週のはじめに考える 痛み知る人を代弁者に (2021年11月21日 中日新聞)

2021-11-21 13:50:52 | 桜ヶ丘9条の会

週のはじめに考える 痛み知る人を代弁者に

2021年11月21日 中日新聞
 
 日本一の歓楽街、東京・歌舞伎町の一角に十一月の夜、改装したピンク色のバスが現れました。夜の街の少女たちを支えるため、一般社団法人「コラボ」が毎週水曜日の夜に開く「バスカフェ」。テントの下にテーブルやいすを並べた二十平方メートルほどのスペースは、少女たちが安心できる人とつながり合うための居場所です。
 食事や着替えの洋服、下着などを提供し、希望があれば宿泊先や行政支援につなぎます。
 自らも中高時代に路上をさまよった経験を持ち、十年前にコラボを設立した代表理事の仁藤夢乃さん(31)=写真。日々出会うのは中学生や高校を中退した十代です。親から虐待を受けて家にいられない子、地方から家出してそのまま歌舞伎町にやってくる子も。
 幼さを残した少女たちを待ち伏せるように、街には買春目的や風俗店で働かせようと声をかける大人が大勢います。助けるどころか少女の苦境につけ込み、性を狙っているのです。

夜の街の少女に伴走

 少女たちがツイッターに「#家出」「#泊めて」と投げると瞬く間に大人たちから返信がきます。おにぎり一個を買ってもらい家に連れて行かれてレイプされた子、アルバイトがあるとだまされてレイプされた子…。あまりにつらい現実が少女の身に起きています。
 少女買春の野放しはおかしい。少女の性が搾取される社会を変えなければ。けれど誰が少女の代弁者になってくれるのだろう。
 仁藤さんは十月の衆院選で「ジェンダー平等の実現」を掲げた野党の女性候補を応援しました。ジェンダー平等は男性と女性が平等に権利と機会を持ち、意思決定に対等に参加できる状態です。
 衆院選では選択的夫婦別姓の実現などが注目されましたが、虐待や性暴力の根っこにも男女格差や性差別があり、これらの解決には憲法もうたう男女平等の視点は外せません。
 政治家は票につながらない子どもの声になかなか耳を傾けようとしません。でも、仁藤さんの目に元職の彼女は違ってみえました。「#MeToo」運動が日本に根付く前から性暴力や性搾取の問題に取り組み、国会で質問し、前回選挙で落選後も、傷ついた少女の声を聞き続けてきた人でした。
 仁藤さんは初めて選挙カーに乗って訴えました。「今の社会は立場の弱い人にしわ寄せが集まっている。私の元には少女からのSOSが届いています。子どもがありのままに生きられないのは、自分の責任じゃない。私たちの痛みを知る人を国会に送りましょう」
 残念ながら、この候補は落選しました。自民党が議席を減らしながらも単独で過半数を獲得し、政権を維持しました。「経済」に重点を置いた自民党の公約にジェンダー平等の文字はありません。
 野党がジェンダー平等を前面に掲げたことが票を逃した、との論評もありましたが、こうした見方には慎重でありたいものです。
 性暴力や性差別の問題に取り組む人を攻撃する動きが近年、目立ちます。仁藤さんが応援した候補も攻撃されていると語ります。

余裕の問題ではない

 それでも、自分の仕事はジェンダー平等を実現させること、性暴力の問題は政治が解決すべきだと果敢に訴えた姿勢が、選挙に関心がなかった人を含め、多くの有権者を勇気づけたことは事実です。
 遊説先には、セクハラに遭っても、電車で痴漢に遭っても泣き寝入りだと、中高生ら若い女性が集まっていました。政治の中に、新しい希望を見いだそうとしている人もいるのです。
 世界各国の男女間格差を測る「ジェンダーギャップ指数」で、日本は世界百五十六カ国中の百二十位です。経済や福祉などの次に「余裕があれば」とジェンダー政策を後回しに語る人もいますが、大切なことを余裕の問題と片付けるうちに、日本は国際社会から置いてきぼりになりました。
 コロナ禍で少女の苦境はより過酷になっています。コラボが受けた昨年度の相談は、約千五百人から四千五百件。例年の二・五倍です。年齢層の高い学生らがアルバイトがないと言って、助けを求めにくるようになったのです。
 来夏に参院選があります。多くの政党はまた、経済政策を公約の筆頭に挙げるのでしょうが、男女格差が残る構造のままで本当の経済回復はあり得ません。あらゆる政策に「性差別のない」という冠を付けるにはまず、痛みを知る人を国会に送らねばなりません。 
 

 


給湯器や暖房、壊れたら大ピンチ 半導体不足、生活に直結 (2021年11月19日 中日新聞)

2021-11-20 16:11:54 | 桜ヶ丘9条の会

給湯器や暖房、壊れたら大ピンチ 半導体不足、生活に直結

2021年11月19日 中日新聞

給湯器や暖房、壊れたら大ピンチ 半導体不足、生活に直結

2021年11月19日 
 あれ、お風呂のお湯が出ない…。この冬、そんなことが起きたら大ピンチ。給湯器の修理や交換で、何カ月も待たされそうなのだ。原因は半導体不足やコロナが深刻なベトナムのロックダウン(都市封鎖)。何かが壊れたら、家で凍えながら水風呂ということになりかねない。半導体不足の影響は自動車業界だけではなく、人々の生活にも忍び寄っている。 (木原育子、荒井六貴)

嫌な予感で備え

 「これから寒さも本格的になるっていうのに…。どんどん困る人が出てくるだろう」。ガス給湯器の取り換え工事をする会社「大問屋(おおどんや)」の浅岡朋宏社長(50)の眉間にしわが寄った。
 全国に四十店近くある店の一つ、田園調布店(東京都大田区)には、品薄なはずの給湯器が入った段ボールが並ぶ。今夏、給湯器の納品が遅れ始めた際、「嫌な予感」を感じて早め早めに発注していた品だ。
 「これ、どこに置けばいいっすか?」。十七日午前の取材中も、ひっきりなしに運送会社が行ったり来たりし、段ボールを置いていった。浅岡さんは「給湯器だけで五十個はくだらないよね」と苦笑いする。
 ただ、この五十個は例年の注文からみてすぐになくなりそう。その先は…。
 浅岡さんは「少なくとも来年の三月まで入らない見通しの商品もある。二〇一一年の東日本大震災の際も部品が調達できず、納期が遅れたことはあったが、ここまで長期化したことはない」と言う。
 名古屋市で一九八七年に開業して以来初の異常事態。今も納期遅れが出ており、顧客から「一体いつまで待たせるんだ」とお叱りの声を受けたことも一度や二度ではない。なぜ、こんなことになっているのか。
 「ベトナムのロックダウンの影響で、電子基板の部品を製造しているメーカーの部品が欠品することになった。さらに半導体不足など複数の要因が絡み合っている。ご迷惑をおかけしています」。リンナイの広報担当者が申し訳なさそうに説明する。「昨年、リンナイは創業百周年を迎えた。給湯器が主力商品となって約四十年。こんなにピンチだったことはかつてない」
 ほかのメーカーもウェブサイトで「重要なお知らせ」などと納期遅れを告知している。ガス給湯器大手メーカーのノーリツの広報担当者も「影響は想定を上回る」と頭を抱える。「部品の調達先や供給基準の見直しについて議論を始めなければならない」
 家電の小売店も不安を募らせている。ありとあらゆる商品に半導体が使われているからだ。東京都港区赤坂の大型量販店。石油ファンヒーターやエアコンなどが並ぶ。半導体不足の影響について聞くと、男性店員は間髪入れず、「もう戦々恐々ですよ。今のところ影響はないが、いつメーカーから納期未定のお達しが来るか…。来る時は一気ですから…」と渋い表情になった。
 ちなみに、温水洗浄便座は、すでに納期の見通しが立たない状況。LIXILの広報担当者によると、半導体ではないが、ベトナムのロックダウンの影響で部品が不足しているという。「先日の決算でも今月中には正常稼働に戻ると発表したばかり。正常化に向けて私たちも懸命です」

