安藤先生の著作で他の本にもあったが、印象に残った話が、「中臈、桂川てや」のこと。
「てや」は、広大院(家斉の御台所)付の中臈で、天保15年の江戸城の大火で焼死している。 若干16歳である。
「てや」は、将軍家御典医桂川家の長女で、12歳で大奥にあがっている。
火事で、吹上御庭にいったん避難した「てや」は、広大院付きの年寄「花町」をみてくるように言われ、燃え盛る大奥に戻る。 「花町」は、逃げ遅れてもう、捜しようがないのがわかると、自ら火の中へ入っていくのである。
「これから自分は火の中にはいり、花町さまの所へまいります。もし、燭台を握っている死骸が出てきましたら、それは私でございます」と近くの者に言い置いて火中に身を投じるのである。
「花町」様がみつからなかったら、みつからないと報告すればよい事で、何も死ななくともよいのに、そこが武士の娘、大奥の女で、「花町」がいなかったとは、言えないのである。
大奥の女は、エリート集団であり、幕府に強い政治力を持っていた。
同僚との交際費、寺社との蜜月なる関係など、現代にも通じる女性の社会が伺える。