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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

出たとこ勝負

2015-02-18 07:07:40 | よもやま話

旨いものに国境はない。
とよく言われます。

地元の人が通う店に行きます。
出来たら古い暖簾が掛かっている店が良いと思います。
一日たりとも裏切らないサービスの連続が暖簾です。

ステュットガルトで食べたニョッキの入ったスープは、
年季が入ったお袋の味でした。塩加減も良く食べやすい温度でした。
小さなホテルの厨房で、ドイツ人のおばあちゃんが作ってくれました。
美味しいと親指を立てると、おばあちゃんはにこにこしていました。

何でも入った闇鍋のようなスープをいただいたのは、韓国の食堂でした。
あじゅま(韓国語でおばちゃん)は、マッコリを冷やして迎えてくれました。
闇鍋からは、魚の骨つきの身を丁寧に取り出しながらいただきました。
二日酔いの朝は、ヘージャンクー(牛の血の冷スープ)で元気を取り戻しました。

パキスタン人の淹れたチャー(紅茶)はどうしてこんなに旨いんだろうと
思ったものです。
カレーを付け乍らいただくチャパティーは、現場仕事の合間でした。

私は、心の準備をしないことにしています。
資料は、綿密に作ります。それだけです。
毎日訪ねたビール工場では、売り込み仕事の話はしませんでした。
お客さんが、興味を示した時だけでした。
常にでたとこ勝負です。

国際展示場で、100人の聴衆を前にした講演では、喉がからからでした。
心臓はバクバクでした。いつしか持論の展開に熱を帯びていました。
私は、これ以上考えられないくらいの準備をします。

ギャンブルは、からっきし駄目です。
欲張りの本性が出てしまいます。
プラスマイナスゼロで満足です。

毎日、ブログをアップしています。
時間がある時は、下書きをストックしています。
ほとんどの記事が思いつきになってしまいます。
朝のルーチンワークをしている間に、頭に「ぽっと」出て来た事柄になります。
つまり、気にしていることになります。
そのことだけを追っかけるとつまらない内容になります。
あちこち気持ちを振って、深みを出したいと思います。
どうして、そのように思う(なる)のか、必然性を考えます。

もう、出かける時間になりました。
今日もでたとこ勝負です。

2015年2月18日
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お世話になった人(Part-1)

2015-02-17 08:01:11 | よもやま話
 山形、恩賜にて
会社を辞めると、かみさんに宣言して3日目に辞表を提出しました。
仕事の区切りがついた今しかないと決断しました。

かみさんは、特に驚きもしませんでした。あわてもしませんでした。
明日のことも心配したようでもありませんでした。

実は、大変なことが待ち受けていたのでした。
妻子を島の私の実家に預けました。
単身、土地勘のある東京武蔵小金井に6畳一間のアパートを借りました。
風呂もトイレも付いていない安いアパートでした。
毎日のように、履歴書を出しました。その数100社。
面接までこぎ着けたのは、1社もありませんでした。
何故、転職したのか何がしたいのか相手の会社に伝わらなかったのです。
私は、社内新聞しか読まない世間知らずでした。

そんな時、心配してくれたKさんが、仲間に加わらないかと新しく立ち上げた
会社に誘ってくれました。仕事内容が気に入らなかったのかお断りしました。
前の会社の知り合いが、清水建設の方を紹介してくださいました。
その方は、私の履歴書を見て、「職歴」をつけた方が良いと
アドバイスをしてくれました。
親切にも朱書きを入れて添削をしてくれました。
嘘ではない程度にふくらました方が良い
とアドバイスもいただけました。
知り合いは、弁護士の方も紹介してくれました。
弁護士の方の付き合いで、画家で実業家を紹介してくれました。
大豆粉の加工品を作る工場に来ないかと実業家から誘われました。
いよいよ決まりかけた頃、弁護士の方から電話があり、
一生を捧げる仕事じゃないと断るよう説得してくれました。

