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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

生きがい

2021-06-20 06:11:14 | よもやま話

絵のタイトルは、「ぼくにちょうだい」です。
「生きがい」を独り占めにしたい猫ちゃん達です。

私にも 生きる権利と 草たちが

今日のタイトルは、「生きがい」です。

恥ずかしいけど、人前で泣けるようになった。
また、生きていける。

尽くして来たけど、一言でばっさり切られた。
私の努力が足りない(弱い)と思ってしまう。
怒るお母さん(世の中)が悪いんじゃない。

本当は、叩くお母さんは力が足りない。
叱るコーチも資格がない。
出会いを嘆いて生きて来た。
お母さんも、一緒に成長しているんだよ。
子どもを持つまでわからなかった。

思い通りに生きていいんだよ。
自分しか分からないことを話していいんだよ。
努力しなくても、人よりちょっとだけ優れていることを究めよう。
なんか違うよなと足掻けば、気づいた誰かが手を差し伸べます。
生きていることこそ、尊いはずです。

「生きがい」のトリガーは、いつどこで引かれるか分からない。
トリガーを引くのはあなたです。
押してくれるのは、見えない空気と時間です。
ゆっくりと周りを見回してみましょう。
見えないけど、わからないけど探しましょう。
ヒントは、「半径5メートル」(NHKの番組からいただきました)かもしれない。

2021年6月20日

<<あとがき>>
いきがい(生き甲斐)とは、
生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと。
(広辞苑より)
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夢じゃない、やればできる

2021-06-19 10:15:23 | プロジェクトエンジニアー

今日のタイトルは、「夢じゃない、やればできる」です。
私は実に長い間本意(夢とはかけ離れた)ではない暮らしを続けてきた。
急ぎ過ぎたと反省している。
甘くはないと気づいたのは、社会人になってすぐだった。
それは、学生時代に芽は育まれた。
種はもっと前、そう産まれたころにできていたのだ。
貧乏と縁があり、ずーっとそれと付き合ってきた。
抜け出そうともがいたことが、生き急ぎでした。
やっと、この頃になって、貧乏と共存共栄しようと考えるようになれた。

戦後焼け野原となって、無条件降伏をした日本です。
第二次世界大戦は、遠く離れたヨーロッパで始まった。
すぐには、敵は来ないからこのまま世界と調和をとって生きていけると、時の外相は説いた。
軍部は、敵が来ない今だから侵略を始めようと、開戦に踏み切った。
世界との共存共栄の道は閉ざされた。

カフェを閉店し、産まれた故郷に帰ることを選択した。
先祖の土地に帰らぬ選択をした都会に住む方から家、宅地を引き継ぐ予定です。
その方の想い(宅地だけでなく全部)を受け、畑、山林、保安林も引き継ぐことになるだろう。
広島中心地まで船と電車で1時間(車で橋を渡っても1時間)ながら、過疎が進み畑も山も荒れている。
猪が里にも現れ、困っている。瀬戸内の島々はどこも似たようなものです。
自然(猪も含む)と共存共栄の道はないかと探ることになるだろう。

共存共栄の道は、どちらかが良いのでは閉ざされる。
どちらも欲をコントロールしながら、道を探らなければならない。
高みの見物とはいかない。やはり、双方それ相応の汗(時には血も)を流す必要がある。
気持ちよく汗をかくためには、知恵も使うし、気持ちの切り替え(相手を想う)が求められる。
都会にいた時、常に追い越すことを考えていた。
ここに来て、追い越されても、遠い山を見る限りさほど違いがないことを知った。
農業をして、リベンジは翌年しかできないことを覚った。
生きる軸は、近くではなく遠いところ(時間も長く)に置いた方が良いと判った。

こう考えると、難しいとか嫌なことも「夢じゃない、やればできる」に変わっていく。

2021年6月19日
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捌いてなんぼ

2021-06-18 10:37:04 | よもやま話

絵のタイトルは、「雪景色」です。
夜半から降り始めた雪が60cmも積もった年がありました。
篠竹を地面まで曲げた。
弱い竹は折れ、しなやかなものだけが翌日天を付いた。
辛い時ばかりではありません。
気持ちを落ち着けて頑張りましょう。


今日のタイトルは、「捌いてなんぼ」です。

空き家の小屋が倒れた。
悪いことに量水器(水道メーター)の上に倒れてしまった。
使用料がゼロとはおかしいと、検針員を使っている会社の地区担当者が来た。
水道使用者として登録されている人は施設に入っている。
空き家の持ち主は、都会に住んでいる。
私が、持ち主の個人データを教える訳にはいかない。

私が小屋を片づけて量水器が見えるようにすると話した。
担当者は、満面の笑みで報告書を作成するという。
彼の仕事は、報告書を作ることらしく、私が何とかすると報告すればよい。
私の名前を入れることを固く断った。

空き家の持ち主が、「草を刈って」と私に電話をかけてくるのと似ている話である。
近所の人も空き家から草が伸びて、自分の家に侵入してきたら、私に草を刈ってと頼む。
なにか違うんだよな。

妻は、苗を育て畑で作物ができるのを喜ぶ。
できた野菜を捌かなければならない。
二人には余る野菜を毎日の献立に組み込まなければならない。
カフェのお客様に配り、都会の捌ける友人に送る。
スーパーで毎日陳列するように都合よく育ってはくれない。