厳しすぎる冬に

 この状況で冬を迎える。浅岡さんは「多くのお客さまはガス給湯器が壊れた後に注文する。今冬はすでに在庫がなくなっている可能性が高い。お風呂や洗面所、台所は真水しか出ず、厳しすぎる冬になるかもしれない」と語った。

社会の至る所に

 自動車業界から給湯器にまで影響を与える半導体。そもそもは一定の条件で電気を通す電子部品を指していた。一定以上の年齢の人にはラジオでおなじみのトランジスタが代表格。照明でおなじみの発光ダイオード(LED)も半導体の一種だ。
 だが、不足が問題になっている半導体はもっと複雑なもの。技術の進歩で、小さなチップに半導体を集積した回路を載せ、情報を処理したり記録したりできるようになった。ニュースで不足が報道されているのは、これだ。今では、エアコンの温度管理からパソコン、スマートフォン、軍事兵器まで、社会の至る所で使われている。
 なぜここまで不足しているのか。経済アナリストの中原圭介さんは「自動車の半導体で言えば、製造の中心が人件費が安いマレーシアなど東南アジア。新型コロナの影響でロックダウンし、工場が閉まったことが要因」と説明する。
 さらに、日本国内で製造していたルネサスエレクトロニクスの那珂工場(茨城県ひたちなか市)で三月に火災が起き、操業が一時止まった。「悪いことが重なった。サプライチェーン(供給網)が世界中で構築され、どこかが止まると、他の国でも生産が厳しくなる」
 その半導体が経済の命運を握っている。
 第一生命経済研究所の藤代宏一・主任エコノミストは「半導体の供給が止まれば、国の経済活動を止めることにもつながる。二〇一八年ごろからの米中貿易摩擦で、半導体は安全保障の観点から語られるようになった。食糧と同じぐらい重要だ」と語る。そんなこともあり、「産業のコメ」と呼ばれることもある。

日本のシェア低く

 コメならば自給自足したいところ。だが、経済産業省によると、一九年の売上高のシェアは日本が10%、米国が50・7%、韓国が18・4%だった。メーカー別では、米国のインテルがトップで、サムスン、SKなどの韓国勢が続き、日本は東芝の流れをくむキオクシアが九位に出てくるだけだ。
 三十年余り前はそうではなかった。「日の丸半導体」と隆盛を誇り、一九八八年の売り上げは、日本勢が世界の半分以上を占めていた。メーカーもNECや東芝、日立、富士通、三菱、松下と十位以内に六社入っていた。それが九〇年代以降、凋落(ちょうらく)していく。経産省の分析では、八〇年代の日米貿易摩擦で規制が強まり衰退したほか、技術革新や他国企業との協力が遅れたことなどが理由に挙げられていた。
 最近の半導体不足を受け、経産省は十五日、支援策をまとめた「半導体産業基盤緊急強化パッケージ」を示した。国内の生産基盤を強化するため、先端工場の誘致や既存工場の設備の増設などで支援する。スマホなどで使う最先端の半導体ばかりでなく、自動車や給湯器に使う簡素で収益性の低い半導体にも力を入れていくということだ。
 とはいえ、経産省情報産業課の羽原健雄課長補佐は「安定的な供給体制をつくりたい。具体的にはこれから」と話す。対策の効果が出るまでには、まだ時間がかかりそうだ。

乾きやすい下着

 だが、もうすぐ半導体不足の真冬がやってくる。もしも給湯器が壊れたらどうすればいいのか。
 ボーイスカウト日本連盟広報担当の木本史郎さんは、風呂に入れないときの対策として「乾きやすい下着にする。温タオルで汗を拭き取り、清潔に保つこと。汗で湿気がこもると、体を冷やす原因になる。ベトベトだと気分も悪い。さっぱりすれば、温かさにつながるのではないか」と提案した。
 

 

 あれ、お風呂のお湯が出ない…。この冬、そんなことが起きたら大ピンチ。給湯器の修理や交換で、何カ月も待たされそうなのだ。原因は半導体不足やコロナが深刻なベトナムのロックダウン(都市封鎖)。何かが壊れたら、家で凍えながら水風呂ということになりかねない。半導体不足の影響は自動車業界だけではなく、人々の生活にも忍び寄っている。 (木原育子、荒井六貴)

嫌な予感で備え

 「これから寒さも本格的になるっていうのに…。どんどん困る人が出てくるだろう」。ガス給湯器の取り換え工事をする会社「大問屋(おおどんや)」の浅岡朋宏社長(50)の眉間にしわが寄った。
 全国に四十店近くある店の一つ、田園調布店(東京都大田区)には、品薄なはずの給湯器が入った段ボールが並ぶ。今夏、給湯器の納品が遅れ始めた際、「嫌な予感」を感じて早め早めに発注していた品だ。
 「これ、どこに置けばいいっすか?」。十七日午前の取材中も、ひっきりなしに運送会社が行ったり来たりし、段ボールを置いていった。浅岡さんは「給湯器だけで五十個はくだらないよね」と苦笑いする。
 ただ、この五十個は例年の注文からみてすぐになくなりそう。その先は…。
 浅岡さんは「少なくとも来年の三月まで入らない見通しの商品もある。二〇一一年の東日本大震災の際も部品が調達できず、納期が遅れたことはあったが、ここまで長期化したことはない」と言う。
 名古屋市で一九八七年に開業して以来初の異常事態。今も納期遅れが出ており、顧客から「一体いつまで待たせるんだ」とお叱りの声を受けたことも一度や二度ではない。なぜ、こんなことになっているのか。
 「ベトナムのロックダウンの影響で、電子基板の部品を製造しているメーカーの部品が欠品することになった。さらに半導体不足など複数の要因が絡み合っている。ご迷惑をおかけしています」。リンナイの広報担当者が申し訳なさそうに説明する。「昨年、リンナイは創業百周年を迎えた。給湯器が主力商品となって約四十年。こんなにピンチだったことはかつてない」
 ほかのメーカーもウェブサイトで「重要なお知らせ」などと納期遅れを告知している。ガス給湯器大手メーカーのノーリツの広報担当者も「影響は想定を上回る」と頭を抱える。「部品の調達先や供給基準の見直しについて議論を始めなければならない」
 家電の小売店も不安を募らせている。ありとあらゆる商品に半導体が使われているからだ。東京都港区赤坂の大型量販店。石油ファンヒーターやエアコンなどが並ぶ。半導体不足の影響について聞くと、男性店員は間髪入れず、「もう戦々恐々ですよ。今のところ影響はないが、いつメーカーから納期未定のお達しが来るか…。来る時は一気ですから…」と渋い表情になった。
 ちなみに、温水洗浄便座は、すでに納期の見通しが立たない状況。LIXILの広報担当者によると、半導体ではないが、ベトナムのロックダウンの影響で部品が不足しているという。「先日の決算でも今月中には正常稼働に戻ると発表したばかり。正常化に向けて私たちも懸命です」

