![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/16/5c99c8d795a951b201ed33e1b2927435.jpg)
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は史跡探訪シリーズ(そんなのねぇ)、先日からダラダラとお届けさせていただきました、滋賀県は「姉川古戦場」です。
城とか仏像とかお寺とか、形が明確に残っているものは単純明快でいいものですが、こうして形が明確でないのもまたしんみりとイイものなのですよ。
特にコチラは(真偽はともかく)かつて「織田・徳川」、「浅井・朝倉」の両連合軍が激突した、比較的規模の大きい遭遇戦。
北には難攻不落な浅井の居城「小谷城跡」が、西には「豊臣秀吉」の出世城「長浜城」があるなど、歴史の役者が揃った、戦国時代ファンにはたまらない土地のひとつでしょう。
現在、石碑が残る場所。
また合戦の中心地である付近は駅からちょっと離れており、車で向かいました。
時間が朝方であったためか、付近道路の交通量は意外と多く、周辺はわさわさと騒がしい風情。
実はこのあたり一帯が戦場なんですが、石碑のある場所は主要道路から若干離れた位置にありました。
姉川を隔てた野村橋の向こうに、石碑と解説看板があります。
石碑には「姉川戦没者~どうのこうの」という文字が。
隣の解説版には部隊の位置なども詳細に書かれた、詳しい親切設計。
(※記事「激戦の定説・活躍する徳川勢 (姉川合戦)5」での写真がそれ)
当然かもしれませんが、説明では定説そのまま、徳川隊の活躍を伝えておりました。
なお、合戦の中心地とされているのは、石碑からやや下流付近。
こちらは現在も田園風景の広がる、のどかな平野となっておりました。
そんな訳で、まだなんとなーくではありますが、瞼を閉じれば当時の息吹が肌で感じられるでしょう。たぶん。
…横を車が通り過ぎなければ(笑)
流れる川は浅く緩やかで、渡河にはさほど難儀しなかっただろうと想像できます。
逆に、”合戦後には両軍の死者で川の流れが赤く染まった”、というエピソードがややリアルに思い起こされました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/0d/e284f110f2169f0a5309e692bb9d2051.jpg)
総勢合わせ、約4万から5万という人間ドラマが展開されたこの地。
ぜひ、一度は訪れたい場所でしょう。
なお、周囲にはベンチがあるだけで、トイレなどもありません。
みやげ、その他用事を済ませたい方は要注意ね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en1.gif)
[住所]
元亀元年(1570) [姉川合戦]
滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田
※電車なら、「JR北陸線長浜駅・虎姫駅下車」
※地図(ちず丸へリンク) ⇒ 姉川古戦場
[関連記事] 【中期・合戦祭り】
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[1 2 3 4 5 6]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [前 中 後]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「厳島の戦い」 [前 中 後]
⇒ 炸裂!島津得意の釣り野伏! 「耳川合戦」 [前 中 後]
⇒ 激突・関白軍勢対九州の覇者 「戸次川合戦」 [1 2 3 4]
⇒ 徳川勢は本当に活躍した?「姉川合戦」[1 2 3 4 5 6]
⇒ 戦国最強軍団の落日「長篠合戦」[1 2 3 4 5]
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※都合よく書かれた勝者ばかり追っていては歴史の真実は見えません。
ぜひ、歯医者敗者について調べてみましょう!
本日は史跡探訪シリーズ(そんなのねぇ)、先日からダラダラとお届けさせていただきました、滋賀県は「姉川古戦場」です。
城とか仏像とかお寺とか、形が明確に残っているものは単純明快でいいものですが、こうして形が明確でないのもまたしんみりとイイものなのですよ。
特にコチラは(真偽はともかく)かつて「織田・徳川」、「浅井・朝倉」の両連合軍が激突した、比較的規模の大きい遭遇戦。
北には難攻不落な浅井の居城「小谷城跡」が、西には「豊臣秀吉」の出世城「長浜城」があるなど、歴史の役者が揃った、戦国時代ファンにはたまらない土地のひとつでしょう。
現在、石碑が残る場所。
また合戦の中心地である付近は駅からちょっと離れており、車で向かいました。
時間が朝方であったためか、付近道路の交通量は意外と多く、周辺はわさわさと騒がしい風情。
実はこのあたり一帯が戦場なんですが、石碑のある場所は主要道路から若干離れた位置にありました。
姉川を隔てた野村橋の向こうに、石碑と解説看板があります。
石碑には「姉川戦没者~どうのこうの」という文字が。
隣の解説版には部隊の位置なども詳細に書かれた、詳しい親切設計。
(※記事「激戦の定説・活躍する徳川勢 (姉川合戦)5」での写真がそれ)
当然かもしれませんが、説明では定説そのまま、徳川隊の活躍を伝えておりました。
なお、合戦の中心地とされているのは、石碑からやや下流付近。
こちらは現在も田園風景の広がる、のどかな平野となっておりました。
そんな訳で、まだなんとなーくではありますが、瞼を閉じれば当時の息吹が肌で感じられるでしょう。たぶん。
…横を車が通り過ぎなければ(笑)
流れる川は浅く緩やかで、渡河にはさほど難儀しなかっただろうと想像できます。
逆に、”合戦後には両軍の死者で川の流れが赤く染まった”、というエピソードがややリアルに思い起こされました。
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総勢合わせ、約4万から5万という人間ドラマが展開されたこの地。
ぜひ、一度は訪れたい場所でしょう。
なお、周囲にはベンチがあるだけで、トイレなどもありません。
みやげ、その他用事を済ませたい方は要注意ね。
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[住所]
元亀元年(1570) [姉川合戦]
滋賀県東浅井郡浅井町野村・三田
※電車なら、「JR北陸線長浜駅・虎姫駅下車」
※地図(ちず丸へリンク) ⇒ 姉川古戦場
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※都合よく書かれた勝者ばかり追っていては歴史の真実は見えません。
ぜひ、