タイトルは、命の水。
多くは望まぬ、水さえあれば。
この一週間、疲れとひざの痛みで毎日絶え絶えでした。
やっと、今朝になって疲れが引いてきました。
ひざの痛みがやわらいだからでしょう。
今日のテーマは、「潔い」です。
潔いとは、
たいそう清い。汚れがない。また、すがすがしい。
潔白である。汚れた行いがない。
未練がない。悪びれない。平気である。
小気味よい。
(広辞苑より)
自省してみるに、私の生き方とはかけ離れた言葉です。
清くもないし、汚れています。
未練たらたらで、おどおどして生きてきました。
人は、財産では生きていけないことが判りつつあります。
無いよりは有った方が良い。その程度です。
しかし、財産は食いつぶすのではなく生かさなければならない。
立って半畳、寝て一畳と言われます。
大きな家があっても、わずか二間で暮らす毎日です。
リビングと寝室があればよい。
大きな家を掃除することさえままならない。
二階にあがることさえ久しくない生活です。
子供たちが巣立った後は、空き部屋だらけです。
一反歩の畑を作物でいっぱいにする。
草だけでもとりたい。
植えたとて、家族だけでは食べきれぬ量の作物が獲れます。
もったいないから、新鮮なうちに都会の友人に送る。
カフェで、料理にする。
少々出来が悪くても、刻んでしまえば新鮮さが取りえとなる。
たくさんのことは望まない。
出来ぬことばかりが気にかかる毎日です。
出来ぬものは出来ぬ。
散漫になりがちな思考回路です。
しかたがない。
いつも良いことばかりは思いつかない。
あるがままとなります。
未練がない。悪びれない。平気である。
こう考えることにした。
「小気味よい。」には程遠くても、近づければ良い。
梅雨の晴れ 洗いざらしの 木綿干す
2018年6月24日