厳しすぎる冬に

 この状況で冬を迎える。浅岡さんは「多くのお客さまはガス給湯器が壊れた後に注文する。今冬はすでに在庫がなくなっている可能性が高い。お風呂や洗面所、台所は真水しか出ず、厳しすぎる冬になるかもしれない」と語った。

社会の至る所に

 自動車業界から給湯器にまで影響を与える半導体。そもそもは一定の条件で電気を通す電子部品を指していた。一定以上の年齢の人にはラジオでおなじみのトランジスタが代表格。照明でおなじみの発光ダイオード(LED)も半導体の一種だ。
 だが、不足が問題になっている半導体はもっと複雑なもの。技術の進歩で、小さなチップに半導体を集積した回路を載せ、情報を処理したり記録したりできるようになった。ニュースで不足が報道されているのは、これだ。今では、エアコンの温度管理からパソコン、スマートフォン、軍事兵器まで、社会の至る所で使われている。
 なぜここまで不足しているのか。経済アナリストの中原圭介さんは「自動車の半導体で言えば、製造の中心が人件費が安いマレーシアなど東南アジア。新型コロナの影響でロックダウンし、工場が閉まったことが要因」と説明する。
 さらに、日本国内で製造していたルネサスエレクトロニクスの那珂工場(茨城県ひたちなか市)で三月に火災が起き、操業が一時止まった。「悪いことが重なった。サプライチェーン(供給網)が世界中で構築され、どこかが止まると、他の国でも生産が厳しくなる」
 その半導体が経済の命運を握っている。
 第一生命経済研究所の藤代宏一・主任エコノミストは「半導体の供給が止まれば、国の経済活動を止めることにもつながる。二〇一八年ごろからの米中貿易摩擦で、半導体は安全保障の観点から語られるようになった。食糧と同じぐらい重要だ」と語る。そんなこともあり、「産業のコメ」と呼ばれることもある。

日本のシェア低く

 コメならば自給自足したいところ。だが、経済産業省によると、一九年の売上高のシェアは日本が10%、米国が50・7%、韓国が18・4%だった。メーカー別では、米国のインテルがトップで、サムスン、SKなどの韓国勢が続き、日本は東芝の流れをくむキオクシアが九位に出てくるだけだ。
 三十年余り前はそうではなかった。「日の丸半導体」と隆盛を誇り、一九八八年の売り上げは、日本勢が世界の半分以上を占めていた。メーカーもNECや東芝、日立、富士通、三菱、松下と十位以内に六社入っていた。それが九〇年代以降、凋落(ちょうらく)していく。経産省の分析では、八〇年代の日米貿易摩擦で規制が強まり衰退したほか、技術革新や他国企業との協力が遅れたことなどが理由に挙げられていた。
 最近の半導体不足を受け、経産省は十五日、支援策をまとめた「半導体産業基盤緊急強化パッケージ」を示した。国内の生産基盤を強化するため、先端工場の誘致や既存工場の設備の増設などで支援する。スマホなどで使う最先端の半導体ばかりでなく、自動車や給湯器に使う簡素で収益性の低い半導体にも力を入れていくということだ。
 とはいえ、経産省情報産業課の羽原健雄課長補佐は「安定的な供給体制をつくりたい。具体的にはこれから」と話す。対策の効果が出るまでには、まだ時間がかかりそうだ。

乾きやすい下着

 だが、もうすぐ半導体不足の真冬がやってくる。もしも給湯器が壊れたらどうすればいいのか。
 ボーイスカウト日本連盟広報担当の木本史郎さんは、風呂に入れないときの対策として「乾きやすい下着にする。温タオルで汗を拭き取り、清潔に保つこと。汗で湿気がこもると、体を冷やす原因になる。ベトベトだと気分も悪い。さっぱりすれば、温かさにつながるのではないか」と提案した。
 
 あれ、お風呂のお湯が出ない…。この冬、そんなことが起きたら大ピンチ。給湯器の修理や交換で、何カ月も待たされそうなのだ。原因は半導体不足やコロナが深刻なベトナムのロックダウン(都市封鎖)。何かが壊れたら、家で凍えながら水風呂ということになりかねない。半導体不足の影響は自動車業界だけではなく、人々の生活にも忍び寄っている。 (木原育子、荒井六貴)

嫌な予感で備え

 「これから寒さも本格的になるっていうのに…。どんどん困る人が出てくるだろう」。ガス給湯器の取り換え工事をする会社「大問屋(おおどんや)」の浅岡朋宏社長(50)の眉間にしわが寄った。
 全国に四十店近くある店の一つ、田園調布店(東京都大田区)には、品薄なはずの給湯器が入った段ボールが並ぶ。今夏、給湯器の納品が遅れ始めた際、「嫌な予感」を感じて早め早めに発注していた品だ。
 「これ、どこに置けばいいっすか?」。十七日午前の取材中も、ひっきりなしに運送会社が行ったり来たりし、段ボールを置いていった。浅岡さんは「給湯器だけで五十個はくだらないよね」と苦笑いする。
 ただ、この五十個は例年の注文からみてすぐになくなりそう。その先は…。
 浅岡さんは「少なくとも来年の三月まで入らない見通しの商品もある。二〇一一年の東日本大震災の際も部品が調達できず、納期が遅れたことはあったが、ここまで長期化したことはない」と言う。
 名古屋市で一九八七年に開業して以来初の異常事態。今も納期遅れが出ており、顧客から「一体いつまで待たせるんだ」とお叱りの声を受けたことも一度や二度ではない。なぜ、こんなことになっているのか。
 「ベトナムのロックダウンの影響で、電子基板の部品を製造しているメーカーの部品が欠品することになった。さらに半導体不足など複数の要因が絡み合っている。ご迷惑をおかけしています」。リンナイの広報担当者が申し訳なさそうに説明する。「昨年、リンナイは創業百周年を迎えた。給湯器が主力商品となって約四十年。こんなにピンチだったことはかつてない」
 ほかのメーカーもウェブサイトで「重要なお知らせ」などと納期遅れを告知している。ガス給湯器大手メーカーのノーリツの広報担当者も「影響は想定を上回る」と頭を抱える。「部品の調達先や供給基準の見直しについて議論を始めなければならない」
 家電の小売店も不安を募らせている。ありとあらゆる商品に半導体が使われているからだ。東京都港区赤坂の大型量販店。石油ファンヒーターやエアコンなどが並ぶ。半導体不足の影響について聞くと、男性店員は間髪入れず、「もう戦々恐々ですよ。今のところ影響はないが、いつメーカーから納期未定のお達しが来るか…。来る時は一気ですから…」と渋い表情になった。
 ちなみに、温水洗浄便座は、すでに納期の見通しが立たない状況。LIXILの広報担当者によると、半導体ではないが、ベトナムのロックダウンの影響で部品が不足しているという。「先日の決算でも今月中には正常稼働に戻ると発表したばかり。正常化に向けて私たちも懸命です」

