しいかのブックトーク

毎月読んだ本や日常の諸々を記録します。

その後の一葉

2010-05-31 15:39:44 | 行ってきました

G先生の案内では、菊坂の家に住んでいた一葉のことまでだったので、その後の事を本で読みました。

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新潮日本文学アルバム

『樋口一葉』

編集・評伝/前田愛

エッセイ/河野多恵子

一葉 の写真というと、この肖像画、5千円札にもある、あれですが、この本には、萩の舎設立時の記念写真他数枚や、一葉の両親、恋していたといわれている半井桃水、婚約者ながら破談にしてきた渋谷三郎の写真もあり、当時を想像することができる。

さて、一葉は、菊坂町の家から、萩の舎や桃水の家に通って、小説を書く事を志すが、思うようにいかず、明治26年7月、下谷龍泉寺へ引っ越し、母と妹とで雑貨店を営む。

「一葉記念館」にはこの家の模型があるようで、右は人力車夫、左は酒屋という棟割り長屋だった。

けれど、商売はうまくいかず、桃水への想いもおさえ、お金の算段のため、「天啓顕真術会」を主宰する久佐賀義孝の元を訪れ、久佐賀より、妾になれと要求され、断る。

10か月でここをたたみ、明治27年5月には本郷丸山福山町に転居する。

ここは、いまでこそ大きなビルが立ち並ぶ白山通りとなっているが、当時は新開地で「銘酒街」(私娼宿)だった。

一葉の家は、鰻屋の離れ座敷で、後ろが崖になっていて、崖から浸み出す清水が、瓢箪池に流れ込み、創作に疲れた一葉がこれをよくながめていたという。

法真寺隣の幼少時の家を『桜木の宿』と懐かしんだのに対し、ここは『水上の家』と日記に書かれている。

一葉没後7年後に、当時一高生だった、森田草平が一時住んでいる。

この家は、明治43年の台風で崖崩れがあり、なくなってしまった。

生涯最後の2年半をここで過ごすが、もの書き一筋の気合で、「花ごもり」「暗夜」「大つごもり」「たけくらべ」「ゆく雲」「にごりえ」その他多数の作品を発表する。

文名も著しく高まり、文学界同人達がサロンとして集まるようになる。

次々と作品を生み出すが、結核のため、あっけなく24歳で亡くなる。

終焉の地は、現在西片1-17-8という番地となり、コナカビルという建物が建っていて、そこには『一葉 樋口夏子碑』がある。

散策した、菊坂から歩ける距離であり、行ってみたい気がする。


文学散歩

2010-05-26 21:36:46 | 行ってきました

2010年5月22日(土) 本郷界隈(2)

さて次は東京大学

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行きはここから入り、帰りは赤門からでました。

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東大に入るのは初めて。

許可とか、とらなくていいのだろうかと心配だったが、何のおとがめもなくすんなり入れて、しかも中には一般の人が多いのに驚き。

食堂も、芝生の通路も、普通の大人や小さな子を連れたファミリーがいて、大学の構内である感じがしない。

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ここは法学部の建物。

重厚で古い造りの建物ばかり。

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かの有名な安田講堂。

ここの地下に学生食堂があり、今日はここでランチ。

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学食は地下で、外光はないものの広いスペース。

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工事をしている人や一般の人が多く、どこへ並ぶかというルールがわからないため、食堂のおばさんが大きな声でルールを叫んでいた。

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私はカツカレーのライスをSサイズ。360円位。

ミニサラダが120円。

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他の方は定食とか麺類などを注文。

昼食後、生協へ行く。

東大まんじゅうを買おうと入ったのだけど、東大グッズがたくさんあり、東大チョコ・東大クッキー・東大ノート・東大ボールペン・東大万年筆・東大レターと買いあさる。

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この指は、まみのもの。

東大万年筆以外はすべて、まみのものとなり、私はチョコの味もクッキーの味もわからず。

構内には、ドトールやスタバ、みやげもの店などがあり、ドトールで小休止。

そして、三四郎池

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夏目漱石『三四郎』で三四郎が美禰子さんとデートした場所。

樹木が生い茂り、岩場があったり、ちょっとした公園のよう。

東大は、加賀藩前田家の敷地であり、その面影が残っている。

加賀藩13代藩主前田斉泰は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉の娘溶姫を正室に迎えた際、当時の慣わしで朱塗りの門を建て、それが「赤門」として残っている。

また、慶応四年、戊辰戦争の際の彰義隊(上野戦争)を早く終結させたのは、加賀藩の大砲によるもので、この本郷の立地のおかげであったという。

弥生式土器発掘ゆかりの地

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明治17年、東大の学生が発見した土器は、長い間放っておかれたが、縄文式土器と異なることから、この場所の地名をとって弥生式土器とされた。

発見場所は近辺であるが、さだかでなく、とりあえず、ということでここに碑を建てた。

けれど、昭和49年に東大キャンパス内の発掘により、その場よが有力候補となった。

それがここ。

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東大9号館と10号館の間の裏手の笹藪の茂る中に、表示がある。

