昭和20年は記録に残る豪雪だったそうな。
終戦の年、男手が著しく不足している年の豪雪。当時19歳のうちのばあさんは和南津トンネル付近の線路の雪を背負って運び出す人足に駆り出されて、重たい思いをしてそうで、一生忘れられない思い出だと。
昭和38年も3.8豪雪と呼ばれる豪雪だったとか。
この写真はそんな年のころか?後ろのかやぶき屋根のところまで雪がある。
子供のころは毎年このくらい積もっていたので、ニコニコしてますねぇ。
昭和56年も5.6豪雪と呼ばれている。58年も豪雪だった。
この写真は56年のもの。ユンボでのけてもらった後の写真だけど。
当時、冬稼ぎに小出の食品屋さんでアルバイトをしていて、日曜の度にこんな雪掘りをしていた。
20年、38年、56年と、18年周期の豪雪が心配されたが、平成11年は暖かい冬で、真冬に雨が降り続いた。
でもあの雨量が雪だったらきっとかなりの積雪量だっただろう。
中越大震災後の17年、18年と2年続きで4mを超える豪雪になった。
今年はどうやら2.3豪雪と記録されるでしょう。困りましたねぇ お兄さん。
昔も頑張れたのだから、今は機械がある分もっと頑張れなきゃいけない。
屋根の上から何を撮っているかというと、下でこちらを写している奥方。
そんな奥方も屋根に上がらないと間に合わないほど降り続いてます。
今年に入って1日中雪の降らない日はまだ1日もない。ちょっと異常ですね。
背の高い落下式屋根も とどいてしまって、、、
でも、除雪車があるので今の時代は楽なのです。モロオカ君、大活躍。
でも、主のいなくなった家は要注意。この家はもうすぐつぶれてしまうでしょう。
魚沼市豪雪災害対策本部に電話しましょう。下敷きになってからでは遅いすからねぇ。
今後こうった廃屋が増えるでしょう。社会問題です。
飯山も山間部はだいぶ積もってきたようですが、平地ではまだ1mくらい。平年よりも現時点では幾分少ないような感じです。でも、星が見えるような夜には、マイナス10℃を軽々と下回るような気温が続いています。灯油も重油も値段が上がっていて、頭が痛いです。
昭和51年か52年くらいも大雪ではなかったですか?高校時代、須坂へ通学していたのですが電車が不通になるから帰るようにと校内放送で流れ、慌てて電車に乗ったのはいいけど、私が降りる駅は通過し終点の湯田中駅まで行った、悲惨な思い出があります。吹雪の中歩いて帰りました。
58年はまたすごかったですね。
飯山へ嫁いだ年で、最悪の経験をしたので18年豪雪は二度目の経験です。
風邪など健康に注意してください♪
59年も酷かったよ。芝原トンネルで除雪が間に合わず何時間かかって家に着いた事か、 1番困ったのは私のトイレだったな~~。男はいいけどね、ハッポーの箱に雪を入れて車の中で、、、 ハハハ、笑い話です。
なんか、いい笑顔ですね。なにがうれしかったんだろう、、、。
昔の家の前の柿木の下枝まで、雪があるのはあたりまえだったねえ、、。
あんなに背の高い木だったのに。今年もよく降るみたいで、健康に気をつけてくださいね。
振り方には波があるので運の悪い地方が多く積もっているようです。でも、気温は高めかな。
今の電車は弱っカスで、すぐ運休します。
58年にもう結婚してたんですかー
そうかー
ほぼ毎日屋根の上か、除雪して会議。
子供のころはなんでもうれしいんだよね。
大人になるといろいろぶつぶつで、、、