厳しすぎる冬に

 この状況で冬を迎える。浅岡さんは「多くのお客さまはガス給湯器が壊れた後に注文する。今冬はすでに在庫がなくなっている可能性が高い。お風呂や洗面所、台所は真水しか出ず、厳しすぎる冬になるかもしれない」と語った。

社会の至る所に

 自動車業界から給湯器にまで影響を与える半導体。そもそもは一定の条件で電気を通す電子部品を指していた。一定以上の年齢の人にはラジオでおなじみのトランジスタが代表格。照明でおなじみの発光ダイオード(LED)も半導体の一種だ。
 だが、不足が問題になっている半導体はもっと複雑なもの。技術の進歩で、小さなチップに半導体を集積した回路を載せ、情報を処理したり記録したりできるようになった。ニュースで不足が報道されているのは、これだ。今では、エアコンの温度管理からパソコン、スマートフォン、軍事兵器まで、社会の至る所で使われている。
 なぜここまで不足しているのか。経済アナリストの中原圭介さんは「自動車の半導体で言えば、製造の中心が人件費が安いマレーシアなど東南アジア。新型コロナの影響でロックダウンし、工場が閉まったことが要因」と説明する。
 さらに、日本国内で製造していたルネサスエレクトロニクスの那珂工場(茨城県ひたちなか市)で三月に火災が起き、操業が一時止まった。「悪いことが重なった。サプライチェーン(供給網)が世界中で構築され、どこかが止まると、他の国でも生産が厳しくなる」
 その半導体が経済の命運を握っている。
 第一生命経済研究所の藤代宏一・主任エコノミストは「半導体の供給が止まれば、国の経済活動を止めることにもつながる。二〇一八年ごろからの米中貿易摩擦で、半導体は安全保障の観点から語られるようになった。食糧と同じぐらい重要だ」と語る。そんなこともあり、「産業のコメ」と呼ばれることもある。

日本のシェア低く

 コメならば自給自足したいところ。だが、経済産業省によると、一九年の売上高のシェアは日本が10%、米国が50・7%、韓国が18・4%だった。メーカー別では、米国のインテルがトップで、サムスン、SKなどの韓国勢が続き、日本は東芝の流れをくむキオクシアが九位に出てくるだけだ。
 三十年余り前はそうではなかった。「日の丸半導体」と隆盛を誇り、一九八八年の売り上げは、日本勢が世界の半分以上を占めていた。メーカーもNECや東芝、日立、富士通、三菱、松下と十位以内に六社入っていた。それが九〇年代以降、凋落(ちょうらく)していく。経産省の分析では、八〇年代の日米貿易摩擦で規制が強まり衰退したほか、技術革新や他国企業との協力が遅れたことなどが理由に挙げられていた。
 最近の半導体不足を受け、経産省は十五日、支援策をまとめた「半導体産業基盤緊急強化パッケージ」を示した。国内の生産基盤を強化するため、先端工場の誘致や既存工場の設備の増設などで支援する。スマホなどで使う最先端の半導体ばかりでなく、自動車や給湯器に使う簡素で収益性の低い半導体にも力を入れていくということだ。
 とはいえ、経産省情報産業課の羽原健雄課長補佐は「安定的な供給体制をつくりたい。具体的にはこれから」と話す。対策の効果が出るまでには、まだ時間がかかりそうだ。

乾きやすい下着

 だが、もうすぐ半導体不足の真冬がやってくる。もしも給湯器が壊れたらどうすればいいのか。
 ボーイスカウト日本連盟広報担当の木本史郎さんは、風呂に入れないときの対策として「乾きやすい下着にする。温タオルで汗を拭き取り、清潔に保つこと。汗で湿気がこもると、体を冷やす原因になる。ベトベトだと気分も悪い。さっぱりすれば、温かさにつながるのではないか」と提案した。
 

 

 あれ、お風呂のお湯が出ない…。この冬、そんなことが起きたら大ピンチ。給湯器の修理や交換で、何カ月も待たされそうなのだ。原因は半導体不足やコロナが深刻なベトナムのロックダウン(都市封鎖)。何かが壊れたら、家で凍えながら水風呂ということになりかねない。半導体不足の影響は自動車業界だけではなく、人々の生活にも忍び寄っている。 (木原育子、荒井六貴)

嫌な予感で備え

 「これから寒さも本格的になるっていうのに…。どんどん困る人が出てくるだろう」。ガス給湯器の取り換え工事をする会社「大問屋(おおどんや)」の浅岡朋宏社長(50)の眉間にしわが寄った。
 全国に四十店近くある店の一つ、田園調布店(東京都大田区)には、品薄なはずの給湯器が入った段ボールが並ぶ。今夏、給湯器の納品が遅れ始めた際、「嫌な予感」を感じて早め早めに発注していた品だ。
 「これ、どこに置けばいいっすか?」。十七日午前の取材中も、ひっきりなしに運送会社が行ったり来たりし、段ボールを置いていった。浅岡さんは「給湯器だけで五十個はくだらないよね」と苦笑いする。
 ただ、この五十個は例年の注文からみてすぐになくなりそう。その先は…。
 浅岡さんは「少なくとも来年の三月まで入らない見通しの商品もある。二〇一一年の東日本大震災の際も部品が調達できず、納期が遅れたことはあったが、ここまで長期化したことはない」と言う。
 名古屋市で一九八七年に開業して以来初の異常事態。今も納期遅れが出ており、顧客から「一体いつまで待たせるんだ」とお叱りの声を受けたことも一度や二度ではない。なぜ、こんなことになっているのか。
 「ベトナムのロックダウンの影響で、電子基板の部品を製造しているメーカーの部品が欠品することになった。さらに半導体不足など複数の要因が絡み合っている。ご迷惑をおかけしています」。リンナイの広報担当者が申し訳なさそうに説明する。「昨年、リンナイは創業百周年を迎えた。給湯器が主力商品となって約四十年。こんなにピンチだったことはかつてない」
 ほかのメーカーもウェブサイトで「重要なお知らせ」などと納期遅れを告知している。ガス給湯器大手メーカーのノーリツの広報担当者も「影響は想定を上回る」と頭を抱える。「部品の調達先や供給基準の見直しについて議論を始めなければならない」
 家電の小売店も不安を募らせている。ありとあらゆる商品に半導体が使われているからだ。東京都港区赤坂の大型量販店。石油ファンヒーターやエアコンなどが並ぶ。半導体不足の影響について聞くと、男性店員は間髪入れず、「もう戦々恐々ですよ。今のところ影響はないが、いつメーカーから納期未定のお達しが来るか…。来る時は一気ですから…」と渋い表情になった。
 ちなみに、温水洗浄便座は、すでに納期の見通しが立たない状況。LIXILの広報担当者によると、半導体ではないが、ベトナムのロックダウンの影響で部品が不足しているという。「先日の決算でも今月中には正常稼働に戻ると発表したばかり。正常化に向けて私たちも懸命です」

