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高田哲郎/著 民衆社
先日、公民館研修で秩父、両神村へ行った折、お土産物店においてあり、「読みたい」と思ったのですが、2300円の値段に躊躇して、帰ってから図書館でリクエストして取り寄せてもらいました。
12人の100歳近い年齢の女性の、それぞれの一生を、聞き書きの形でまとめてあります。
皆、秩父出身の女性であり、両神村はもちろん、近辺の村々出身者。
その中に、戦友として名がでている人が、家のすぐ近所の住所で、びっくりしました。
人の一生というのは、どんな人間でもドラマチックで、それだけで大河ドラマができます。
秩父の山奥に生まれ育ち、しかも明治の時代に生まれれば、苦労はたくさんあり、今日ではとても想像できない生活ばかりです。
不便な土地、貧乏、で働きづめに働いて、嫁いだ家も貧乏。
結婚しても、夫や息子が戦地にとられ、戦死して・・・というのが共通している。
けれど、やはり共通しているのは、「大変な一生だったけれど、今は幸せ。この歳まで生きてよかった」という事。
先人の知恵を学ぶというのは、大事なことで、今現在に生きている自分は、周りしか見えない。
この先の予測がつかないから、不安や不満が生まれる。
TVや映画のように、最後がわかったら、どうだろう。
結果として、いくら頑張っても、無駄というのもあるはずで、では、だからやらずに避けたほうがよかったのだろうか、というとそれだって、わからないことなのだ。
時間は流動的であり、おおまかでは変わらないが、細かい部分は少しのできごとで、いかようにも変わっていく。
人間ひとりの一生は宇宙規模、地球規模では、微小なものなのだから。
また、人間は、いつの時代でも、どこの国でも、考えること、感じることは同じで、たまたま時代や生活環境が苦しいところに生まれても、自分の志を貫くことで逆境を乗り切っていくのである。
それぞれ、顔写真がでているが、深い皺にきざまれた顔の中で、目はしっかりと前を見据えている。