小学生が景観学習でカフェを訪ねてきた。
予定では、5人ずつ5班に分かれてくるはずだった。
カフェの景観づくりに一役買ってと、90cmx25cmの杉板と水性ペイントを用意していた。
雨が降っては、日照りが強くてはと、5.4mx3.8mのブルーシートでテントを前日に張った。
ジュースと塩飴も用意した。
当初の計画どおりにいかず、25人の小学生と見守りの大人15人が一時に来た。
杉板を見て、何ですかの質問に始まり、小学生は喜んで絵を描き始めた。
大人たちは、時間がないとせかした。

「捌いてなんぼ」です。
空き家はいずれは倒壊する。
野菜を作るのは楽しいが、出来すぎた時にどうする。
小学生が地域を訪ね、景観を発見する計画も素晴らしい。
判ってはいるけど、満足にできないことばかりです。
仕事を捌くのは義務感もあり誰もができることです。
気持ちの整理をつけるとか、思いやりもどこまでとか考えると行き詰まる。

ビジネスも一緒でした。
つぎはぎのような仕事が通常で、予期せぬ事態に振り回されました。
部分最適ではなく全体最適を目指そう。
営業の時からエンディングストーリー(計画から引き渡し後のメンテナンスまで)を描いて商売をしよう。
今でもあたふたと生きていますが、当事者だけが学べると気づいています。

2021年6月18日

<<あとがき>>
地域にきて、いろんなことを学んでいます。
5年前の体力ではない。
知識も追いつかない。
ただただ、今の自分にできることはなにかと問い続けています。
(筆者)
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パーのあとにピー

2021-06-11 06:58:10 | よもやま話

絵のタイトルは、「たんぽぽの目」です。
「たんぽぽの目」という絵本を孫に送った時に、挨拶状(この絵)も付けました。
孫は、違うもの(何とか戦隊)が欲しかったみたいです。
こんな顔で、そんなもの一切無視。孫は泣いたかもしれません。


今日のタイトルは、「パーのあとにピー」です。
先輩がパー3で、見事「パー」を達成した。
小声で腹具合が悪いので行ってくると、先輩が森の中に消えた。
「ピー」みたい。
あれれ、ボールを拭くタオルがない。
湿っていて気持ちがよかったでしょう。と私。
そうだな。と笑顔の先輩。
それからも、先輩の快進撃は続き、私は負けた。

こんなタイトルで話を進めたくはなかったのです。
カフェ閉店をきいてか、連日お客様が絶えません。
これなら、閉店セールをこの先も続けるか。妻と話し、笑う。
私が暮らしていた横浜のある商店街で、10年間以上も閉店セールを打ったつわものがいた。
靴屋であった。
あそこが閉店セールをやってるぞと子供に勧めた。
子持ちになった長女が、私が小学生の頃から閉店セールをやってるわよとの返事だった。

カフェの赤字は続き、自分の資金をつぎ込むまでになってしまった。
遅かりし内蔵助です。
畑仕事に、空き家の草刈と草刈り機の修理、小学生の景観学習の手伝い、カフェの仕事で大忙しです。
こんな時は、ささいなことで妻と喧嘩になる。
私は我慢しないことにした。妻もやり返す。
鍋釜を投げ合う元気もなく、言いたいことを言い合っておしまい。

パー(よいこと)もあれば、ピー(予期せぬ悪いこと)もあると言うことです。
そして、すっきりした後は快進撃です。

2021年6月11日
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人と交わる

2021-06-10 01:44:14 | よもやま話

カフェの椅子は、すべて「愛の椅子」(絵のタイトル)です。
お寺に参りありがたい法話を聞く。
山門を出て帰り道、人の悪口を言う。
「えへへおほほ」です。


底なしの 痰壺になれ まだ遠し

通販というものがある。
金さえあれば、30分限定に乗り、手に入れることができる。
認知気味のお兄さんがいる。家族(息子の嫁)と話すことは皆無に近い。
通販で買ったものが山となり、訪ねてきた甥に「好きなもの持って行け」と声をかける。
買った物さえ、買ったことさえ忘れてしまった。
妻が生きていれば、通販サイトに電話をする夫に、「こないだ同じもの買ったわよ」と制止する。

今日のタイトルは、「人と交わる」です。
ネットで「アイアンの打ち方基礎編」を視る。
真似しようにも、身体が固くて、ひねりあげることができない。
先輩とラウンドした。
先輩も身体の状況は同じである。
なのに、10歳以上年下の私と飛距離が変わらない。
よく見ていると、先輩はボールの真に当て身体ごと前にひねり球を押し出している。
ネットで学んで、テレビのゴルフ番組を視て真似をする私は、いつまでも現実と理想の狭間にいる。
自分の状況にあったフォームで、ヘッドスピードをあげ、球をできるだけ正確に遠くに飛ばそう。
言い訳など要らぬ、「人の振り見て我を活かせ」です。
先輩と一緒にラウンドさせてもらわなければ判らぬことです。

カフェにはいろんな女性が来られます。
自分勝手なお客様は、社会(家族)との交わりに苦労されているだろうなと推察できる。
器用なお客様は、なんでも挑戦する。
結果が出したい故に、簡単な料理に、居心地のよい環境に走る。
お決まりは、ダメ亭主の悪口です。
聞き役の私は、多くのことを吸い取り紙のごとく吸収する。
目標設定があったころは、自分のことで精いっぱいで聞くことなどなかった。
聞くふりをしていても、話も文句も頭をかすめて私の後ろで失速して空しく転がっていた。
ひとしきり愚痴を言われたお客さんが帰る時は笑顔でした。
来店前より元気になって帰られた。
また来てもらえるよう、草刈をする。

2021年6月10日




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