しいかのブックトーク

毎月読んだ本や日常の諸々を記録します。

秩父の婆衆

2005-06-30 16:25:34 | こんな本読みました
titibunobaba

 高田哲郎/著  民衆社

 先日、公民館研修で秩父、両神村へ行った折、お土産物店においてあり、「読みたい」と思ったのですが、2300円の値段に躊躇して、帰ってから図書館でリクエストして取り寄せてもらいました。

 12人の100歳近い年齢の女性の、それぞれの一生を、聞き書きの形でまとめてあります。
皆、秩父出身の女性であり、両神村はもちろん、近辺の村々出身者。
その中に、戦友として名がでている人が、家のすぐ近所の住所で、びっくりしました。

 人の一生というのは、どんな人間でもドラマチックで、それだけで大河ドラマができます。

 秩父の山奥に生まれ育ち、しかも明治の時代に生まれれば、苦労はたくさんあり、今日ではとても想像できない生活ばかりです。
 不便な土地、貧乏、で働きづめに働いて、嫁いだ家も貧乏。
結婚しても、夫や息子が戦地にとられ、戦死して・・・というのが共通している。

 けれど、やはり共通しているのは、「大変な一生だったけれど、今は幸せ。この歳まで生きてよかった」という事。

 先人の知恵を学ぶというのは、大事なことで、今現在に生きている自分は、周りしか見えない。
この先の予測がつかないから、不安や不満が生まれる。

 TVや映画のように、最後がわかったら、どうだろう。
結果として、いくら頑張っても、無駄というのもあるはずで、では、だからやらずに避けたほうがよかったのだろうか、というとそれだって、わからないことなのだ。
時間は流動的であり、おおまかでは変わらないが、細かい部分は少しのできごとで、いかようにも変わっていく。
人間ひとりの一生は宇宙規模、地球規模では、微小なものなのだから。

 また、人間は、いつの時代でも、どこの国でも、考えること、感じることは同じで、たまたま時代や生活環境が苦しいところに生まれても、自分の志を貫くことで逆境を乗り切っていくのである。

 それぞれ、顔写真がでているが、深い皺にきざまれた顔の中で、目はしっかりと前を見据えている。




もったいない読本

2005-06-30 15:16:00 | こんな本読みました
  岡田伸浩/著  バロル舎

 今までの紹介本は、比較的新刊ばかりでしたが、これは1993年刊なので、12年位前のもの。
 書店にもおいていないかもしれないので、購入は、こちらへ↓
 http://www.bk1.co.jp/product/00964125/?partnerid=p-parolsha24786#top


 これからは、ちょっと前のものも、とりあげていきます。

 ノーベル平和賞のワンガリ・マータイさんが、『MOTTAINAI』を提唱して、にわかにクローズアップされてきた、「もったいない」ですが、ずっと以前より「もったいない運動」を続けている人たちもいるのです。

 著者は、(社)日本青年会議所会頭,(株)横浜岡田屋専務取締役 という肩書きがあります。
日本青年会議所の「もったいない運動」に賛同する、有名人や、こども達の「もったいない作文」から構成されています。

 私は、アルファベットで書く『MOTTAINAI』が、マータイさんの専売特許だと思っていたら、宮崎緑さんが、この時に『もったいない』を、世界に共通する言葉ローマ字の『MOTTAINAI』にするべき、と言っていました。

 「もったいない」という語に相当する言葉は、なかなか外国語にはないといわれているけれど、藤川浄之氏はフランス語で「ケル・ガスピャージュ」(何と無駄な!の意)と書いています。

 また、フランソワーズ・モレシャンさんは、もったいないからと、何でもとっておくのがいいわけではない、生活には、美的感覚が必要である。
大事な精神ではあるが、形式的な使い方をしないように、と言っています。 うんなるほど、その通りです。


いま、会いにゆきます

2005-06-30 14:10:14 | こんな本読みました
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市川拓司/著  小学館