この下は崖になっていて、太古の昔、下は海であり、ここから貝などが発掘されているという。

弥生時代というのは、この土器の発見からであり、日本の歴史がこれにより、書き換えられた。

でもね、ここは、人気もなく、工事の人もそんなすごい場所とは多分知らずにお仕事している。

桜木の宿

東大の向かい側にある法真寺の隣に、一葉は4歳から9歳まで住んでいた。

裕福な家庭で、幸せな少女時代であり、2階の窓からこの寺の腰衣観音像が見え、桜の頃は、花びらがはらはらと散るさまをながめたという。

『ゆく雲』にこの情景が描かれていて、「桜木の宿」として、懐かしんでいる。

〈坂いろいろ〉

見送り坂・見返り坂

本郷通りのへこんだ部分をはさんで名づけられている。

昔、加賀屋敷から川が流れ、菊坂の低い所に流れていた。

当時は木橋があったという。

罪人が江戸を離れる時、振り返って「見返り」、罪人をこちらから「見送り」したという。

そのほか、鐙坂・胸突き坂などを歩きました。


文学散歩

2010-05-26 20:12:29 | インポート

2010年5月22日(土) 本郷界隈(1)

 新座の読書会の緑陰読書会、今回は本郷界隈です。

参加者は9名。 地下鉄本郷3丁目で午前10時に待ち合わせ。

G先生率いる一行は、 まずは「かねやす」へ。

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 本郷3丁目交差点角にあり、享保年間に兼康祐悦という歯科医が乳香散という歯磨き粉を売り出した。ここを境に南側は土蔵造り、北側は茅ぶき の造りの町屋がならんだという。

現在は、用品屋さん。本日は休業でした。

 次は「喜之床」という床屋さん。

石川啄木が蓋平館の住まいから朝日新聞社の校正係の職を得て、家族そろって住んだ場所。2階に明治42年から2年間住んだ。

旧家屋は、明治村に移設。 床屋さんは現在も営業中。

そして、常盤会跡

ここは高台で、見晴らしの良いすばらしい立地条件に立つ建物で、坪内逍遥が明治17年から20年まで住んだ。

その後、旧松山藩の「常盤会」が買い取り、旧藩出身の書生の寄宿舎とした。

正岡子規や高浜虚子などが青春時代を過ごした。

 すぐ下が崖となっていて、菊坂へ下る坂道で炭団坂とよばれている。

現在は階段になっている。急坂なので、ころがって炭団のようになった、とか、炭団を扱う店が多かったことに由来している。

宮沢賢治も、炭団坂下に下宿していた。

菊坂

一葉は、本郷に3回住んでいて、ここ菊坂の一番下の住まいに住んだ時は、父が事業に失敗して亡くなり、借金を背負う戸主となり、母と妹で住んだ場所。

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 一葉が使った井戸が今でも残っている。

今はポンプ式だが、昔はつるべ式だった。

この周りには、木造の住宅が残っていて、戦前の時代にタイムスリップしてしまったような感がある。

一葉は、明治23年(18歳)から26年までここに住んでいる。

最初井戸の左側の家に住み、のちに右側の家に引越している。

理由は、部屋が一部屋多いこと、となっている。

赤心館跡。

明治41年、石川啄木が金田一京助の世話で住んだ所。

啄木は、金田一に事の他面倒をみてもらい、下宿代が払えず、金田一に助けてもらって蓋平館別荘へ転居している。

蓋平館別荘。

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現在は「太栄館」という名前で、旅館として営業している。

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下宿代は当時としては高額であったが、啄木は「富士がみえる」と喜んでいたという。

その後、生活が安定して、北海道から家族を呼び寄せ、「喜之床」に引越す。

伊勢屋質店。

一葉が生活苦で、着物を持って通った。

現在は営業していないが、建物は残っていて、土蔵は壁を塗り替えた以外は当時のままの姿。

新坂。

本郷には坂が多い。

江戸時代にひらかれた古い坂であり、啄木はじめ、高等下宿に住んでいる文人の逍遥の道であった。


もしもし

2010-05-26 18:12:06 | こんな本読みました

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ニコルソン・ベイカー/作  岸本佐知子/訳  白水社

 今、はまっているのが、岸本佐知子さんなので、彼女の翻訳の本ということで、読みました。

 アダルトパーティラインで知り合った男女が、電話で語り合う、sexyな会話。

「今、何着てる?」から始まる会話だけで成り立っていて、説明文はなし。会話から、状況をうかがい知ることができる。

 日本でも、テレフォンなんとかいう広告はよく目にするけれど、そこでどんな会話がされているかなんて、想像したこともなく、関わりもなくいたけれど、アメリカでも同じようなものがあって、実際にはどうなのかわからないのだけれど、この小説の2人は、とてもセンスが良い。

 もちろん、小説であって、ベイカーの緻密な描写の魅力なわけだけど、こういうラインに電話してくるのが、ごく普通の人、というのが興味深い。

 きちんとした職場で、まっとうな生活を送っている人間であり、特別変わった性癖があるわけではない。

 むしろ普通よりランクが上かもしれない。

このラインが切れたら、二人とも、何食わぬ顔で、真面目で、そんなことには興味を持たない風にみえるのだろう。

 知らない相手で、その場限りだから、他人にはみせない、自分の嗜好やプライベートな生活、頭にある妄想を語ってしまう。

 もしかしたら、これって、案外楽しい事なのかも、現代人のストレス発散、害のない息抜きなのかなあと思う次第。

 エッチであるけれど、おしゃれな会話で、いやらしさはなく、文学的ですらある。