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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

三つのほし

2015-02-23 05:40:03 | プロジェクトエンジニアー
爺、何してるのと言われたい

あと何日働くと休めると思うことがあります。

外資系に勤めていた頃、5時終業で6時には誰もいませんでした。
その頃は、外人のマネージャーが多かったのです。
業績も良かったのです。5時から何をしようかと思ったものです。

外資系の会社では、マネージャーが日本人に変わってきました。
次第に、残業が多くなりました。
マネージャー自ら残業をするようになってから、
さらに加速されたように思います。業績は、悪くなっていきました。

年間の労働時間が、1500時間(ユニオンが強く指導)と
決められた国から見れば、日本人の働きぶりは異常に映ったかもしれません。
外国(ヨーロッパ)に出張した際、私が見た限り残業する人はいませんでした。
特に、ドイツはその傾向が強いようでした。
反面、スイス人は働きものでした。残業も厭いませんでした。
スイス人は、出稼ぎ国家です。自国だけの経済活動では成りたたないからです。

ドイツの夏は、夜9時でもまだほんのり明るかったのです。
ほとんどの人が、30分以内に自宅に帰れました。
国が、施策で企業を一極集中ではなく地方に分散していましたから
朝夕のラッシュは少なかったのです。
会社の人たちは、家族や友人と5時以降を過ごしていました。
家族が揃って夕食を取っていました。

私が小さい頃、両親は夜明け前から働き、昼は梅干しでかきこみ、
夜は暗くなっても働いていました。どこの家でもそうでした。
いわゆる「三つのほし」です。これが、良しとされていました。
かつて勤めたエンジニアリング会社では、11時頃まで毎日残業をし、
土曜日も会社に出ていました。皆さんもそうされていました。
上司も、社員の評価軸として、「能力 x 労働時間」と明確に言っていました。
ある時、上司に猛反発しました。残業を好きでやっているのではない。
初めから、長時間労働を前提にした評価基準を掲げる上司に反発したのでした。
それを貴方の口から言ってはいけないと言いました。

今、思います。毎日、集中して仕事が出来るのはわずか4時間くらいです。
あとの4時間は、集中しなくてもできる仕事をしています。
周りの雰囲気は、さらに4時間の残業が当たり前の仕事ぶりです。
何が人生の優先事項なのか疑うときがあります。
だらだらと時間を費やしています。
残業代が収入の1/4~1/3になると仕方がないのかもしれません。
残業代を払う企業が立派ではないのです。

メディアで犯罪者の放送を聞くたびに、
「犯罪者は無職」というのが気になります。
代わりはいくらでもいるんだぞと会社はそして社会は言っているようです。
社員を大事にしない、見る目をもたない上司がいる会社は持たないのです。
ホワイト企業の離職率は確かに低い、ただし離婚率は高いのです。
エリート社員は、転勤は当たり前で、子供が大きくなるとほとんどの人が
単身赴任です。これでは、家族の関係を維持できません。
両親それぞれが勝手なことをし始めます。するしかないのです。

私は、製造の効率化のレポートを書いています。
受け入れられるか心配しています。会社を動かしているのは社員です。
社員は、効率化など望んでいないのです。
右肩上がりの売り上げアップこそ生きる道といまだに思っているのです。
時代遅れの「みっつのほし」がまだまだ生きている世界です。

あと数年の仕事で、私の人生は終わりません。
今のうちから、またその後どうしようか。真剣に考えています。
私だけが良くても駄目なのです。
私達は、衰退していく国に生きているのではありません。
世界では、幸せになりたいと思っている人が多くいます。
独立こそ自分たちの「幸せ」と思って戦争をしている人もいます。

私達は、現実から離れて生きていくわけにはいかないのです。
私にできることを、勇気を持ってやるしかありません。

2015年2月23日
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2015-02-22 06:12:50 | プロフェッショナル
雪道、それでも行かなくては

まず、描きたい絵から入りました。

どうして、雪道なんでしょう。
寒いから家に居たい。出かけたくない。
用事があるから出かけます。
真冬の札幌、豊平川にかかる九条大橋を渡る時、耳がちぎれそうでした。