 読んだのは、だいぶ前ですが、6月24日に映画のDVDが発売され、主演の中村獅童と竹内結子が婚約と、話題性があるので、とりあげます。

 昨年の10月末に映画が公開され、まず映画から観ました。
友人4人で観て、感動して、次は娘ともう一度。
中学生にも十分、何か感じるものがあり、それでは、と本を購入したのです。
娘は、学校の読書の時間に、これを読みました。

 本からの映画化って、どちらを先にするかで、感じ方が違ってくるのだけれど、今回映画が先だったので、どうしても、登場人物のイメージが映画とだぶってしまう。
こども時代の佑司君役の男の子が、可愛くて可愛くて、演技も抜群に上手なのです。

 映画と本では、多少の場面設定が違うけれど、内容的にはほぼ原作通り。
原作では、散歩の時に会う、老人の役割が、映画の中の病院の先生に置き換わっている。

 「何度出会っても、同じ人をすきになる」・・・こんな運命の出会いがあるなんて。
6週間だけ、帰ってきたママとは、どこかへいくわけでもなく、誰かと会うわけでもない。
普通の日常が、家族でいるというそれだけで、こんなに幸せ、というのに気がつくものがあります。

 関連本は、いくつか出ていて、菊月かおり『澪の物語』も一緒に読みました。
これは、澪の視点から書いたもの。

 誰の視点か、によっても、感情の移入が違うと思う。
でも、だれの気持を思っても、せつなさに胸がしめつけられます。


わらし仙人の30倍速読術

2005-06-24 12:59:24 | こんな本読みました
warashisennnin


 わらし仙人/著  ゴマブックス

  私は、本を読むのが遅くはないです。 もしかしたら、人よりちょっと早いかもしれない。
「人」というのは、あまり読書をしていない人、の事。

 活字というのは、毎日読んでいると、だんだん早く読めるようになるもので、これは訓練なのです。
本を読まないでいると、どうしても1冊読むのに時間がかかり、時間がかかると、だんだん読むのが面倒になってくる。

 そう、読めば読むほど、早くなる、これは当然ですね。
では、なぜ、早く読めるほうがいいの?

 それはもちろん、たくさん読めば情報量が増えるから。
こどもの頃から、この訓練を積んでいく、というのは、とても大事な事です。

 だから、こども達に、本を読むのが好きになってほしい、そういう願いをもって、おはなし会やら、読書活動しています。

 では、早く読めさえすればいいのか、というと、そうではなく、楽しみで読む、文章を味わう物語や、勉強のための本を早くだけ読んで、頭に残らず、はい読みました、ではだめなのです。

 要するに使い分け、が必要で、「じっくり読む本」と「内容や要点、必要な部分だけ、読む本」に分けるのです。

 内容だけ、さっとわかればいいものは、たくさんあります。
新聞や雑誌、レポートで必要な資料探し、仕事上でくるメールなど、など。

 さて、本題。
わらし仙人は、番町書店経営者で、これまでになんと9万冊もの本を読んでいる。
わらし仙人は、毎日2800通のメールを読み、ビジネス書も毎日10冊、新聞四誌、週刊誌5誌、月刊誌6誌、スポーツ新聞6誌も読んでいる。

 これらを、なんと3時間で読破しちゃうというのだから、まさに神業、いえいえ、これが速読なのであります。

 速読は、右脳を使い、目の動きの訓練をするのですが、この本には、日常でできる訓練の方法がイラスト入りで載っています。

 確かに、この技を身につけたら、本当にどんなに便利なことか。
こうして得た、たくさんの情報から、さまざまな発想やアイディアが浮かび、予測力も、記憶力もつくという素晴らしいことになる。
 