厳しすぎる冬に

 この状況で冬を迎える。浅岡さんは「多くのお客さまはガス給湯器が壊れた後に注文する。今冬はすでに在庫がなくなっている可能性が高い。お風呂や洗面所、台所は真水しか出ず、厳しすぎる冬になるかもしれない」と語った。

社会の至る所に

 自動車業界から給湯器にまで影響を与える半導体。そもそもは一定の条件で電気を通す電子部品を指していた。一定以上の年齢の人にはラジオでおなじみのトランジスタが代表格。照明でおなじみの発光ダイオード(LED)も半導体の一種だ。
 だが、不足が問題になっている半導体はもっと複雑なもの。技術の進歩で、小さなチップに半導体を集積した回路を載せ、情報を処理したり記録したりできるようになった。ニュースで不足が報道されているのは、これだ。今では、エアコンの温度管理からパソコン、スマートフォン、軍事兵器まで、社会の至る所で使われている。
 なぜここまで不足しているのか。経済アナリストの中原圭介さんは「自動車の半導体で言えば、製造の中心が人件費が安いマレーシアなど東南アジア。新型コロナの影響でロックダウンし、工場が閉まったことが要因」と説明する。
 さらに、日本国内で製造していたルネサスエレクトロニクスの那珂工場(茨城県ひたちなか市)で三月に火災が起き、操業が一時止まった。「悪いことが重なった。サプライチェーン(供給網)が世界中で構築され、どこかが止まると、他の国でも生産が厳しくなる」
 その半導体が経済の命運を握っている。
 第一生命経済研究所の藤代宏一・主任エコノミストは「半導体の供給が止まれば、国の経済活動を止めることにもつながる。二〇一八年ごろからの米中貿易摩擦で、半導体は安全保障の観点から語られるようになった。食糧と同じぐらい重要だ」と語る。そんなこともあり、「産業のコメ」と呼ばれることもある。

日本のシェア低く

 コメならば自給自足したいところ。だが、経済産業省によると、一九年の売上高のシェアは日本が10%、米国が50・7%、韓国が18・4%だった。メーカー別では、米国のインテルがトップで、サムスン、SKなどの韓国勢が続き、日本は東芝の流れをくむキオクシアが九位に出てくるだけだ。
 三十年余り前はそうではなかった。「日の丸半導体」と隆盛を誇り、一九八八年の売り上げは、日本勢が世界の半分以上を占めていた。メーカーもNECや東芝、日立、富士通、三菱、松下と十位以内に六社入っていた。それが九〇年代以降、凋落(ちょうらく)していく。経産省の分析では、八〇年代の日米貿易摩擦で規制が強まり衰退したほか、技術革新や他国企業との協力が遅れたことなどが理由に挙げられていた。
 最近の半導体不足を受け、経産省は十五日、支援策をまとめた「半導体産業基盤緊急強化パッケージ」を示した。国内の生産基盤を強化するため、先端工場の誘致や既存工場の設備の増設などで支援する。スマホなどで使う最先端の半導体ばかりでなく、自動車や給湯器に使う簡素で収益性の低い半導体にも力を入れていくということだ。
 とはいえ、経産省情報産業課の羽原健雄課長補佐は「安定的な供給体制をつくりたい。具体的にはこれから」と話す。対策の効果が出るまでには、まだ時間がかかりそうだ。

乾きやすい下着

 だが、もうすぐ半導体不足の真冬がやってくる。もしも給湯器が壊れたらどうすればいいのか。
 ボーイスカウト日本連盟広報担当の木本史郎さんは、風呂に入れないときの対策として「乾きやすい下着にする。温タオルで汗を拭き取り、清潔に保つこと。汗で湿気がこもると、体を冷やす原因になる。ベトベトだと気分も悪い。さっぱりすれば、温かさにつながるのではないか」と提案した。
 

 


配達じゃなく情報収集ですか 転居、自動車保有 郵便局データ販売案 (2021年11月18日 中日新聞)