今日は、サービスのプロフェッショナルを紹介します。
わが社にいる62歳のサービスマンのことです。
出会ったのは、18年前のこと。
きらりと光る何かを持った方でした。
何でも頼みました。なんとかしてくれました。

昨日、冷凍庫の中でピッキングをするロボットが故障しました。
パレットの上に積んである番重を倒したのち、
このロボットは動かなくなりました。ただ、それだけの情報でした。

ロボットのアームは伸び切っていました。
まずは、手動で原点に戻し運転再開しました。
番重は、32段。最初に取りに行くべきところへ止まりません。
緊急停止ボタンを押しました。コンピューター画面で、
再度正しい番重数を入力しました。ロボットが記憶している
番重数は違うようです。
手動でそのパレットを移動し、手取り位置まで出しました。
次のパレットを出庫し、再度ロボットに出庫指示を出しました。
ロボットは、定位置で番重をつかむものの途中で止まりました。

それから一つずつ故障個所を見つけ順繰りに対処していきました。
最後に集計すると5箇所にもなりました。
ロボットの誤動作で、余計な負荷(800Kgを移動できる)がかかり
破損したのでした。ロボットは4方向から番重を押さえて、持ち上げます。
番重をホールドするアームの取り付けボルトが
破損(6mmx4本が剪断)していました。
ホールドするプッシャーの90度ずれた両方向から番重を固定する
補助的役割のサイドプッシャー(10mmのステンレス板)が
曲がっていました。
サイドプッシャーの動きを確認するフォトセンサーが断線していました。
-20℃の環境では、柔らかい銅線ももろくなるのです。
剪断箇所対面のアームプッシャーのフォトセンサーの台座が
曲がっていました。
ロボットのメモリーが違っていました。

諦めずに、故障を見つけ治します。
再運転をしアラーム(異常)が次から次に出てくる個所の修理をしました。
この人の作業を支えているのは、諦めない気持ちが強いことでした。
アラーム(異常)が出るのは、何らかの原因があります。
その原因を見つけ、丹念に修理していくのです。
ロボットメーカーを呼べば、治るのは火曜日になるでしょう。
3日後です。その間、手作業で出庫し続けることになります。
-20℃の中で、延々と修理は続きました。
凍傷にならないように時々冷凍庫の外に避難します。30分が限界です。

この方は、オペレーターに丁寧に状況を聞き続けます。
オペレーターはうつ病になっていました。
オペレーターは、-20℃の冷凍庫で毎日働いています。
静かな男は、過酷な仕事を会社に文句も言わずに続けていました。

治ったのは、オペレーターより修理依頼の電話があってから8時間後でした。
見事に、ロボットを復活させました。
この人は、自慢などしません。ひたすらプライドを持って挑戦し続けます。
持ってる力の全部を出し切ります。
時には、コンピューターを使って、シーケンサーの数値を変更します。
心ある若いサービスマンは彼の後を追います。そして、技術を習得します。
彼に師事した若い男達は、諦めない男に育っていきます。
会社は、その仕事ぶりを高く評価していません。

彼は、工場の誰彼なしに話しかけます。
若いオペレーター達は、彼の技量と人柄をよく知っています。
困った時に、最初に電話をかけるのは彼なのです。
電話がつながらない時は、順番に弟子にかかります。

サービスのプロとは、諦めない折れない心の持ち主なのです。

2015年2月22日
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夏休みの宿題

2015-02-21 07:01:13 | 思い出話

モバックショウに行ってきました。
製パン・製菓の展示会のことです。

製粉会社も原料側の提案会社として出ていました。
こちらも縁がありました。
サービスで回っていた頃、購入いただいた外国製製粉機を
一緒に立ち上げた若かった方が、今は社長や役員です。
昔話に花が咲きました。
営業で回っていた頃出会った、
初めて製粉業に挑戦した会社も出ていました。
小さなブースでした。私達は後発ですからと謙虚でした。
こうした方が良い、ああすればと色々提案しました。
あの一生懸命が懐かしい。手を抜かないで良かった。
接客してくださった専務の笑顔が証明していました。
北の大地の恵み、国産小麦が見直されているのです。

