故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

癒す

2016-07-25 06:24:01 | よもやま話

男は胃袋でつかむ。
けっして上品ではないけど、癒される。
馬鹿野郎、かえって寝ろ。


美しいだけでは、癒されない。
男は、甘えん坊でどうしようもなく可愛い。
天使のような女性がいるものです。
母とは違います。

あとでね。と騙されることもない。
安心しきって、つい愚痴が口をついて出る。
全部のみ込んでくれるような女性がいらっしゃいます。
こんな店は、流行るのです。
親父は、ひっそりと焼き鳥を焼いていたりして。

辛い夜が明けぬことはない。
今日もしっかりと朝を迎えることができました。
昨夜は、どうしてあんなに飲んだのか。
毎朝、反省するのです。

今日のテーマは、「癒す」です。
病気や傷をなおす。飢えや心の悩みなどを解消する。
と広辞苑に出ておりました。
急ぎ足の現代では、重要な事柄となっています。
スイスで観た深夜のテレビ。
延々と暖炉で火がちろちろと燃えている映像を流していました。
この暖かそうな火を飽きずに眺めていました。

素晴らしい景色を見る。
同じくテレビのコマーシャル。
「この木、何の木~」とのんきに歌う日立のコマーシャルがあります。
野原に立つ大きな一本の木、強い日差し。
その木の下に入りたいと想像させます。

囲いの中から逃げられないような日常です。
今日もあの上司の顔を見なければならない。
と思うと朝から憂鬱です。
事務所のいつもの席にいなければ良いがと、すりガラスごしに覗いたりします。

身体の変調は、気の病から起こることが多いと言われています。
私の解消法は何だったでしょう。
繰り返しのような馬鹿な行動だったんではないでしょうか。

インターネットでアクセスが多いサイトは、癒しの画面を用意している。
それが見たいので、アクセスする。それも大勢の人が。
大助、花子の漫才を見る。いつものように大助君がこけにされている。
心の底から笑わせてくれる。
幼子の連想ゲームを見ていると、ひとりで何役もこなしている。
終わりのない独り芝居に癒される。

はっとするような暗い表情の爺さまがいる。
なんでこんなに暗いの。シャッター街に残り住んでいるお年寄りの顔でした。
自分の現実逃避が、一瞬にして止まる。

なんでも良い。
人々は、「一回休み」のリセットが必要です。
変だなと思っても大目に見ようではありませんか。

はしこけて 笑うは二十 元気出し

2016年7月25日
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6次産業化にかわるもの

2016-07-24 05:06:16 | プロジェクトエンジニアー

野菜といっても、良いものはなかなか採れません。
4月に来て、荒れ地を耕した土地に植えたものです。
早いもので、もう収穫の時期になったのかという感じです。

鍬をふるっても、山の下草を刈ってもすぐに疲れてしまいます。
野菜を植えれば、ちゃんと育っているか気になります。
荒れ放題だった山の下草を刈れば少し見映えがよくなりました。
もっと良くなるかもと欲が出てきます。
気持ちに身体がついていかないことの繰り返しです。

地域おこしに来た人も、受け入れ側もさまざまです。
都会でちゃんとした仕事に就けない人も含まれています。
志を持ってやっている人もいます。
地域おこし隊員の給料も経費も国(総務省)の負担です。
受入側にしても、タダの人(補助金)を使わなきゃ損だという方もいらっしゃいます。

地域おこしの仕事が、青年海外協力隊(JICA)のように認知され、
キャリアとして誰もが認めてくれるまでには時間がかかりそうです。
若い人たちは、教育も受けていないし経験もありませんから、行き当たりばったりです。
受け入れ側もビジョンがなく、とりあえず地域の手伝いをしてくれと言われることが多いようです。
日本が抱える人口減少高齢化問題が著しい地方です。地方は、都会より先に取り組んでいます。
いろんな理由で地域だけでは回らなくなった暮らし(経済、サービス)を、
枠組みを広げることで、回るようにする仕組みや考え方が求められています。
今までは、都会から地方へトレンドや生き方が、情報(良いもの)として流れていました。
新しい考え方や生き方を、今度は地方から発信する時代になって来るんじゃないかと考えています。