2021-11-18 12:11:38 | 桜ヶ丘9条の会

配達じゃなく情報収集ですか 転居、自動車保有…郵便局データ販売案

2021年11月18日 中日新聞
 
 郵便局が持つ市民の情報をビジネスに活用するための議論を総務省が始めた。地図情報を利用する業者に居住者情報を販売する案などで、議論の行方によっては市民生活に大きな影響を及ぼしかねない。日本郵政グループの業績は右肩下がり。新たな収益の柱を生み出したい思惑がにじむ。とはいえ、地域に根差してきた郵便局が市民の情報を基に商売するのは抵抗感がある。慎重な議論が必要ではないか。 (石井紀代美、中山岳)
 「新たにデータを活用したビジネスを行う際に、どのデータを使っていいのか、どういうことはやっていけないのか。そういうことを整理したガイドラインを作るための検討会だ」
 総務省郵便課の松田昇剛課長は語る。検討会とは、先月十五日に始めた「郵便局データの活用とプライバシー保護の在り方に関する検討会」のことだ。金子恭之総務相は初会合で「郵便局を通じて保有するデータを有効活用し、新たなビジネスモデルを構築することが郵政事業の持続的な成長に欠かせない」と発言。積極活用したい考えを鮮明に打ち出した。
 全国に約二万四千ある郵便局は、保有するデータも多岐にわたる。住所、氏名、転居情報、電話番号、郵便物の発送データなどがそうだ。要するに、こうした膨大な量の情報を民間企業に提供、販売するなどし、新たなビジネスとして活用しようというわけだ。どんな活用法が考えられているのか。
 総務省や配布資料によると、エリアごとの郵便物配達のデータを分析し、地域の経済活動の「見える化」を図る。配達量の多寡から経済動向が分かるため、企業が出店を考える時の判断材料に使ったり、民間シンクタンクが提言のための参考情報として用いたりすることを想定する。それにとどまらず、地図を作ろうとしている企業に対し、住所や住人名などの居住者情報を一定程度含むデータを売ることも念頭に置く。
 さらに、検討会メンバーに事前配布された資料には、こんなことも。郵便局員が日常の配達業務の中で知り得た住居の種類や階数、自動車の保有の有無や台数を収集しデータ化。個人が識別できないように地域ごとの統計データに加工し、不動産業者や車のディーラーに提供することも可能か検討するという。
 ただ自動車保有の情報収集には、検討会メンバーから異論が上がった。「郵便配達員がそのような情報収集の役割を要求されること自体がどうなのか。日本郵政にそのような展望がもしあるなら正していきたい」という具合にだ。
 松田課長は「やろうと思えばできるが、さすがにやったらまずいよねという意味で記載した」と釈明した上で、「ガイドラインを作って、やれることの限界を決めておく必要性を伝える」と述べる。
 郵便局データの活用が行き過ぎると、さすがに気味が悪い。中央大の宮下紘教授(情報法)もくぎを刺す。「個人情報保護法上、個人情報を取り扱う際は、利用目的を特定しなければならない。郵便物を届けることを業務にし、そこで知り得た秘密や個人データをビジネス活用するとなると、別の目的に使うことになる。現状の法では許されていないからこそ、新たなガイドラインを作るのだろう」
 一般の人たちに郵便局データのビジネス活用について尋ねてみると、知っている人はいなかった。
 東京都江東区の無職男性は「車とか家の形状とか、黙って集められるとしたら、かなり気持ち悪い話。自分の情報がどこまで広がって、何に使われるのか分かりませんしね」と語る。
 目黒区の検査技師の女性(48)は「かんぽの保険で不正があったのと同じグループでしょう。ちゃんと個人情報を取り扱えるのか不安」と顔をしかめる。
 全国に広がる郵便局のネットワークに絡めて語ったのが、中野区のアルバイト女性(25)だ。「本来は郵便物を配達するために、多くあるはずなのに。そこで働く人たちを情報収集要員として使うのは、ちょっと違うんじゃないか」
 市民の反応は、かんばしくない。日本郵政グループは、どう考えているのか。
 日本郵政広報部は「検討会の主催は総務省。日本郵政はオブザーバー。今後の議論を踏まえてお客さまに便利な新サービスを作りたい」と述べるにとどまる。
 総務省がどうかと言えば、前のめり姿勢がにじむ。来年七月には早々と、データ活用のガイドラインやロードマップをまとめようとしているからだ。
 「新たな事業で郵政事業の成長を」という思惑は分からないでもない。郵政民営化に踏み切ったものの、日本郵政グループは業績不振が続いている。
 二〇一九年度の状況を見ると、ゆうちょ銀行の預貯金残高は一九九九年度の約三割減に。かんぽ生命保険の契約件数も一九九六年度から約四割減。日本郵政グループ(連結)の決算では、経常収益が約十一兆九千五百億円で、一〇年度の約十七兆四千六百億円から約三割減った。
 とはいえ、日本郵政グループの経営感覚や体質を考えると、デリケートなデータを扱わせていいかという疑問が湧く。
 一九年に発覚したかんぽ生命の不正販売問題では、新旧の保険契約で保険料を二重徴収するなど、顧客に不利益な契約が九万件超に上った。経済ジャーナリストの磯山友幸さんは「不正の本質は、多くの顧客が郵便局を信頼していたことにあぐらをかき、国営だった時代から保険販売の厳しいノルマを課していたことにある。こうした体質が改善されたとは言えなかった」と指摘する。
 二〇年一月、いずれも民間出身で日本郵政グループの幹部がそろって引責辞任。その後任には、現在の増田寛也社長をはじめ、官僚出身者が占めた。磯山さんは「経営陣や中堅幹部に官僚出身者が増えた結果、自浄能力に欠け、経営感覚が甘さがあった民営化前に戻ったかのようだ」と語り、「いま、データ活用を検討するのは慎重になるべきだ。多くの顧客も納得できないだろう」と続ける。
 問題は他にもある。
 かんぽ生命の不正販売問題を追及したNHK番組を巡り、日本郵政がNHK会長に抗議。その後に番組続編の放送が見送られるなどし、郵政側の介入だと批判が起きた。昨年九月にあったゆうちょ銀行の貯金不正引き出し問題では、公表や対策が遅れて被害が拡大。先月には、日本郵便の経費で購入したカレンダーを一部の郵便局長が支援する国会議員の後援者らに配った疑いも浮上した。
 青山学院大の八田進二名誉教授(職業倫理)は「不祥事が続く日本郵政グループに、多くの国民は不信感を抱いている。新たなビジネスモデルを確立する必要性はあるにせよ、時期尚早ではないか」と述べたうえ、「まずは失われた信頼の回復を図ることが重要だ」と求めた。
 

 


第2章 封印された郭の恐怖1945〜52年 (2021年2月1日 中日新聞)

2021-11-15 12:12:59 | 桜ヶ丘9条の会

第2章 封印された核の恐怖 1945~52

2021年2月1日 

東京電力福島第一原発事故は、原発の「安全神話」を根底から覆しました。事故当時、約50基もの原発が稼働していた日本。世界唯一の被爆国でありながら「原発大国」へと変貌を遂げたのはなぜでしょうか。2012年8月~13年6月までの長期連載では、戦後政治に多大な影響を与え、今も日本外交の基軸をなす日米関係を手がかりに、未公開資料や100人以上の証言などから、その謎を解き明かしました。加筆し書籍化もされた「日米同盟と原発」の原稿を掲載します。本文中の肩書きや括弧内の年齢は当時です。「現在は……」などと断りを入れてある年齢は、取材時点です。敬称は省きました。

 太平洋戦争末期の1945(昭和20)年8月、広島、長崎に相次いで投下された米軍の原爆。人類が初めて経験した「核の恐怖」はその破壊力はもちろん、何十年にもわたって人々を苦しめる深刻な放射能汚染だった。ところが、日本は戦意喪失を恐れ、また米国も国際的な非難を避けようと、大量被ばくの実態を公にしようとしなかった。原子力の隠蔽(いんぺい)体質は「平和利用」と名を変えた60余年後の東京電力福島第1原発事故でも繰り返される。終戦から米軍占領期までの戦後日本が広島、長崎の悲劇とどう向き合い、その後の原発開発へ歩みを進めたのかを検証する。
 