今日のテーマは夏休みの宿題でした。
いつも追い込み型でした。
絵日記の天気欄だけは、仕方がないから空欄でした。
毎日、たんぼの水温を調べて、「稲の生育と水温の関係」を
調べた同級生がいました。県の奨励賞を受賞したのでした。
私は、すごいことをやったものだと感心しました。

こうして、毎日ブログを書いていると、
夏休みの宿題が思い出されるのです。
毎日絵日記を書いていれば、きっと楽しかったのにと
子供の私に耳打ちしたくなります。

海に、山にそして友達の家で、ラジオ体操に行った帰り道から
遊んでいました。
いつも負かしているお兄さんが待っていて、将棋を指すのでした。
ああ、よくもあんなに遊んだものです。
ご飯を食べる以外は、外で遊んでいました。
両親は、起きたらいなくて、もう畑で働いていました。
どうしてると聞いてくれていたら、宿題をもう少しやっていたかも
しれませんね。

今は、遊ぶことが長続きしません。
休むことが、すなはち遊びのような感があります。
温泉に行く、旅行に行く、友人たちといっぱいやる。
ブログを書く。
すべて、休みです。子供の頃には、ちっとも楽しいことだと
思わなかった遊びのジャンルです。

いえいえ、このブログも夏休みの宿題といっしょです。
違うのは、毎日ブログ訪問者の数字が出ることです。
書き続けてもいいんだよと支持してくれているような
温かい気持ちになります。

夏休み 終わってみれば 冬休み

2015年2月21日 
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のんびりの時間

2015-02-20 06:46:17 | よもやま話
静岡荒波、風車のアグリー海岸

することがない。

これは、義務のような仕事から解放されたことを意味するのでしょうか。
それとも、何にもやる気がおきないからなのでしょうか。

どちらでも良いのです。
まずは、のんびりとしましょう。

音楽を聞いて、本を読んでそして散歩をしましょう。
私は、時間を潰すことを、ことさらに怖がってきました。

毎日、寝て起きての繰り返しです。
人生に意味など追求することが、そもそも間違いだったのです。
あるがまま。毎日の営みをひたすら繰り返す。
少し頑張っていれば、たくさん頑張ることもあります。
頑張ることが、目的となるのは悲しいことです。
勢いで頑張ってしまったくらいが丁度よいのではないでしょうか。

先日、仲人さんを訪ねて老人ホームに行ってきました。
毎日、暇だと言われていました。することがない。
インフルエンザにかかってはいけないから、外出は控えておられました。
老人ホームは限られた個人のスペースしかありません。
多くの荷物と共に、思い出もしがらみも自分の部屋に置かれて、
着の身着のままで出てこられたのです。
哀しいことでしょうか。嬉しいことでしょうか。
生まれて来た時は、何にも持たずに出て来たのです。
冷静に受け止めることにしました。

時間があってもやることが無い。
やりたいことがあっても、時間がない。

どちらも結果は同じです。
やらないのです。
気持ちのベクトルの方向が違うだけです。
大したことではないのです。

怖れるな。
と自分に言いたいのです。
たくさんの宿題の夢をみます。
若い時にできなかった、果たせなかった事柄のオンパレードです。
夢で良かったといつも冷や汗です。

のんびりした時間こそ、自分そのものです。
そんな時があることを喜びたいと思います。

ちいさ子の あのねどうして 忘れたか。

2015年2月20日
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年よりの小言

2015-02-19 06:02:28 | よもやま話
  言いたいことはいっぱいあるでしょう。

今日のテーマは重いのです。
でも、勇気を奮って書き始めました。

こんなはずではなかった。
良かれと思い伝える気持ちで言ったつもりが、つい、説教になってしまうのです。

「鶴の一声」と言う言葉があります。
権威者・有力者などの、衆人を威圧し、否応なく従わせる一言と
広辞苑に出ていました。
この手の話は、いつも伝え聞きです。対話して体験するものではありません。
私は、常に嫌な気持ちになります。言って得意になっている成功者(社長など)の
馬鹿面が想像できます。一生、一緒に飲みたくない人です。
世迷言、むしろ裸の王様の感さえあります。
言っていることは、きっと正しいのでしょう。私は、半分正しくないと感じます。
皆さんの考える機会をその「鶴の一声」は、奪ってしまったのです。
これまでの成功例(経験)を付け加えたかもしれません。

