しいかのブックトーク

毎月読んだ本や日常の諸々を記録します。

貧困大国アメリカ

2008-03-24 21:33:31 | こんな本読みました

Hinnkon  堤 未果 著    岩波新書

 9.11同時多発テロ以降のイラク戦争、出兵する兵士は愛国心から志願していくのか。

 ブッシュ政権による「落ちこぼれゼロ法」に名を借りた、個人情報の収集により、軍のリクルーターが言葉巧みに高校生を勧誘。

格差社会による、貧困層、永住権という餌につられた移民、自由診療という保険制度の為、中流から一気に貧困層に落ちた人達、大学や大学院を卒業しながら、ワーキングプアとなる若者など、生きていくためにやむなく戦争に参加する者がほとんどなのである。

 戦争が、ビッグビジネスになるという。

 民間からの傭兵、派遣会社からの民間人。 これらは、戦死しても政府からの補償はないのである。

 民間の医療医療保険の実態が、わかりやすくかかれている。

「いのちにかかわる事を民間にまかせてはいけない。国が責任を持つようにしなければいけないのだ」という言葉に強い説得を感じた。


読み聞かせって・・・

2008-03-15 13:18:56 | 思うこと

 昨年秋より、並行して、県立図書館主催『おはなしボランティア指導者養成講座』と、JPIC『読書アドバイザー養成講座』を受講して、ものすごくたくさん考えるきっかけがありました。

 県立図書館のは、全13回の受講が無料な代わりに、縛りがあり、ここで学んだ事を、他の団体で講師として、講習しなければならない。

 私がいままで経験した、おはなし会の事、読書活動を伝えるよいチャンスと、非常に張り切ったのですが、何でも話していいわけではないらしい。

 講習中、ずっと違和感を感じていた事があります。

 それは、「読み聞かせ」に方法があり、「絵本の選び方」にルールがあるという事。

 初めて読み聞かせをした当時は、どうやってするのか、どんな本を選ぶのか、教えてほしくて、その手の講座で、先生の話す事を「なるほどなるほど」とうなづき、これが正しいのだ、と信じていました。

 もちろん、理にかなった、当然のことばかりで、もっともなのですが。では、一体誰が、これを確立したのでしょう。

 読み聞かせの歴史はまだ浅く、この活動が始まった時にこれを考えて、方法論を作った人達がいるわけで、今日それが《王道》として、流布しているのです。

 あちこちの講習会に参加しましたが、どこでもほとんど同じ方法論で、見本とする絵本も、みな一緒。 それって、おかしくないですか。

 要するに、その、元の所で得た知識を、そのまま伝えているわけで、たどっていくと、きっと同じ所にぶつかるのだと思うわけです。

 講師の先生は、大学で、読み聞かせについて、絵本の選び方についての講義をしている方。 

「読み聞かせ」が授業になるなんて、学問として系統づけされるなんて、というのが私の驚きでした。

 もちろん、それは、初心者、これから学ぶ人たちには、よい事なのだけれど、何て言うかな、そんな風に【きまり】を作ることにおおいなる抵抗があるのです。

 華道や茶道やその他芸能でも、昨今はいろんな亜流があるわけで、こういう風に読み聞かせをがんじがらめにする講習というのに、とても反感を覚えた次第です。

 それは、私自身が6年以上、数百回の読み聞かせやおはなし会での体験で得た感覚であって、私としては、そういう体験を伝えたいのだけど、先日の報告会では、私のやり方に批判がありました。

 図書館の方は、「県立図書館から派遣される講師として、ここで習った事以外のものは必要ありません」とおっしゃる。 それに賛成する人もあり。

 つまりは、図書館からという看板を背負ってよそへ行って、余計な事はいわなくてよろしいと、トラブルを避けたい、保守的な考えからで、私は、その石頭に非常なる、怒りを覚えました。

 私が実際に行ったら、教科書通りでなく、思うままを講習してしまうだろうから、県立図書館の講師にはふさわしくないんだろうな。

 語りにしてもしかり。

 語りの蘊蓄も、ひとつの場所から発生していて、語りに使うおはなしも、これこれでなければならない、という講義でした。 オチがあっちゃいけない、とか、ただ面白い話はだめだ、とか、古典にこだわる内容で、これもおかしな事です。

 また、語りをする人の中には、語りのみしかしていなくて、長いおはなしを一生懸命暗記して、10分、20分と話す人もいて、それを聞くこども達が、とても喜んで集中して聞くのだといいます。

 確かにその通りなのでしょうけど、それだけじゃ、つまらなくないですか?

 囲いの中から出られず、一方的におはなしを延々と聞かされるのに、苦痛はないのかな。

 語りをする人は、自己満足の世界なんじゃないか、って思ってしまう。

 県立図書館としては、その、語りだけする人を優秀として、尊重する態度であり、そんなの、絶対に変だって、思うのは私だけなのでしょうか。

 同時進行での受講の『読書アドバイザー養成講座』は、読書活動や本についてのグローバルな講座で、高い授業料払っただけあり、内容の濃いものでした。

 両方を並行して受講したおかげで、たくさん考えられたのです。受講生のジャンルも違いました。 

 県立図書館は年配で専業主婦が多かったけれど、読書アドバイザーは職業を持った人が多く、男性もいる。 自分の仕事に生かそう、とか学んでいこう、という姿勢がはっきりわかります。

 つまりは、何をいいたいかというと、私の自分の考えとしてですが、読み聞かせ、語りなどの読書活動には、その技術だけを学べばいい、というのではないという事。

 読み聞かせをしているから、絵本しか読んだ事がない、自分の読書はほとんどしない、とか、語りをやっているから絵本には興味がない、とかは論外の事、本に関わるすべての知識を持ち合わせた人がやる読み聞かせは、きまりを超越したものになるのではないか、それが私のめざすもので、もちろん、全然程遠いのだけど、私の理想です。

 それと、押し付けはよくない。 私の理想も、人に押し付けるつもりは毛頭なく、みな、それぞれが自分の信念のもと、好きなように活動すればいい。

 人間が集まる所、どこでもさまざまな意見があり、食い違いも多々あるけれど、自分なりに他の話を聞きつつ、消化して、やっていけたらいいな、と思うのです。