故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

選択基準

2015-02-25 06:35:08 | 思い出話
  選ぶ側の理由と選ばれる側の意気込み 

これから就職活動が本格化します。

私は、就職活動で4つの会社を受験しました。
私達の時代は、卒業見込みの前年10月だったように記憶しています。
今は、前年春からのようです。
もうすぐ、リクルート服を着た若者達をたくさん見ることになりそうです。

金属会社を2社、食品機械メーカーを2社受験しました。
卒業も怪しい、卒論も追い込みの10月の多忙な時期に一月を費やしました。
一つは、金属の鉱石を掘削する財閥系の会社、もう一つはチタンを精錬する
会社でした。二社とも面接で落ちました。
私の勉学に取り組む姿勢は惨憺たるもので、
技術者として頭で勝負できませんでした。

食品機械メーカーの面接一社目。
最終面接をしてくださった社長は、一日続いたしかも午後遅くの面接で
疲れていました。靴を脱ぎ、靴下の湿気を取っておられました。
テーブルの下に見えました。
どんな職種を希望するかの問いに、現場に出たいと答えました。
社長の目が開きました。靴を履きなおしました。
ほどなく合格の通知が来ました。

食品機械メーカー二社目。
その日は、朝から歯が痛かったのです。
午前中に形だけの筆記試験が終わりました。
午後は3人ずつ面接でした。歯が痛かったので、
鬼のような形相だったかもしれません。
総務部長が、山登りが好きだという私に対し、足を見せてほしいと言われました。
ズボンをめくり、睨み付け乍らふくらはぎを見ていただきました。
こちらも、合格通知が来ました。総務部長は山が好きでした。後で分かりました。

どちらの会社も、私の頭の程度には触れませんでした。
やる気のほどを見ていただけました。
どちらの会社も現場に出たいと言う私の意気込みを評価してくれたようです。
私は、社会に出て学生時代の不勉強をのろいながら、いろんな方に師事しました。
追いつけるまでには、未だに至っておりません。

もし、私が面接官だったら、受験者に問いたいことがあります。
貴方の30年後のイメージを教えてほしいと。
会社に入って何がしたい、何ができるではないのです。
どう生きたいのか聞きたいのです。
そんな先のことは、誰にも分かるはずがありません。
自分が、今大事にしていることの延長上に30年後があるはずです。
若い人に大事にして頂きたいことは、生き様です。
努力の結果は後から付いてきます。
若い時に、あれこれ悩む必要はないのです。無我夢中で良いのです。
冷静になって、進路変更も良しなのです。

狭いベランダにようやく芽を出し、栄養不足の土地で伸びてくれる野菜たちに
勇気をもらい感謝します。

2015年2月25日
コメント
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