その間のことです。
私は、設計事務所でお世話になりました。
二人で経営する設計事務所の一人が、社長に掛け合ってくれて
面倒を見てもらうことになりました。
社長は、私に優しい図面ばかり回してくれました。
社長にとって、その図面こそ、儲けが出る代物だったのです。
こうしてああして描けと指示までくれました。
私は、食いつなぐことができました。
会社を辞めて2ケ月目のことです。仕事が決まるまで半年お世話になりました。
食事も、酒もご馳走してくれました。
お世話になりっぱなしで再就職しました。
私は、実に多くの方に面倒を見ていただきました。

私には、三人目の子供ができました。
遠く離れた島に置き去りにしたかみさんから、
東京に出て上の二人を幼稚園に入れたいと
電話がありました。産むべき産院で、
看護婦さんに「お父さんは無職ですか。」と心配されました。
かみさんは平気で笑っていました。
生まれる1週間前に再就職できたのです。
それからは、無我夢中で働きました。

お世話になった方に、その後お会いもできずに訃報を聞きました。
凶年60歳でした。

私が前の会社で暴れまくっていた頃、酔っぱらって
駅の電燈の入った銀行の看板をカバンを投げて破壊したことがありました。
鉄道公安の方に、「一晩泊まっていくか。」と言われていたところ、
その社長が身元引受人になってくれました。
翌日、銀行に行き謝罪をし、弁償することになりました。
1月分の給料が消えました。

その方から、眼鏡とジッポのライターをいただきました。
今でも大事に使っています。

時はめぐり、その恩人の息子さんから年賀状が来ました。
私は、気にかかっていました。
やっと、私が恩返しできる時がめぐってきたのです。
今度、息子さんにお会いできればと願っています。
無力ですが、恩人にしていただいた1/10もできないのですが、
力になりたいと思っています。

2015年2月14日
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お世話になった人(Part-2)

2015-02-17 08:00:12 | 思い出話

送って来るけんと五反田の飲み屋を出ました。
酔っぱらったかみさんを川崎まで送って、
タクシーを飛ばして店に戻ってきました。
かみさんと結婚する前のことでした。

改めて待っていた友人と飲み始めました。
どうやら、飲み屋の大将は、このことが印象に残ったようでした。
後におかみさんから聞きました。

私は、その後次から次に子供をこさえました。
五反田の大将は、山のようにハラミの切り落としを送ってくれました。
牛肉など食わせることのなかった我が家の腹空かし達は、
目を輝かせて、腹いっぱい食べました。
大将の店では、ハラミ一串が800円でした。

友人が、新妻を連れて店に行きました。
大将は、芸術品かと思われるような男性シンボルを
特大ウインナーでこさえました。
運ぶことなどめったにない大将がわざわざ運んできました。
新妻が、恥じらい期待する顔を覗きに来たのでした。

大将は、脱サラして焼き鳥屋を始めました。
いつもにこにこして寡黙でした。
店が落ち着く11時頃まで飲みませんでした。
酔っぱらった友人たちと、翌朝店から会社に行ったこともありました。

大将も60歳で逝かれました。
もうお礼をいうことも、話すこともありません。
いたずらっぽい大きな眼を見ることもありません。
生涯、忘れることはないでしょう。

毎年、故郷で取れた牡蠣を送っています。
おかみさんは、大将と同じように美味しいうどんを送ってくれます。

2015年2月17日
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弁と便

2015-02-16 08:46:39 | よもやま話

磐田のホテルのレストランで友人と夕食をいただくことになりました。

注文は終わったが、お酒が出てこない。

料理は、後でも良いから酒を持って来て下さい。

すみませんと、中ジョッキが3つ運ばれてきました。
続いて、前菜が3鉢ずつ出てきました。
お酒のつまみにしてください。

仲居さんは、OLのような、ひょっとしたら女子校生かもしれません。
いつも行ってる中野の居酒屋とは勝手が違います。

おーい、兄貴酒を早くもってこい。
忙しいから順番にやってます。
そして30秒後に4つメガホッピーがどんと運ばれて来ました。

夜半中、トイレの水が出っぱなしでした。
小便を流そうにも、水が出てきませんでした。
何度かレバーを操作しました。排水槽の中で鎖の音がしました。
家だと、さっさと排水槽のふたを開けて、治しますが
ホテルではできません。