1945年10月、原爆の爆風で建物が吹き飛び、がれきに変わった広島市中心部。撮影地点は爆心地から120メートル=広島平和記念資料館提供

死の街ヒロシマ

 広島の原爆投下から二日後の一九四五(昭和二十)年八月八日。戦時中、陸軍の要請で原爆開発「ニ号研究」を指揮した理化学研究所の仁科芳雄(54)は東京・羽田から軍用機で、広島に飛んだ。陸軍中佐、新妻清一(35)ら軍の技術将校も同行した。
 米大統領トルーマンは投下直後、米国民に向けた声明で、世界初の原爆使用を宣言。仁科らは出発前、旧知の記者を通じて、その内容を知らされた。日本の科学技術では到底無理だった原爆開発に、米国は本当に成功したのか。仁科らの任務は現地で、それを確かめることだった。
 広島の上空に差しかかったのは八日夕。低空で二、三周旋回した。窓の下に西日に照った街が広がった。市中心部は焼け果て、二キロ先の家屋まで爆風で壁がえぐられていた。
 ニ号研究で仮定した原爆の威力とほぼ一致するすさまじさだった。広島入りする前、ある程度の覚悟を決めていた仁科ですら、その惨状に息をのんだ。飛行場に降り立つと、顔や腕に包帯をした警備兵が並んでいた。「市の中心上空にピカッと大閃光を放ったものがあり、それと同時に光の方向に向かっていた人は露出部をやけどした」。彼らは投下直後の様子をそう語ったという。戦後の四六年に発行された雑誌『世界』への寄稿文で、仁科は当時の模様をこう振り返っている。「死の街の様相を呈していた」
 仁科は八日のうちに、鈴木貫太郎内閣の書記官長、迫水久常(43)に電話で報告した。「残念ながら原子爆弾に間違いありません」
 仁科の関心はむしろ、原爆の放射能が人体に与える影響にあった。ニ号研究でも、研究者は定期的に耳たぶから血液を採取し、白血球の数値に異常がないか調べていた。
 「もし、軍人や患者の白血球の数値が低下していたら、危ない。すぐに別の場所に移しなさい」。仁科は将校にそう指示し、広島まで送り届けたパイロットには「あなたは早く引き返しなさい」と忠告した。
 だが、第一人者の仁科が原爆と認めたにもかかわらず、当時の内閣や軍部はその事実を握りつぶした。放射能による被ばくを隠すためだった。投下後も何十年にもわたり人間を苦しめる原爆。そんな「大量殺りく兵器」で攻撃を受けたことが分かれば、国民はおびえ、戦意を失うのではないか、と恐れた。
 そう思っていたやさきの九日、今度は長崎に原爆が落とされた。
 仁科とともに広島入りした陸軍中佐、新妻ら軍部は翌十日、ひそかに報告書をまとめている。広島の被害状況などから「原子爆弾ナリト認ム」と明記した上で「放射能力ガ強キ場合ハ人体ニ悪影響ヲ与フルコトモ考ヘラレル。注意ガ必要」と、放射能の危険性をはっきり指摘していた。
 その新妻が手書きした報告書の草案が、広島平和記念資料館に保管されていたことを本紙は突き止めた。草案によると、爆弾はその威力やフィルムが放射線で感光していたことなどを根拠に原子爆弾と認めた上で「ベータ線ノ作用アル疑アリ」と、拡散した放射能による被ばくの危険性を指摘してあった。ところが「人間ニタイスル被害ノ発表ハ絶対ニ避ケルコト」との一文が盛り込まれ、公表を控えるよう指示していた。広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師は「非公表の指示は軍部の意向だと思う。国民の戦意喪失や広島への救援活動の停滞を恐れたのだろうが、まさか文書で残っていたとは。原爆投下直後の大本営の情報統制を裏付ける資料」と話している。
 結局、報告書の存在は戦争が終わるまで公になることはなかった。
 大本営は八月十五日の終戦まで、広島、長崎の爆撃を「新型爆弾」によるものと言い、原爆を隠し続けた。検閲下の新聞紙上で、長崎に続く今後の対処法として、やけどや爆風への注意を呼び掛けたが、放射能には触れずじまいだった。
 

仁科が原爆直後の現地調査を記録した大学ノート。投下からきのこ雲が上がるまでの様子を記した図が描かれている

 こうした軍部の対応を科学者、仁科はどう見ていたのか。
 仁科の次男で、現在は八十歳の名古屋大工学部名誉教授(原子力工学)の浩二郎は当時、中学生。玉音放送が流れた十五日、広島、長崎の調査を終えて理研に戻った仁科が「『軍人は何度言っても、原爆だと認めようとしなかった。閉口した』と話していた」と証言する。
 仁科は八日間の現地調査の間、被ばくの危険性が高い爆心地付近にあえて足を運び、鉄の破片や小石を拾い集めた。放射能汚染を調べるサンプルだった。
 被ばくの症状や田んぼの土壌汚染、変死した川魚など科学者の視点で現場を見つめ、大学ノート二冊に手書きした。ノートは原爆直後を知る貴重な資料として、今も仁科記念財団(東京都文京区)に眠っている。
 日本の原爆開発を担った仁科が調査に没頭したのは果たして知的好奇心か、罪滅ぼしか─。生前、誰にも話していないが、次男、浩二郎は「父は死を覚悟していたはず。科学者の責任がそうさせたのだろう」と推測する。

悲劇は「日本の宣伝」

 「核の恐怖」を隠そうとしたのは、原爆を投じた米国も同じだった。
 広島の原爆投下からちょうど一カ月たった一九四五(昭和二十)年九月六日。東京・帝国ホテルの一室で、米軍将校らが海外の報道陣を対象に、広島の状況に関する非公式の説明会を開いた。戦争が終わり、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の支配下に入っていた。
 説明会で、主に発言したのは米原爆開発「マンハッタン計画」の副責任者、米軍准将トマス・ファレル(53)だった。ファレルは「原爆で死ぬべき者は全員死んだ。現時点で放射能に苦しむ者は皆無だ」と述べ、放射能の影響が長期に及ぶことはない、と強調した。
 広島の現地ルポを報じたオーストラリアの記者が原爆投下から数週間後に市内の川で魚の群れが死んだという目撃談をぶつけると、ファレルはこう反論した。「君は日本の宣伝の犠牲になったのかね」
 戦争が終わると、日本は一転して広島、長崎の原爆を公式に認め始めた。
 終戦翌日の四五年八月十六日付の新聞は「爆発後、相当の期間、かなり強力なベータ線及びガンマ線などの放射線が存在する。……ある程度以上強い場合には人体に影響を与えることも考えられる」という仁科芳雄の談話を掲載した。広島で被ばくした劇団女優が頭髪をなくし、ついに死を迎えたという記事も。日本国内で米国の「非人道性」を糾弾する論調が高まっていた。
 ファレルは、帝国ホテルでの説明会から六日後の九月十二日に開いた記者会見でも「現時点で危険な量の残留放射能は測定できない。放射能で傷害を負った人は爆発時の照射の影響を受けただけだ」と、繰り返した。
 米国にとって、予期せぬ結末だったからではない。それどころか、米国は原爆投下前から放射能の影響を分析していた。それを裏付ける文書が米公文書館に残っている。
 「戦争兵器としての放射能」と題された四三年七月二十七日付の公文書。戦時中、機密扱いだったこの文書には、マンハッタン計画の一環として、主要科学者たちが放射能の毒性を検討している様子が書かれている。
 科学者らは「大量に使われるほど大きな傷害を与える」「(攻撃を受けたら)全軍を避難させ、すぐ爆心地の放射線量を測る必要がある」など、まるで自ら言い聞かせるかのように放射能の恐ろしさを語っている。
 報道などを通じ、明らかになりつつあった広島、長崎の悲劇。GHQは四五年九月十九日、「プレスコード(新聞規制)」を敷き、原爆報道を厳しく制限した。米国内でも一部の科学者らが核の残虐性に批判の声を上げており、国際的な非難に広がることを恐れた米国は情報統制を一段と強めた。
 ファレルの上司で、マンハッタン計画責任者の米軍准将レスリー・グローブス(49)が四六年六月十九日に陸軍長官パターソンに送った公文書にはこう書かれてある。
 「(米国の)医師団による分析が完了するまで、放射能については公式声明を出さないでほしい。強調した表現は、扇情的な報道につながる」
 GHQのプレスコードは、占領期の終わるサンフランシスコ講和条約発効の五二年四月まで続いた。その間、広島と長崎の被ばく者たちの苦しみは、世間の目から遠ざけられた。

