お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

尼将軍「北条政子」熱弁を振るう (承久の乱)4

2008年08月07日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
さて、いきなりですが…日本の歴史では、何度か”天下分け目”という、覇権を争う大決戦がありました。
過去より国内を支配し続けてきた朝廷。
そして、新たな武士の時代を切り開いた幕府。
それら勢力が直接対決するという、大事件があったのです。
…と、そんなこんなで、”直接対決!鎌倉幕府vs朝廷”という歴史の大事件「承久の乱」をお送りしております。

承久三年(1221)
「流鏑馬汰へ(やぶさめそろ・へ)」と称して兵力を集めた「後鳥羽上皇」以下朝廷勢はついに挙兵。
京都守護「伊賀光季(いが・みつすえ)」を討ち、幕府に立ち向かったのでした。

ついに行動を起こした朝廷勢。
京都守護「大江親広」、有力御家人・三浦一族の「三浦胤義」なども参加し、幕府方は大いに混乱していたのでした。
まさに”鎌倉幕府最大の危機”と言っても過言でないこの事態。
動揺していた御家人らをまとめたのは…亡き頼朝の妻・ひでるのアイドル「北条政子」さまだったのです…。



京都からの急使を迎えた鎌倉では、主だった御家人衆を集めておりました。
ここに立ち上がったのは、当時六十五歳になっていた「北条政子」でした。


「皆心を一にして承るべし、これ最後の言葉なり。
 故右大将軍朝敵を征伐し関東を草創してより以降、官位・俸禄など、その恩義は山よりも高く、深い。
 報謝の志浅からし
 しかるに今、逆臣の讒言によって非義の綸旨が下される。
 名を惜しむ者は早く秀康・胤義を討ち取り、三代将軍の遺跡を全うすべし。
 ただし、院中に参じるとせん者は、只今申しきるべし!」

 

…うーん、このままだと分かりづらいですよね。
ちょっと修正してみると…


「皆心を一つにして聞きなさい、これが最後の言葉です。
 亡き将軍頼朝は朝敵を討伐し、幕府を創設して以来、もたらした官位・俸禄などの恩は山よりも高く、海よりも深いものでしょう。
 しかしこの度、逆臣らの讒言によって道理でない綸旨が出されました。
 首謀者「藤原秀康」、「三浦胤義」を討ち取って、三代続いた将軍の墓を守りなさい。
 もし、「後鳥羽上皇」方に味方しようとする者がいるなら、私を斬ってからお行きなさい!」


一部は本からの引用ですが、ところどころはひでるさんが考えました。
まぁだいたいこんな感じでしょう。たぶん。(※あまり鵜呑みにしないように)

この、尼将軍「北条政子」が声涙と共に振るった熱弁は、集まった御家人衆に亡き「源頼朝」の御恩を思い出させたのです。
さすがに、頼朝と共に修羅場を潜ってきただけあって、武士の勘どころをしっかり押さえております。
ほぼ”絶対というべき存在だった朝廷”に刃を向けさせる決意をさせたのは、まさしく「北条政子」の功績だと思います。

こうして、彼女の言葉に感銘した御家人らは、その場で上皇と戦う決意を固めると共に、改めて幕府への忠誠を誓ったのでした。

ちなみに、上皇の皇子をもらいうけることに失敗していた幕府は、遠縁である摂関家「九条道家」の子「三寅(みとら:後の源頼経)」を四代将軍に据えておりました。
その彼がまだ幼少の身(二歳)であったため、元服するまでは「北条政子」が後見していたのです。
よくあちこちに書かれている「尼将軍」という呼称は、なんと当時からのものでした。
実質、この当時に将軍の役割を果たしていたのは彼女だったのです。

⇒つづく。
 次回は「後の三代執権「北条泰時」活躍する」(5/6)

[関連記事] 【中期・合戦祭り】
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「河越城夜戦」 [  ]
⇒ 日本三大奇襲戦の一つ「厳島の戦い」 [  ]
⇒ 姫若子、ついに初陣! 「長浜合戦」 [   ]
⇒ 炸裂!島津得意の釣り野伏! 「耳川合戦」 [  ]
⇒ 激突・関白軍勢対九州の覇者 「戸次川合戦」 [   ]
⇒ 徳川勢は本当に活躍した?「姉川合戦」[      探訪
⇒ はねる謙信逃げる信長 「手取川合戦」[    
⇒ 戦国メロドラマ劇場「岩村城攻防戦」[    
⇒ 戦国最強軍団の落日「長篠合戦」[    



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


北条政子 (文春文庫)
永井 路子
文藝春秋

このアイテムの詳細を見る

※関連書籍も多い「北条政子」さまです。
 ひでるさんも持ってます。