お寺さんぽ Ver.03

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滋賀県 「姉川古戦場」 (史跡探訪シリーズ)

2008年01月03日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は史跡探訪シリーズ(そんなのねぇ)、先日からダラダラとお届けさせていただきました、滋賀県は「姉川古戦場」です。

城とか仏像とかお寺とか、形が明確に残っているものは単純明快でいいものですが、こうして形が明確でないのもまたしんみりとイイものなのですよ。

特にコチラは(真偽はともかく)かつて「織田・徳川」、「浅井・朝倉」の両連合軍が激突した、比較的規模の大きい遭遇戦。
北には難攻不落な浅井の居城「小谷城跡」が、西には「豊臣秀吉」の出世城「長浜城」があるなど、歴史の役者が揃った、戦国時代ファンにはたまらない土地のひとつでしょう。

現在、石碑が残る場所。
また合戦の中心地である付近は駅からちょっと離れており、車で向かいました。
時間が朝方であったためか、付近道路の交通量は意外と多く、周辺はわさわさと騒がしい風情。

実はこのあたり一帯が戦場なんですが、石碑のある場所は主要道路から若干離れた位置にありました。
姉川を隔てた野村橋の向こうに、石碑と解説看板があります。
石碑には「姉川戦没者~どうのこうの」という文字が。
隣の解説版には部隊の位置なども詳細に書かれた、詳しい親切設計。

(※記事「激戦の定説・活躍する徳川勢 (姉川合戦)5」での写真がそれ)
当然かもしれませんが、説明では定説そのまま、徳川隊の活躍を伝えておりました。
なお、合戦の中心地とされているのは、石碑からやや下流付近。

こちらは現在も田園風景の広がる、のどかな平野となっておりました。
そんな訳で、まだなんとなーくではありますが、瞼を閉じれば当時の息吹が肌で感じられるでしょう。たぶん。
…横を車が通り過ぎなければ(笑)
流れる川は浅く緩やかで、渡河にはさほど難儀しなかっただろうと想像できます。
逆に、”合戦後には両軍の死者で川の流れが赤く染まった、というエピソードがややリアルに思い起こされました。



総勢合わせ、約4万から5万という人間ドラマが展開されたこの地。
ぜひ、一度は訪れたい場所でしょう。
なお、周囲にはベンチがあるだけで、トイレなどもありません。
みやげ、その他用事を済ませたい方は要注意ね。


[住所]
元亀元年(1570) [姉川合戦]
 滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田
※電車なら、「JR北陸線長浜駅・虎姫駅下車」
※地図(ちず丸へリンク) ⇒ 姉川古戦場

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