20万人以上の「実験」

 一九四五(昭和二十)年九月、日本は復興への道を歩み始めた。焼け跡に闇市が出始め、バラック小屋が並んだ。東京では国民学校が再開。歌手並木路子(23)の「リンゴの唄」がはやり、みんなが口ずさんだ。だが、原爆で街じゅうが焼き尽くされた広島と長崎だけは別だった。
 現在九十五歳の肥田舜太郎は当時、広島市駐在の軍医。原爆投下時、市郊外で往診中だった。爆心地から北に七キロ離れた山あいの村を拠点に被ばく者の治療にあたった。
 押し寄せた人波は皮膚を垂らし、口から黒い血をこぼしていた。「ただ死んでいくのを見ていただけ。正直、何もできなかった」と、当時を振り返る。
 当初はやけどで息絶える人が多かった。投下の四日目から様子が変わる。目尻や鼻から血を流し、頭をなでると毛が抜けた。「どうなってるんだ」。途方に暮れた肥田がさらに驚いたのは、その一カ月後。同じ症状でも「わしは原爆にあっとらん」と訴える患者が続いた。
 大本営が国民の戦意喪失につながるから、と原爆の事実を隠したのが原因だった。「『どうして私は死ぬんですか』と聞きながら死んでいく。一人一人の死がこたえたね」と肥田は振り返る。放射能の危険性をまったく知らされず、投下後、身内の安否確認や救助のため市内に入った人たちが「死の灰」を浴び、体内に取り込んでいた。
 投下二日後に広島市に戻った現在八十三歳の高橋昌子もその一人。当時十六歳の女子高校生だった。
 祖母の看病で岡山県にいた高橋は、姉を捜しに爆心地近くの実家に帰ると、台所で姉は真っ白な骨になっていた。指をやけどしながら骨を拾い集めた。「はあー」ともらしたため息の後、放射性物質を含んだ粉じんなどを吸い込み、内部被ばくした。
 一カ月後に異変が生じた。高熱、じんましん、下血……。治まっては再発する原因不明の症状が三十年近くも続いた。健康診断で訪れた病院で問診を受け「あなたは被ばく者です」と告げられた時、五十歳を過ぎていた。診察を担当したのは、広島での体験から被ばく医療に携わってきた肥田だった。
 高橋は言う。「体の不調は体質だと言い聞かせてきた。何も知らされずに生きてきたのが悔しくて、涙が止まらなかった」
 高橋のように原爆投下後、爆心地付近を訪れた「入市被ばく者」は広島、長崎で十万人以上ともいわれる。爆心地から十キロ以上も離れた場所で放射性物質を含んだ「黒い雨」を浴びて被ばくした人も。
 広島原爆から七年後の五二年、高橋の元をジープに乗った二人組の米国人が訪れている。復員した男性との間に長男をもうけたばかりだった。
 通訳の日本人は「ABCCの調査です」と告げただけ。ABCCは全米科学アカデミーが四六年、日本に設立した原爆傷害調査委員会の通称だった。
 言われるままに、布団に横たわると、米国人は太い注射器で母子の血を抜き取った。手土産代わりにせっけんを枕元に置くと、採血液を大事そうに抱えて立ち去った。「体の不調のことが分かるかも」。貧しくて医者にかかれなかった高橋は期待した。だがその後、今に至るまで何の連絡もない。
 

放射能で被ばくした被害者を調べる米ABCCの医師ら=全米科学アカデミー所蔵、高橋博子広島市立大広島平和研究所講師提供

 ABCCは広島や長崎で被ばくした人たちの健康状態や胎児への遺伝的な影響を調べていた。学術研究が目的とされたが、実際は米国の核兵器研究のデータ集めの側面が強かった。資金提供を申し出たのは、原子力のエネルギー利用などを目指す米政府の原子力委員会だった。
 当時、ABCCの日本人スタッフだった現在八十一歳の山内幹子は「米国人の上司から正確な調査が最優先だと教え込まれた。核爆弾の殺傷能力を研究するのが目的でした」と打ち明ける。
 ワシントンの米公文書館に五〇年十一月に開かれた米原子力委の議事録がある。生物医学部長シールズ・ウォーレンは「われわれは、広島と長崎から二十万人以上の実験結果を得ることができた」と発言している。
 

1950年11月に開かれた米原子力委員会の会議録。ウォーレン生物医学部長は「長崎と広島の20万人以上を含む実験結果がある」と発言した

 ABCCの調査結果は、日本の被ばく医療に役立つことはなかった。軍医として原爆治療にあたった肥田は戦後、民間医師の立場で被ばく患者の救済に取り組んできた。「米国が治療やデータ公表に前向きだったら、被ばく者医療の質は格段に向上していたはずだ」と言い切る。
 肥田は、いつ発症するかわからない内部被ばくこそ核がもたらす大きな罪と考える。深刻な放射能汚染を引き起こした福島第一原発事故もそう。
「ただちに健康被害はありません」と繰り返す政府高官の姿を見て「危険性を隠そうという論理は原爆も原発も同じ」と憤る。
 福島事故後、九十歳を超える肥田は全国百五十カ所以上を回り、低線量被ばくの危険性を訴えている。「広島、長崎の悲劇を福島で決して繰り返してはならない。それが医師としての私の務め」と話している。
 
 

 


中日春秋 (2021年11月13日 中日新聞))

2021-11-14 19:09:11 | 桜ヶ丘9条の会

中日春秋

2021年11月13日 
 <橇(そり)の鈴さえ寂しく響く/雪の広野(こうや)よ町の灯よ>。東海林太郎が歌った戦前のヒット曲『国境の町』はそう始まる。舞台はソ連に近い旧満州の町か。遠い古里と故国に残る人へ、募る思いが歌ににじむ
▼節は<一つ山越しゃ他国の星が/凍りつくよな国境(くにざかい)/故郷はなれてはるばる千里/なんで想いがとどこうぞ>と続く。寒風が吹く季節の異郷の景色が、心に冷たく迫るようだ
▼故郷を離れ、冬が近づく国境の森に今さまよっている人たちは何を思おう。ポーランドに近い旧ソ連のベラルーシ西部の森で、難民数千人が立ち往生している
▼西欧の見方によると、過去にない種類の攻撃が行われているという。ベラルーシが、遠く離れた中東から欧州行きを望んでいる人々を、欧州連合(EU)の一員の隣国ポーランドに送り込もうとしているそうだ。経済制裁を科してきたEUに、混乱をもたらすための「人間の盾」「駒」が難民であると指摘される
▼ポーランドは入国を拒んだ。行き場を失った人々に死者が出たとも報じられている。子どもも多いという難民を材料にした攻撃が本当なら、人道上許されないだろう。他国の星の下、駒になった人に異国の景色はどう映っているか
▼後ろ盾のロシアを含めEUとの関係が緊迫している。寒さは厳しくなっている。難民が凍りつくような目に遭わないことを祈りたい、国境の森である。