良く考えてみますと、その「一声」は考えることをやめてしまったご都合主義者が
利用したのかもしれません。虎の威を借りた、まとめかただったかもしれません。
利用されたカリスマが気の毒とも思えます。

年寄りの小言を嫌っているわけではありません。
長屋に住んでる熊さんや八っつあんは、困った時は隠居の老人に相談に行きます。
尊敬を集めている隠居は、正しい答えを分かりやすく教えてくれます。

違うのは、求められた時の話かどうかです。
ビジネスの世界はそんなに甘くはないと言われるでしょう。
そうですか。何でも最初に口を出される上司が、会議をぶち壊すのです。

正しいことは、常に正しいとは限らないのです。
年寄りが、開発した新商品(食品)に口を出してはいけないのです。
脂っこいだとか、甘すぎるだとか塩気が強過ぎるとか。
若い時には、さんざん油のしたたる肉を食った癖に、
医者から塩分を控えるように言われているのでしょう。

その開発商品(食品)は、誰をどの年代をターゲットにしているのでしょう。
年寄り向けの商品であれば、その年代である自分が発言をする機会が
あっても良いでしょう。
リードすることは、自分の意見を押し通すことではありません。
昨日成功したことは、今日成功するとは限らないのです。
むしろ失敗することが多いのです。新鮮さにかけるからです。
斬新なアイデアを出した社員を押してやるのが、成功者の後継者作りです。
機会(挑戦)を創生するのが、私達の年代の役目ではないでしょうか。
それが、老害となってしまっては、情けない。

日本経済新聞に「私の履歴書」という記事が連載されています。
かつての会社のその時の上司から読んでくださいとメールが来ました。
「元気にやってるか。」の一言もありませんでした。
自分の会社の偉いさんが、その番になったのでしょう。
一人でも多くの人に読んでもらいたかったのでしょう。
あるいは、自慢したかったのでしょう。

私は常に用心しています。
私の一言が、この人の考える機会や経験するであろう苦労(勉強)のチャンスを
奪ってしまうのではないだろうかと考えます。
生姜の姜さんのような語り口は、私にはできません。
心にしみる語り口は、この人だからできるのです。
こんな素晴らしい哲学者でも、遠慮しながら言葉を選んでいます。

成功者はコピー(賛同者)を作ってはならないのです。
センチュリーカンパニーにはなれないのです。
カリスマが去った時が、賞味期限が終わる会社であってはならないのです。
株主は、個人に投資してはいないのです。

私は、もうその年代です。
人生をまだまだエンジョイしたいのです。
「爺ちゃん、どうしてる。」と孫から話しかけられたいのです。
自らその光を消したくないのです。

気づかぬうちに、私もそうなのでしょう。
決して疎んじられない生き方があります。
それは、常にチャレンジすることです。
新しいことに、今まで経験したことが無いことに挑み続けるのです。
忙しいからできなかった、やりたかったことでも良いでしょう。
昨日より今日。今日だけに責任を持ち続けたいと考えています。
きっと、もっと謙虚になれるでしょう。

2015年2月19日

(読後感)
まだ、何かあるはずだと考えています。
まだ、考えが不足しているように感じます。
皆さんも同じような体験を日々されていることと思われます。
嫁姑のこともそうです。親子断絶も、親離れ子離れもそうです。
決して甘えてはいけないのです。孤独を感じているのは、私達なのです。
ますます孤独感は強くなっていくでしょう。
当然のことです。だって、友人が親戚がどんどんいなくなっていくのですから。
私達は、経験豊富です。
でも謙虚さのない経験は、時として暴挙(世迷言)となってしまうことがあります。
私は、もっと思索を重ねたいと考えます。
そして、もっとあっけらかん(ひょうひょう)と生きていきたいのです。
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