確かに、地方で働く人の給料は低いようです。
しかし、ベーシックな経費(流通、移動に必要な経費、住まい、食べ物)は、
都会に較べればタダ同然です。
そこでバランスが取れているのか、地方の人は暮らしに困ってはいないように見えます。
しかし、少子高齢化によるダメージの広がりと打撃は、地方が圧倒的に早くひどいと思われます。

今日のテーマは、「6次産業化にかわるもの」です。
市場に出せないもの(B級品)の商品化(サンプルづくり)をしてくれないかと、
農家の方から頼まれました。
農家の方は、御主人を亡くされて一人で広い農園を守っています。
手が行き届かず、良い商品づくりが間に合いません。
大きくなったB級品を捨てざるを得ないようでした。
その捨てるB級品の商品化です。
2日間のうちに、10種類(サンプル)を作りました。

ここからが問題です。
6次産業化(原料→加工→販売)するには、いろんな工夫と資金が必要です。
投資した資金を回収しようとすると、大量につくることになります。
大量生産ゆえに、完成した特産品はどこにもあるような(保存料入り)ものに
なってしまいます。
加工するには、加工場(大きな会社)に頼むか、
忙しい合間をみて慣れない努力をするしかないようです。
特産品は高くなる分だけ、品質的にも優れていなければなりません。
販売も流通業者に間に入ってもらわなければなりません。
ほとんどの特産品が、補助金切れと共に消えて行きます。
特産品づくり(6次産業化)のハードルを低くするためには
どうしたらよいかと考えました。

市場に出ないもの(B級品、伝統料理)はこのように美味しいと
一流の人(シェフ、地域の料理人)が調理したものを食べてもらう機会を作ります。
美味しいと感じ、また食べてみたいと思われる方に、
原料(B級品、素材)をレシピー(料理方法)付きで売ったら
良いのではないかと考えました。
ソフトを併せれば、原料を格安で売ることができます。
加工場も必要ないし、ネットでつながっている欲しい人(料理を食べた人、消費者)に、
新鮮な商品(原料+料理法)を余っている(供給できる能力)分だけ売ることができます。

地方には、B級品や素材が溢れています。

私達は、ネットで情報発信するとき、「伝えたいこと」(イベント、観光、特産品など)を
主眼に置きます。
ネットにアクセスする人は、「自分のためになること」を期待して開きます。
楽しいこと、癒されること、得することがネットで欲しい情報です。
ここにギャップがあります。

「美味しいもの」は特産品(完成品)でなくても良いと考えます。
まずは、美味しい体験が必要です。
体験をもう一度したいと、リピーターが増えていきます。
地方での体験が、こんなにも楽しいことだったのかと気づき、
体験したあと(稲の苗を植えれば、ちゃんと育っているかなど)のことが気になり始めます。
これはもうリピーターの心理です。

ネットで疑似体験することも良いでしょう。
楽しかったことが、人生に影響を与えたことが残ります。
本物に接してみたいと思うようになるかもしれません。

「6次産業化」を考えてみました。
原料を作る、自分で加工する、自分で売ることがいかにハードであるか。
加工業者は、最低ロットを言われます。
生産ラインを活用するには、1トンの原料がなければならない。
1トンの原料を加工した商品を売りさばくには時間が必要です。
その間、原料(一時期に採れる)を保管(冷蔵庫、冷凍庫)しなければならない。
流通で売るためには、瓶詰、缶詰、袋詰めやラベル貼りをしなければならない。
保存料も必要です。
売れなかったらどうしよう。
六次産業化は、リスクが高い。それでも特産品を作らなければならない。
サンプルづくりをしながら思ったことです。