排水弁がしっかりしまっていないようです。
排水槽に水が溜まらないのです。
妻に、ここではトイレを使わない方が良いと説明しました。

しばらくしたら、水の流れる音が止まりました。
弁、便、ベン。これでできます。
試しにレバーを操作しました。
トイレの水が流れました。そして、ほどなく供給水は止まりました。

妻に使っても良いよとOKを出しました。
貴方もどうぞと言われました。

旅に、アクシデントはつきものです。
こんなことが、楽しめるほど旅は楽しいのです。
ご飯を炊かなくても、コーヒーを淹れなくても良いのです。
6時になったら、ホテルの大浴場に行きましょう。

箱根を越えるか、熱海を抜けるかで妻と緊迫したやり取りがありました。
熱海の先に道がないと言う妻の真剣な言葉で、箱根を越えることにしました。
車道の脇には雪が溜まっていました。塩カルが撒かれていました。
私は、ノーマルタイヤで箱根を越えられるのか心配でした。

昨日は、3月中旬の陽気とかやらで問題なく通れました。
箱根から下る頃、地図をみていた妻が熱海の先に、
新丹那トンネルを発見しました。
箱根越えと同じように三島まで通じていました。

残念ながら、妻は裸眼では地図上のトンネルを意味する
点線が見えなかったのでしょう。
東京から静岡へ行くのは東名高速以外で行ったことがない私でした。
車にナビは付いていません。
時々怒ったり笑ったりするナビは、妻の役目です。

今日は、結婚記念日です。
バレンタインデーに割引きで買って来てくれた
ナッツチョコを食べ乍ら書いています。

老人ホームの仲人さんを訪ねたあと、御前崎に向かいます。
さてさて、どんなことが起こりますやら。

2015年2月16日

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夜明け前は、お袋の時間

2015-02-15 04:34:36 | よもやま話

早起き鶏の声を聞いたことがありますか。

コケコッコー。

私は、しばらく聞いておりません。
何とも迷惑な声で鳴くなと高校生の頃は思ったものです。
聞けないとなると聴きたくなります。

パキスタンのグジランワラでも、スイスのウッツウィルでも
早朝は、鐘の音で目が覚めました。
どちらでも鶏の声が混じっていたように記憶しています。

今日は、川崎の義兄宅を訪ねたあとに、海岸線を通り静岡までドライブです。
一人では疲れる旅も、二人だと楽しくなる旅です。そのはずです。
東の空が、いつものように藍から朱に変わって行くでしょう。
今は、二十三日月が上がったばかりです。

静かな朝です。

コーヒーを淹れ、氷片入りのご飯を炊きました。
もうすぐ、おにぎりを作ってくれるでしょう。

タイのバンコクでも、台湾の台中でも、中国の無錫でも朝から散歩しました。
韓国の釜谷でも、ミュンヘンでもお母さんは朝早くから働いていました。
貧しくても、富んでいても朝の空気はどこも同じです。
昼になるにつれ、様相が変わってきます。
街は、それぞれの事情を抱えた風景に変わります。
そして夜になると似た風景の闇にもどります。

スイスのチューリッヒの湖へ通ずる道は銀座のようでしたが、
一歩外れた坂道の通りでは、薪ストーブが焚かれていました。
裏窓から、家族の話声が聞こえてきました。
どうして、どこに行っても心象風景は同じなのでしょう。
故郷でも、お袋が朝餉の準備をしていました。
働き始めたお母さんの時間だからでしょうか。

我が家でも妻が起きだしました。
今日もにぎやかになるでしょう。

2015年2月15日
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