相馬国光自叙伝 平凡社
明治に生きた進歩的女性、国光(本名:良)の聞き書きによる自叙伝。 書いたのは島本久恵。
巌本善治校長と妻若松賤子の経営する、明治女学校の生徒の勉学に対するほとばしる熱意や、学校の様子は、当時の進取気鋭の有様がうかがえる。
私の興味をひいたのは、国木田独歩と信子のいきさつ。 信子は国光の従姉妹であるが、独歩に強引に結婚され、逃げ出した。
国光は、2人の間にできた娘の面倒までみている。
およそ国光という人は世話好きなのか、ボランティア精神があるのか、ロシア詩人エロシェンコ、インドの革命家ボースの保護をはじめ、荻原碌山ほか、芸術家たちの面倒をみている。
ボースについては、長女を嫁がせ、苦労のため、早世している。
家業中村屋の繁盛があるから、このように世話もでき、また人も集まってくるのであるが、国光の真面目な性格、勤勉さが背景にあるのは確実である。
新宿中村屋は、老舗であるが、そのいきさつは、興味深い。
国光と夫の愛蔵は信濃から上京して、本郷赤門近くに居を構え、「さあ、なんの商売をはじめよう」と考えていて、パン屋はどうかと考えた。
店を探していたら、買ってほしいと言ってきたのが、大学正門前のパン屋『中村屋』で、そのまま屋号を使うことにした。
学生相手でもパン屋は繁盛していたが、そのままでは発展がないので、他の土地をさがしていた所、新宿に場所をみつけ、ひらめくものがあったという。 新宿の場所は、その後現在地に移転したが、その当時はさびれた町だったのが、国光の読みがあたって、見事に賑やかな町となった。
商品の開発も、さまざまな人との出会いや偶然が重なって今日に至っている。
大成功記といっていい、考えさせられる記述であるが、私生活の国光は、9人も子を成しながら、6人を早世している。自身の健康も害している。
そして、碌山との関係。 碌山は、最後の作品『女』の像を、国光をモデルにしている。
国光への結ばれぬ恋情を、この作品に託した、とみる事ができ、それは本当なのだろうか、というのが、私の一番知りたい事柄である。 TVドラマでは、脚本家の想像で、あのような描かれ方をしているけれど、ほんとはどうなの?
自叙伝と解説を読む限りでは、キリスト教に帰依した国光は、頼ってくる芸術家たちに優しくしたけれど、それ以上は立ち入らせていない。 まっすぐで、信念があり、一生懸命に生きている。
そういう国光を支える夫愛蔵は、懐の深い、立派な人かと思ったら、この自叙伝では語られていないが、その時代のお金のある男性がするような他に女性を求めたようである。
だったら、国光だって、もっと女性としての自分を出してもよかったのではないか、そんな気がする。