奇跡への絆

図師ひろき

雑感641

2014年02月05日 23時06分45秒 | Weblog

 中学生の時、“長渕剛”の大ファンでした。

 もちろん今も、ファンであることには変わりありませんが、中学生の時は、ラジカセで何度も何度もテープを再生しながら、一緒に歌っていました。

 高校生になると、どうしてもフォークギターが欲しくて、お年玉を貯めて、やっと高校2年の時にマイギターを手に入れました!

 当時のギター価格は、どれくらいだと思いますか?

 なんと、1万8000円でした!

 誰かに弾き方を習う訳ではなく、1冊ギター入門書のような本を買って、黙々と一人で練習をしました。


 コードを1つずつ覚え、アルペジオを少しずつマスターし、ぎこちないながらも弾ける曲が増えていきました。


 その頃は、部活動も一生懸命にやっている頃で、学校ではバレーに没頭し、帰宅後はギターに没頭し、必然的に勉強は・・・


 バレー部の仲間は、みんな長渕剛が好きで、競い合うようにギターも練習し、休みの日には誰かの家に集合し、ゴロゴロしながら長渕を弾いて歌っていました。


 次第に自分たちだけで口ずさむにあきてきた私たちは


 「コンサートをしよう!」


 と、ライブハウスの手配を始めました・・・


 とはならず、先輩の権限を最大限利用し、バレー部の後輩を自宅に集合させ、強制ライブを開催しました。


 後輩たちも気を遣ってノリが良く、派手な曲の時には一緒に盛り上がってくれました。


 私たちが代わる代わる何曲かずつ歌い、そろそろ最後の曲となり、私が十八番の“乾杯”歌いました。


 もうすっかりコードも歌詞もマスターしていたので、楽譜を見ることなく心を込めていたいました。


 すると後輩たちは、顔を伏せ、手を目がしらにあて、涙をふきながら聞いてくれているではありませんか!


 私はさらに熱唱し、曲の最後は必要以上に


 「君に幸せあ~~~~~れ~~~~」


 とビブラートをきかせました。


 歌い終わり、後輩たちからは拍手喝さいが・・・と思いきや・・・大爆笑でした・・・


 「図師先輩!感情入れすぎ!、演歌みたいでしたよ!」


 顔を伏せ、目がしらを押させていたように見えた後輩たちは、実は口をふさぎ、笑うのを必死で堪え、肩をふるわせていたのでした・・・


 それ以来ギターを持つ時間はめっきり減り、もちろん人前で歌うことがトラウマになったことは言うまでもありません・・・


 健全な高校時代のまぬけな1コマでした。