 で、私は、試してみたか、というと、少しやってみました。
この記事かいているうちに、もうちょっと真剣に練習しようかな、という気になってきました。


残虐記

2005-06-24 12:26:30 | こんな本読みました
zangyakuki


桐野夏生/著  新潮社

 新潟の女児監禁事件、これをどうしても連想する内容です。
ヒントは、もちろんそこから出ているはずで、けれど、あくまでもフィクション。

 バレエ教室の帰りに、誘拐されてしまった、10歳の景子。
ケンジという男に、1年1ヶ月閉じ込められて、なぜか「みっちゃん」と呼ばれて暮らすのだが・・・。

 この本のすごいのは、監禁生活よりも、その後に多くページを割いている。
解放後、自分も変わり、両親も変わり、まわりの人々の見る目も変わり、現実感をもてなくなった景子は、性的人間となり、夜の夢を紡いでいく。

 だれもが、「監禁中になにをされたのか」を知りたがり、それについては固く口を閉ざす景子。
この事件がきっかけで、景子は小説家となるのだけれど、書いた小説は、事実なのか、単なる物語なのか。

 ぐんぐん引き込まれて、一気に読んでしまったが、最後がちょっとがっかり、というか疑問が残った。
桐野さんの想像力は、なるほどこんな事件にあったら、こういう展開になるだろうなと、かなり現実的ではあるのだけれど、私の中の望む結末とは、ちょっと違うのだ。
 いやあな気分になる。
ケンジの部屋の描写も、リアルで、不潔感がわさわさと体にまとわりつく。
それだけ、筆力があるのでしょうね。

 大体、この本を手にとる事自体が、監禁事件に興味をもつ証拠であり、桐野さんは、素材から、見事にストーリーを構築している。

 それにしても、小説家になった景子さんは、家を出て、どこへ行ったんでしょうね。

 


チビクロひるね

2005-06-21 01:15:44 | こんな本読みました
tibikurohirune

tibikurosannpo

tibikuro-sannbo

 森まりも/作・絵 北大路書房

 「ちびくろ・さんぼ」が人種差別の本だとして、絶版になったのが、1988年。

 森まりも氏は、ヘレン・バナマンの原作のこの本の良さを惜しんで、「さんぼ」という、黒人の蔑称を「さんぽ」に置き換え、主人公を黒いちび犬にした「ちびくろさんぽ」を発刊したのです。

 内容は、原作とほとんど同じ。
といっても、バナマンの原作は、インドを舞台にしていて、日本で流布しているのは、アメリカの海賊版との事。
「ちびくろ・さんぼ」が人種差別なのか否かは、さまざまに論争がされています。

 けれど、私も含めて、多くの人が、幼いころに読んで、とらがバターになるという発想の面白さに驚いたり、ホットケーキが食べたくなったりという思い出を持っているはずです。

 2005年の4月に、瑞雲社から復刻された「ちびくろ・さんぼ」の売れ行きが、その人気を裏付けています。

 でも、でも、私の紹介したいのは、『ちびくろひるね』なのです。

 森まりも氏の2作目の絵本。
とにかく、文句なく面白い!!!

 ひるねしたチビクロが、夢の中でトラのワッサンに出会い、つかまって、ぐるぐるまわされて、「チビクロワッサン」になっちゃう。
トラは、チビクロワッサンにつけて食べるものをさがして、ちびブルだとか、チビキューだとかをぐるぐるまわしてとかすのだけど、なかなかぴったりのものがみつからない。

 だじゃれの世界です。
書店や、小学校(4年生)のクラスで、読んできました。
こどもにも大うけで、4年生だと、ブルドックは、ソース、チビキューはマヨネーズ、と声があがります。

 「じゃあ、みんなも、ワッサン遊びをしてみようか」でしめくくります。
いろんなものをぐるぐる回すと、何ができるかなーって。

 そして、この作者の森まりも氏。
実は、50代の男性。 信州大学の心理学の先生なのです。
「ちびくろ・さんぼ」 「ちびくろさんぽ」が、現在の幼稚園児にどう受け止められるかという、心理学的実験も行っている。

 本名は、守一雄さんです。
HPももっているので、お顔が見たい方はどうぞ。
       ↓
http://zenkoji.shinshu-u.ac.jp/mori/hp-j.html

 おはなし会では、絶対にうける本です!



