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若き当主の義昭さま (佐竹三代:佐竹義昭編)2

2009年10月25日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は”そこそこ名前を知っていながら、いまいちどんなだったか知らない戦国武将”という一人。
常陸は佐竹氏についてお送りしております。


かの英雄「八幡太郎義家」などを輩出した武家の名門・清和源氏から続く家柄であった佐竹氏。
鎌倉時代では「源頼朝」に敵対して討伐を受けましたが、南北朝時代では「足利尊氏」に味方して活躍。
常陸国の守護職を手に入れると共に、”関東八屋形”の一家となったのです。

その後、名門家ではありがちな同族対立を招き、ほぼ一世紀という長きにわたった混乱は、十五代「佐竹義舜(さたけ・よしきよ)」まで続いたのでした。
何はともあれ、こうして平安時代から続く名門家はとりあえず無事に弱肉強食の戦国時代を迎えることとなったのです。


■おまけ: 佐竹氏 略系図 (※↓:子、-:兄弟)

 源義光
  ↓
 義業--義清(武田氏)
  ↓
 昌義(佐竹氏) 
  ↓
 (省略)
  ↓
 義篤--師義(山入氏)
  ↓
 義舜---------------義信(北家)----政義(東家)
  ↓                           ↓            ↓
 義篤--義元(宇留野氏)-義里(南家)  義廉          義堅
  ↓                  ↓                     ↓
 義昭()             (養子)                  義久
  ↓                  ↓
 義重()--------義尚(南家)
  ↓
 義宣()-義広(蘆名)-貞隆(岩城)-宣隆(多賀谷)-義直
                    ↓
                  義隆(佐竹:義宣の養子となって後を継ぐ)


戦国時代では、十八代で”鬼義重”と恐れられた「佐竹義重(※写真)」の頃に戦国大名として大きく発展し、北条氏、伊達氏らと争いました。
続く「佐竹義宣」は豊臣政権下に属し、常陸五十五万石を安堵。
関ヶ原合戦では態度曖昧だったため、秋田藩二十万石に移封されることとなるのです…。
では、さっそく詳細に見てみましょう。


中興した義舜の孫「佐竹義昭(さたけ・よしあき)」は十七代当主。
父「佐竹義篤(さたけ・よしあつ)」は反乱した実弟「宇留野義元(うるの・よしもと)」に悩まされたもののこれを破り、北進政策を進めていました。

天文十四年(1545)
その義篤の死によって、義昭は十五歳という若さで当主となりました。
義篤は三十八歳で亡くなっているんですが、この原因がいまいち不明。
持っている資料には、簡潔に死亡と書かれていました。

戦死ならば家中の混乱などもあって歴史に残ると思われるので…たぶん病死ではないかと思います。
(※こちらの義昭自身も、三十四歳という若さで急死しています)
ともかく、そんな訳で若くして当主となった義昭は分家である佐竹三家、
北家「佐竹義廉(さたけ・よしかど)」
東家「佐竹義堅(さたけ・よしかた)」
南家「佐竹義里(さたけ・よしさと)」
という補佐を受け、常陸統一に励むのでした…。

⇒ つづく。
  次回は「名門意識の義昭さま (佐竹三代:佐竹義昭編)」(3/9)

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