お寺さんぽ Ver.03

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武田神社・石水寺要害山・積翠寺 (山梨)

2010年10月03日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は山梨県は甲府市の「武田神社」とかその周辺史跡色々です。

泣く子も黙る(かもしれない)、郷土の英雄「武田晴信」
もう、甲府市にもなると、右も左も武田菱でした。
ここ「武田神社」は、彼の本拠として知られる「躑躅ヶ崎館(つつじがさき・やかた)」のあった場所に建てられた神社です。
当然ですが、「武田晴信」を祀ってます。
今は神様なんですねー。


※武田神社


起こりは永正十六年(1519)のこと。
父「武田信虎」が「石和館」よりこちらに移ったのが始まりです。
以後、息子「武田勝頼」が「新府城(しんぷじょう)」へ移るまでの六十三年間ほど居住地として使用されていたようです。

周囲には職人町などの城下町、武田家臣団の屋敷などが立ち並んでおり、かなりの規模であった様子。
まさしく、領国経営の中心地でした。
三重の堀、土塁に囲まれてはいたものの、緊急時にはやや心許ない平城。
そのためか、後方には”緊急の際に逃げ込む”という、「石水寺要害山(要害山城)」があります。


※困った時の「石水寺要害山(要害山城)」

ちなみに、晴信が誕生したの「躑躅ヶ崎館」でなくそちら。
当時は今川軍の福島氏が付近まで軍を進めており(飯田河原合戦)、危機的状況だったのです。
産湯に使ったとされる井戸が付近の「積翠寺」に残っていましたよ。


※産湯に使った井戸(積翠寺)

戦国最強を誇っていた武田軍。
晴信の存命時は問題なかったものの、「長篠合戦」での敗戦後に勝頼は居城を「新府城」へと移しています。

なお、一門衆「木曾義昌(きそ・よしまさ)」は織田氏と結んで反旗を翻しましたが、その切っ掛けが「新府城」築城の際の賦役(ふえき:労働力の提供)ほか重税に不満を持ったためとされています。
晴信の時代から、あちこち支配力が大きく低下していたんですね。
江戸時代には「甲府城」が中心地となり、こちらは半ば放置されたままだったようです。

大正四年。
「大正天皇」の即位記念として従三位が贈られたことを切っ掛けに、官民一体の「武田神社奉建会」が設立され、大正八年に社殿が完成したのです。
境内にある「武田神社宝物館」は、昭和四十七年の開館。
晴信の命日という四月十二日には、例大祭が行われています。
(※命日は天正元年(1573)の四月十二日です)


※ひゃっほぅ!の武田グッズです。

周囲にあった堀、土塁は当時そのままの姿で現存。
戦国時代第一級の居館とされており、昭和十三年には国の史跡として指定されています。

地図上で見ると近い感じですが、甲府駅から歩くのは…ちょっとしんどい。
バスかタクシーで向かって下さい(約八分程度)
宝物館には刀剣ほか二十四将図などがあり、武田関連のグッズも多く販売。
ファンにはたまらない場所でしょう
手前の「かぶとや」さんにもぜひお立ち寄り下さい。


[住所]
 武田神社 山梨県甲府市古府中町2611

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※さすがに武田は色々とグッズありますが…コレ。
 いいですね!
 見つけたらゲットします。