さゆり(上)(下)

2005-06-16 14:25:11 | こんな本読みました
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sayuri-zyoukan


 アーサー・ゴールデン/著  小川高義/訳  文芸春秋

 この写真は、文庫版です。
私の読んだのは、新書版で、着物の帯の装丁です。
文庫版の上下を合わせると、舞妓さんの顔となり、私はこれで、すっかりだまされてしまいました。
「さゆり」は、実在の人物ではなくて、ゴールデン氏の創作なのです。

 米国人が、一人称形式で書く花柳小説という、めずらしい小説。
老齢の現在は米国に住む「さゆり」の半生の物語。
昭和4年、9歳で郷里から売られていった、坂本千代(のちのさゆり)が、舞妓から苦労を経て、一流の芸妓になるまでの様子なのだけれど、実によく祇園のしきたりやら慣習やらをご存知で、こういう世界があるんだなと、とても興味深い。
あらすじについては、こまかく書きません。
芸妓さんに興味があったら、読んで下さい。

 私が、何故本を読むかというと、こういう本でパワーをもらうからなのです。

 ひとそれぞれ、読書の感想は違うと思うけれど、私は、自分を主人公に置き換えます。
現実生活で、おこるさまざまな出来事、嫌なこと、苦しいこともたくさんあり、人生経験の乏しい自分には解決策が見出せないのがほとんど。
 そんな時、本の中の登場人物の生き方、処し方は、羅針盤のごとく道をつけてくれるのです。
あの時、あの人はこうしていた、と思い出し、それによって我慢ができたり、希望をもったりできるのです。
だから、本を読むのです。
 少ない経験値が、読書によって多くなる、それが本を読む効用だと考えています。


オニババ化する女たち

2005-06-16 13:52:59 | こんな本読みました
 三砂ちづる/著  光文新書

 サブタイトルに「女性の身体性を取り戻す」とあります。

 昔話にでてくるオニババや山姥は、社会の中で、適切な役割を与えられない、独身の更年期女性では、ないかと著者は述べています。
 性と生殖に関わるエネルギー、これを、抑えつけたり、おろそかにすると、さまざまな弊害がでてくる。
昔から伝わる、女性の体の知恵や自然な力が、現在には忘れられているのではないか。
各章ごとに体についての話があるのですが、私の印象に残ったのは、月経についての章。

 昔の女性は、月経をコントロールできた、というのです。
月経は、「垂れ流し」で、ナプキンがないと処理できない、と当然のように考えられているけれど、じゃあ昔の女性はどうしていたの?という事で、90代以上の山間部などいわゆる田舎の女性に話を聞いてみる。
 すると、自分できゅっと止めておいて、トイレでまとめて出す、というような事ができたそうなのである。
現代の女性に、なぜそれができないのか。
骨盤底筋の衰えや、生活習慣などが遠因ではないか。

 というような内容で、これはちょっと読んでおいても損はないぞ、という本です。


 


モカシン靴のシンデレラ

2005-06-16 13:18:55 | こんな本読みました
mokashinnkutunoshinnderera

 中沢新一/著  牧野千穂/絵  マガジンハウス

 ガラスの靴のシンデレラのはなしって、しってるよね。
シャルル・ペロー翻案で、ディズニーがアニメ化したので、有名なおはなし。

 これは、「もうひとりのシンデレラ」 カナダ東海岸地方にかつて住んでいた、ニクマク族に伝わる物語なのです。

 「オオシゲアスカ」(肌をこがされた少女の意味)は、二人のおねえさんにいじめられる毎日だった。

 村のはずれには、偉大な狩りの名人「見えないひと」が住んでいて、村中の娘のあこがれの的。
だれもがお嫁さんになりたがる。
 
 けれど、誰にも見る事ができず、ボロボロの服で、お古のモカシン靴をはいた、オオシゲアスカだけは見ることができ、お嫁さんとなってハッピーエンド、という単純明快なストーリー。

 魂の美しい者が幸せになれるという、わかりやすい話なのです。
牧野さんの絵の美しさが、ストーリーにぴったり。
こころやすらかになれる本です。