しいかのブックトーク

毎月読んだ本や日常の諸々を記録します。

古風堂々数学者

2005-10-28 11:42:40 | こんな本読みました
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 藤原正彦  新潮社

 作者は、作家新田次郎と藤原ていの次男です。
新田氏は、あまりに有名。
藤原ていさんは、「流れる星は生きている」を読んだ印象が強いので、このおふたりの息子さんという事で興味を持ち、本を手にとりました。

 数学者でありながら、文章を書く力の素晴らしさは、親ゆずりなのでしょう。

 「数学は、うつくしい」 「ひとつの数式の証明に一生をかける人がいる」というのは、数学苦手な私には、驚きです。

 本書は、エッセイ集であり、色々なエピソードがありますが、彼は数学者でありながら、そして英語も堪能で海外へ行く事が多い身でありながら、教育、とりわけ国語学習に力をいれるべきと力説しているのです。

 小学校で英語を習うより、国語を勉強する方がよい、まずは自国の文化を、小学校でしっかり学ぶべきである、と。
国際社会に出たときに、語学より大事なものは、自分の国の歴史や文化を身につけていることなのだというのは、経験から言えることなのでしょう。



壊れる日本人

2005-10-28 11:15:49 | こんな本読みました
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 柳田邦男  新潮社

 サブタイトルに「ケータイ・ネット依存症への告別」とあります。
私は、たぶん、というかまちがいなく、依存症です。
この場合の依存というのは、仕事で使う以外の事です。

 携帯でのメールやりとり、PCでのメールは、毎日チェックしなければならないし、返信もしなければならない。
HPをもっていれば、管理や更新、掲示板のチェック、そして、このブログの更新、など、別にやらなくても生活に支障があるわけでないのに、「やらなくちゃ」と追われてしまう。

 そして、あちこちのHPみて、ネットサーフィンしたり、なんだかんだやっているうちに、みるみる時間が経ってしまう。
あるいは、PC作業していると、うまくいかなかったり、トラブルが発生して、それを直すのにえらい時間がかってしまう、などなど。

 こんな事してるより、家の掃除でもしたり、運動したりするほうが、よほど良いのに、と思いつつもやめられない、これは、一種の中毒ですね。

 柳田さんは、こういうの一切やっていないし、カーナビも嫌い。
すると、「どうしてパソコン使わないのですか」と聞かれるらしい。
PC使っている人は、こんな便利なもの、どうして使わないのか、不思議なのです。
それに、使わないのは、時代おくれ、みたいな目でみてしまう。

 便利なツールを使うのが、是か否かについては一概にはいえません。
けれど、この効率主義が、人間にとって大事なものをたくさん、そぎ落としてしまっている。

 そして、幼い頃からTVだの、ゲームだのに浸かって育つ子供たちと、犯罪との関わり。
「言葉の危機」、方言蔑視により標準語が浸透して、地方の言葉と文化が失われてしまう。

 世界的にも、強大国の言葉・文化・経済論理が、弱小国を制圧していく。

 このような諸々のことが、日本人をだめにしていくというのである。
では、そうならないためには、どうすればいいのか。
個々人では、幼児にTVをみせない、「ノーTV、ノー携帯デー」を作る、「ゆとり文化」の提唱などなど。

 便利さが日常化して、当たり前で、みえていなかったものを、気づかせてくれます。


海辺のカフカ

2005-10-14 16:09:58 | こんな本読みました
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村上春樹/著
新潮社 上下

 15歳の少年が、なにゆえに、突然旅に出るのか、理解できなかったのだけど、読み進むうちに、村上ワールドにぐんぐん引き込まれてしまった。

 カフカっていうと、あの『変身』のフランツ・カフカを頭に浮かべるけど、読んでいくと、「カフカとはチェコ語でカラスの意味」とわかる。

 少年カフカより、ナカタさんの物語に興味をそそられ、交互に書かれた物語を、ナカタさんの章だけ、先に読んでしまった。
 ネコと会話ができるナカタさん。
けど、頭が悪いってわりには、よくしゃべるぞ。
戦時中に、小学生が集団で気を失ったという事件もありそうな、かつあやしげな話。

 この小説に出てくる人は、みな、ドラマを背負っていて、饒舌である。
星野青年、大島さん、佐伯さん、さくらさん・・・。

 でも、そうなのかもしれない。
誰でも、人生の主人公であり、たくさんの物語を持っているのだから。

 ハッピーエンドでなく終わる、いやいや、終わっていない。
これから田村カフカの物語が、始まるのである。