しいかのブックトーク

毎月読んだ本や日常の諸々を記録します。

空と海のであう場所

2007-03-31 16:50:39 | こんな本読みました

Soratoumi  小手鞠 るい  著   ポプラ社

 今まで読んだるいさんの本の中では、メルヘンチックなお話。

 なんだか、金城武くんの映画『アンナマデリーナ』に挿入された「×と○」のお話を思い出してしまった。

 全体に流れる雰囲気が、似ている。

 アラシと木葉が中学生で出会ってから、32歳で再び出会うまでの色々が、アラシの書く小説の遊牧民と泥棒猫に重なりながら、進行していく。

 それぞれがお互いを気にしながら、接近したり、離れたり、そんな関係って、きっと色んなところであるんだろうな。人生は、かなしいもので、思う事と実際がうまくかみあわない、思い通りにならないことが多々あり、というより、思い通りにいくことの方がめったにないものである。

 そんな人に、ほっと安らぎを与えてくれる、「人生って悪くないかも」と思わせてくれる物語。


黙移

2007-03-29 17:51:02 | こんな本読みました

Mokui  相馬国光自叙伝   平凡社

 明治に生きた進歩的女性、国光(本名:良)の聞き書きによる自叙伝。 書いたのは島本久恵。

 巌本善治校長と妻若松賤子の経営する、明治女学校の生徒の勉学に対するほとばしる熱意や、学校の様子は、当時の進取気鋭の有様がうかがえる。

 私の興味をひいたのは、国木田独歩と信子のいきさつ。 信子は国光の従姉妹であるが、独歩に強引に結婚され、逃げ出した。

 国光は、2人の間にできた娘の面倒までみている。

  およそ国光という人は世話好きなのか、ボランティア精神があるのか、ロシア詩人エロシェンコ、インドの革命家ボースの保護をはじめ、荻原碌山ほか、芸術家たちの面倒をみている。

 ボースについては、長女を嫁がせ、苦労のため、早世している。

 家業中村屋の繁盛があるから、このように世話もでき、また人も集まってくるのであるが、国光の真面目な性格、勤勉さが背景にあるのは確実である。

 新宿中村屋は、老舗であるが、そのいきさつは、興味深い。

 国光と夫の愛蔵は信濃から上京して、本郷赤門近くに居を構え、「さあ、なんの商売をはじめよう」と考えていて、パン屋はどうかと考えた。

 店を探していたら、買ってほしいと言ってきたのが、大学正門前のパン屋『中村屋』で、そのまま屋号を使うことにした。

 学生相手でもパン屋は繁盛していたが、そのままでは発展がないので、他の土地をさがしていた所、新宿に場所をみつけ、ひらめくものがあったという。 新宿の場所は、その後現在地に移転したが、その当時はさびれた町だったのが、国光の読みがあたって、見事に賑やかな町となった。

 商品の開発も、さまざまな人との出会いや偶然が重なって今日に至っている。

 大成功記といっていい、考えさせられる記述であるが、私生活の国光は、9人も子を成しながら、6人を早世している。自身の健康も害している。

 そして、碌山との関係。 碌山は、最後の作品『女』の像を、国光をモデルにしている。

 国光への結ばれぬ恋情を、この作品に託した、とみる事ができ、それは本当なのだろうか、というのが、私の一番知りたい事柄である。 TVドラマでは、脚本家の想像で、あのような描かれ方をしているけれど、ほんとはどうなの?

 自叙伝と解説を読む限りでは、キリスト教に帰依した国光は、頼ってくる芸術家たちに優しくしたけれど、それ以上は立ち入らせていない。 まっすぐで、信念があり、一生懸命に生きている。

 そういう国光を支える夫愛蔵は、懐の深い、立派な人かと思ったら、この自叙伝では語られていないが、その時代のお金のある男性がするような他に女性を求めたようである。

 だったら、国光だって、もっと女性としての自分を出してもよかったのではないか、そんな気がする。


笙野頼子三冠小説集

2007-03-04 17:19:27 | はじめに・・・

Syouno  笙野頼子 著    河出文庫

 純文学とはなんぞや?

 なんとなく感じとしてはわかるのだけど、実際には、はっきりした線引きはなく、漠然としたジャンルで、むろん純文学の定義とかは色々論争があって、一体誰が、どれを純文学と断定するのだろう。

読み手からすれば、純文学よりは、ストーリー性のある大衆文学の方がはるかにおもしろい。

 単に筋を追うだけの小説には、文学としての評価が与えられず、たいした出来事でないものを、内面だの思想だのイマジネーションだのなんだかんだで深く追求していくようなものが純文学なのかしら、と思ったりする。

 笙野頼子は、純文学の守護神なのだそうだ。

 この三冠小説、『タイムスリップ・コンビナート』は、芥川賞受賞、『二百回忌』で三島由紀夫賞受賞、『なにもしていない』で野間文芸新人賞受賞というだれにも破られていない記録を持つ。

 でもきっとこの名前を知っている人は少ないよね。 一部にファンは多いらしい。

 どんな人かなあと想像をめぐらす。

 昨今の女性作家は、女優のように華やかでマルチ的な方も多いけれど、このおたく的な文章からは、たぶんそうでないだろうな、と。

 写真を検索して、みつけました。 ファンサイトによると「不敵な面構えは一度みたら忘れられない」とあったけど、うーん、なるほど。

「なにもしていない」の腫れた手のこれでもかという描写、引きこもって外部と接触しない人物が作者と重なってしまうのだけど・・・。


女優 男優

2007-03-03 18:45:28 | こんな本読みました

Zyoyuu  関川 夏央 著   双葉社

 私、この本を読んで、関川さんが男性作家と知りました。

 『女流』を読んで、女性とばかり思い込んでいたので、ちょっとびっくり。

 それはともかく、1950年代から1970年代にかけて活躍した女優・男優の数々を、作品やエピソードと共に紹介している。

 岸恵子、浅丘ルリ子、若尾文子、原節子、加賀まり子、芦川いづみ、京マチ子、高峰秀子、松坂慶子、大竹しのぶ、岡田茉莉子、北原三枝、池辺良、緒形拳、三國連太郎、山崎努、小林稔侍、佐藤慶、etc.

このインタビュー自体が1986年から87年にかけての事で、かなり古いのだけど、関川氏の思い出や、独自の映画感、俳優感、また当時の出来事など、興味深い。

 写真も懐かしく、映画を観てみたくなる。 私は、ここにあげられた映画のほとんどを観ていない。 いくつか観たことがあるものは、いずれもTVの日本名作映画特集でである。


そうかもしれない

2007-03-03 17:24:38 | こんな本読みました

Soukamo  耕 治人 著    晶文社

 この本の出版は、2007年2月であるが、作品は1986年から1988年に書かれたものである。

 「耕 治人」という名前も、聞いた事ある人の方が少ないだろう。

 1988年、この「そうかもしれない」を書いた後、口腔底ガンで亡くなっている。

 老妻と2人のつつましい暮らし、その老妻は、脳軟化症でもの忘れがひどくなっていく。

 誰にでも訪れる「老い」、決してひとごとでない、そう思うと、とてもせつなくなる。

 淡々と綴られる日常、妻の様子。 

 素晴らしいのは、愚痴や恨み事、泣き事がいっさいなく、妻が呆けたのも、「50年間、自分のためにつくしてくれたからだ」として、感謝の念を持って、看病している姿である。

 知り合った頃の妻のこと、今まで生活を支えてくれたことを思い出しながら、優しい目でみつめている。 

 しみじみとした小説である。