お寺さんぽ Ver.03

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宇都宮城 (栃木)

2010年10月10日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は栃木県宇都宮市は「宇都宮城址公園」こと「宇都宮城」です。

街の中心近くにある平城です。
駅からはそこそこ離れていますが、歩けない距離ではありません。
ちょっと、お城としてのぺーっとはしているものの、行き易いのでいいと思います。
実は関東七名城の一つですからね。



※上からの景色はこんな感じ。
 結構高いのです。


完成は平安時代の後期。
鎌倉時代頃に宇都宮氏の初代と言われる「藤原宗円(ふじわらの・そうえん)」が築いたとされ、代々居城としておりました。
宇都宮氏は南北朝の混乱期も生き抜き、五百年もの間周辺を支配していたようです。

戦国時代まで宇都宮氏は続いています。
当時の「宇都宮城」は、深い堀と高い土塁によって守られていました。
しかし、家臣「芳賀興綱」の反乱ほか、結城氏、壬生氏など周辺豪族らより度々の侵攻受けて勢力は大きく衰退。
佐竹氏の協力によって、ようやく城を保つという状態でした。
拡大する北条氏の侵攻にのも遭い、城下が焼き払われたこともあったようです。


※ミヤリーがいました。

豊臣政権下では佐竹氏と共に小田原攻めに参加して本領安堵された宇都宮氏。
ですが、後に改易。
江戸時代では「奥平家昌」、続いてあの有名な「本多正純」が入りました。
正純は宇都宮城・城下町の大改造を行いますが、この際に現在の宇都宮市の骨格が完成したとされています。

江戸時代の宇都宮城は天守閣はなかったものの、堀に囲まれた本丸、居住する二の丸などの施設が並ぶ大きな城であった様子。
そのためか、日光へ行く徳川将軍はここを宿泊地としています。
正純が処分される切っ掛けとして語られる「釣天井事件(※)」は、そうした事柄がためであるようです。
(※釣天井事件:からくり天井によって将軍を暗殺しようとした疑惑。とうぜん事実ではありません)
しかし、「戊辰戦争」によって「土方歳三」率いる旧幕府軍に攻められ、ほとんどの建物は焼失。



現在の宇都宮城(宇都宮城址公園)は過去に本丸があった付近に存在しています。
位置・規模・構造などは発掘調査で判明した昔通りのもの。
清明台、富士見櫓ほか、十メートルという土塁が再現されており、公園内には「清明館歴史展示室」やものしり館、まちあるき情報館などの施設もありました。
なお、将軍が宿泊したという御成御殿、城門も後に復元されるようです。
楽しみですねー。



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下野・宇都宮一族
七宮 ケイ三
新人物往来社

※宇都宮氏の本がありました。
 南北朝・戦国などをカバーしてます。