「6次産業化にかわるもの」を考えています。

「6次産業化」は、情報発信する側が勝手に思いこんでいる従来手法の延長線上にある
考え方ではないだろうか。
情報の受け手側は、そんなことを望んでいないかもしれない。
それなのに、一方的に情報(商品)を売らんとするのは、無理があるかもしれない。
地域おこしをしようとする人は、情報の発信者であり、受け手です。

ここにも、「営業は聞く6分、話す4分」が生きてきます。
聞くこと(受け手側の心理)に重きを置いて、今後とも取り組んでいきたいと考えます。
妻からヒントをもらいました。良くできた妻です。早く帰っておいで。

なにか変 いつか来た道 また帰る

2016年7月24日

2015年12月26日投稿記事「6次産業化」を参照ください。
牡蠣の6次産業化に関する記事です。

2016年2月29日投稿記事「6次産業化(Part2)」を参照ください。
あの店員さんからものを買いたいと思われると書いた記事です。


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昔は泣かせたな

2016-07-22 08:44:21 | よもやま話

いやあ疲れました。
パワーあふれる笑顔でした。
見事としか言いようのないエレガントな表情でした。



いやに肌艶が良いご年配の婦人に会うことがあります。
普通のおばさんと言ってしまえば、それまでです。
何か違う。

年配の女性の経年変化した顔やボディーは、いかんともしがたい哀愁があります。
しかし、その出っ張り引っ込みにかつての「ナイス」が潜んでいます。
「あれれ」てなもんです。
これは何か。

追求するのは、恐れ多くてできません。
ここからは、ただひたすら想像の世界に浸ることなります。
元々美人だったのか、結婚後揉まれにもまれてそうなったのかわかりません。
揉むのは、身体のことではなく、人生そのものです。
経年変化の中にも、光り輝くものがある。
これは何だとなります。

それは、女にもある生きざまのクローズアップのような気がして来ました。
男の渋さとは違う輝きです。
男は磨いたような渋さです。
女の輝きは、自信あふれる笑顔のようです。
もう水滴を弾くことがない肌です。
しかし、輝くものがある。これは、内面からでてくるものに違いない。
あけすけなトークが素晴らしい。無邪気に笑う笑顔がかつての乙女を彷彿させる。

こりゃ、ずいぶん泣かしたわい。
ライバルいっぱいの男達の激闘の末、選ばれたのかな。
そうではない。
この人は、選ばれた後の生きざまが輝きを醸し出したのではないか。
そうでなければ、このような美しさは出てこない。
そう、最近までいや今もその努力を怠っていないからに違いない。
昔は、生まれつきの姿で泣かせたのでしょう。
今の美しさは謎のままとします。
これ以上の分析研究は、身体によくないので止めておきます。

私は、密かに感動を絵にします。
ありがとう。
こうしてハードルを上げて描く似顔絵は、厳しいものになるでしょう。
ゴメンナサイとなるかもしれません。

ほめるのは 幼子だけに やけどする

2016年7月22日



この方の柔らかい表情が出せませんでした。
この方こそ、今回書いたモデルです。
また挑戦させてください。
筆者

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妻の帰郷

2016-07-21 06:52:35 | よもやま話

何しに帰って来るんだ。
用もないのに、お金がもったいない。

妻の「明日帰るよ」の知らせに、広島にいる年老いた母の答えでした。
妻は、「やれやれ」と暗い表情でした。
私は、「こりゃ、まだまだ元気だわい」と思いながら、
お母さんは、娘の経済が心配だから言ってるだけで、
本当は、喜んでいると言う。
現にいつも、ご馳走を作って待っているではないか。
頑強に私達の結婚に反対しているお母さんです。

