
あやめ「この世の中に、社会通念(常識)が通用しますか?」
山長さん「そんな事言う子じゃなかったじゃないか、どうしちゃったんだい?」
あやめ「通念が、コロコロ変わって…。私には、付いて行けない」
“治りてぇんだろ?”
「治療に専念させて下さい」腕の葉っぱをそっと撫でて「…治したいんです」
山長さん「何バカな事言ってんだいッ」
あやめ「お…女将さん?」
山長さん「支店任せようって時に…」
ドンと、畳を叩きつけ「どうしてくれんだいッ」
あやめ「支店…?何…」
山長さん「辞めてもらったら、こっちが困るんだよッ」あやちゃんの腕を掴んで、
あやめ「い…」火傷の痕…「痛ッ」
山長さん「逃がさないよ」