子どものことを思わぬ親はいない。

末娘から、電話があった。
広告の営業企画がしたいと、転職を模索していました。
正社員として、内定通知が来て喜んでいたところへ、
役員の方から、最初は契約社員で働きが良かったら正社員にしましょう。
と内定後に話があったとか。募集要項に「正社員募集」とあったのに。
相談したいことは何かと聞いたところ、「ぐちを聞いて欲しかった」との返事。

それは、正しくないやり取りで、条件をはっきり文書にしてもらいななさい。
若い時の2-3年は、安くても条件が悪くてもやりたいと思う仕事をやりなさい。
望んだ道に入れたことを喜んで、
待遇やそのほかのことは入社後見極めてからあとのことを考えなさい。
とアドバイスをする。
気の強い子が珍しく泣いていた。

子どもに何を伝えるでもありません。
生き様を見てもらうしかありません。
死んだ後に、親父はこんな男だったのかと思ってもらえれば本望です。
妻のお母さんは、農作業で疲れた身体を揉んでくれる手もなく、
柱に身体を押し付けて凝りをほぐしておられます。
気丈に生きておられます。

昨日、摘果した桃の試作品(全9種)を頑張っているお母さんに届けました。
手を合わせて感謝されました。いろいろと愚痴が出てきました。
連れ合いを亡くされて、苦労を重ねてきたのでしょう。
うまいと評判の桃農家です。

一夜明け、妻は嬉しそうに帰る支度をしておりました。

遠き道 重き土産を 故郷へ

2016年7月21日

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椅子で寝る

2016-07-20 07:02:51 | よもやま話

元気になった妻があれこれ話してくる。
どうして、へちまは張ってやった網の下を伸びて行くのか。
と質問をされる。
冷蔵庫を開けると、生ニンニクをたっぷりのコチュジャンで漬けた桃が臭い。
瓶詰にしたら臭わなかったのに。
井戸水を沸かして飲んだら安全だと思わないか。
カルキが入った水道水より絶対美味しいはずだ。
ドラ焼きを半分ずつ食べないか。などと提案される。

起きて間もない私は、ふんふんと聞く。
久しぶりに良く寝ました。
妻は椅子から転げ落ちてから、ふとんで寝たそうです。
私はいつまでも椅子でまどろんでいたらしい。

シャツだけで寝ていると、出ている肩が寒くて目が覚めました。
信州あたりに旅行に行っているんではないかと、寝惚けた頭で現実に近づきました。
せがんでいただく、日本茶が美味しい。風味が熱々から伝わってくる。
半分残ったドラ焼きが美味しい。

やっと、今日のテーマ「椅子で寝る」です。
椅子で寝るのは、何かの途中でつい居眠りをすることです。
「何かをしなければ」から一瞬解放されます。

夏の暑い日、やっと座れた電車の中で決まって居眠りでした。
ぐっすり寝ている人が、ぱっと起きて目的の駅で降りていかれます。
体内時計の働きが良いのでしょう。
それともまどろみながら意識は降りる駅にあったのでしょうか。

会議の途中で寝るのも不謹慎だが心地よい。一回休み、てなもんで。
重要な会議は立ってやる。少ない議題でぱっぱと済ませてしまう。
座って、長々と続くいつも聞くような上司の話は子守唄がわりでした。
座らせるからそうなります。
自分の話が終わった上司も、安心したかのように居眠りです。


こんな顔が目の前に突然出て来たら、きっと目も覚めるでしょう。

おじいちゃんがお気に入りの椅子の上でゆらゆらとしている。
あの世の扉を行ったり来たり。

さすがに出がらしのお茶は、初めに飲んだ時ほどの感動はない。

小指を立てた隣のおっちゃんが、若い女性3人とゴルフをしていたと妻から聞いた。


やるもんだわい。それで女の人はいくつくらいだったと聞く私。
内心、羨ましい。

こうして、椅子の上で目覚めていきます。

すずめどん あんたはすでに 朝餉すみ

2016年7月20日

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