故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

柿は傷の周りが美味しい
こうも、まあ毎日夢を見るものです。
今夜は、洗濯物干しが棚から落ちてきました。
危うく、私の顔の上に落ちるところでした。
これは、現実でした。
それからが、いけません。
何かを避けるようにしていました。
穴を掘り続ける夢です。
安部公房の「砂の女」のようです。
よりによって、あまり仲良くない会社の人と
掘っているではありませんか。
いつになく、その人が笑顔です。不吉な予感は当たりました。
ある場所に、星のようなものが固まってうごめいています。
「チチッツ」と鳴いて追いかけてきます。毛虫の大群です。
やれやれ、これでは起きだすしかないではないか。
時計を見たら夜中の2時。今日は、たくさん寝る予定でした。
夕方、友人と飲むからです。
私にとっては、起きだすいつもの時間です。
よからぬことを計じた罰のような夢でした。
夢と現の境も分からなくなるのも遠くではないのかもしれません。
友人のお父さんは、惚けが少し始まったようです。
座椅子に座ってるだろうはずのお父さんが、
座椅子ごと仰向けに後ろに倒れてたそうです。
どうしたのか。起き上げれないのかと友人。
お父さんは、
「起きてもすることがないからこのままになっていた。」とのこと。
ううん、考えさせられました。友人は、辛いことを明るく言うのがうまい。
この友人、かのお父さんと「鬱」にかかった下の息子をかかえ、
今日は、シンガポール。明日はベネズエラ。
昨日はトルクメニスタンと飛び回っているのです。
少ない休みの日には、私に呼び出され中野で大酒を飲むのです。
息子は190cm。この頃、腕相撲で息子に負けたのが口惜しいらしい。
三浦雄一郎さんのように、鍛錬をしているのだと誇らしげに
特別仕様の靴を見せた。靴底に3Kgの鉄板が埋めてありました。
大いに酔っぱらったその日、彼は電柱をよけきれずろっ骨を数本折ったのか、
ひびが入ったかしたそうです。
お父さんはすることがない。
友人は、他にすることがあるだろうに。と思う。
友人が、新たな悩みがあるという。
上の息子が、彼女を連れてきて泊まるというのだと頭を抱えている。
彼女を泊める部屋が無いという。いやスペースがないという。
友人は、布団を干す者がいなくて、年中せんべい布団に寝ているとか。
女手はお母さんだけ。お母さんは、お父さんにかかりきりなのだろう。
私は、黙っていた。
妻が、片づけを手伝おうかというのをしり目に、沈黙を守った。
ひたすら守った。
そしていつもの悪い癖が出て、
「片付けるのを手伝おう。」、「今度の休みに様子だけでも見に行くよ。」
と言ってしまった。
友人は、いつになく改札口でいつまでも手を振っていた。
私達は、都下への家路を急いだ。
来週だ。一人では、手に余るので先輩に応援を頼んだ。
先輩は、癌を切除して入院中である。先輩は快く引き受けてくれた。
「あいつの恥部が見れるんか。」とこちらも楽しそうであった。
あちこち、大丈夫かな。
2014年11月13日

広島産のレモンとみかん
ずいぶんと無理をしたものです。
嫌いと好きでは、恋にはならぬ。
先人たちから一杯教えられてきたのに、
自分のことを好きでない人に恋をしました。
そうかと思うと、好意にも気づかず見過ごしてしまったようです。
どうして、こうちぐはぐなのでしょう。
ちぐはぐの原因は自分にありませんか。
自分が好きなのだから、相手も好きになってくれるはずだと
勝手に思い込んでいませんか。
貴方は、その恋に努力を惜しみませんでしたか。
判じ物のように、かつて打ち明けられた言葉を信じていなかったでしょうか。
かつて、いや今だって油断するとすぐに陥ることがあります。
相手の良いところを数えることができますか。
相手が喜ぶことが言えますか。
人を誉めることは、その人を知るうえで一番の近道なのではないでしょうか。
生半可な褒め言葉では、相手は納得しません。
その人が、褒められて一番うれしいことを知っていますか。
一瞬ごとのたゆまぬ努力と意を決した瞬発力を発揮するのです。
五感を研ぎ澄まして、相手に集中するのです。
ああ、数え上げればきりがないほど失敗を繰り返してきました。
人の話を上の空で聞いていたのです。多くの警鐘を聞きのがしました。
心に、相手の話を聞くだけのゆとりがなかったのです。
去る者は追わず、来る者は拒まず。
ずるいですか。そんなことはないと思います。
去る者には事情があり、来る者には理由があるのです。
タイミングもあります。
長いこれからも同じことのような気がします。
少しずつでも自分の好みに近づいているような気がします。
それには、足音が聞けるようになりたいと思います。
近づいてくる音、遠ざかる音を聞き分けたいと思います。
2014年11月12日

ザルツブルグの教会地下
40年前のこと。
ずいぶんと昔のことと思われますか。
私には、つい昨日のことのようです。
学生寮から、ちゃんちゃんこを着た若い男たちが出てきます。
皆さん、一応学生でこれから授業に行かれます。
東京に出たくて、国立一期校に入りたくても、夢が破れた面々です。
地方からの出身者で溢れていました。
山形からは、とれたてのササニシキが届きました。
それは喜ばしいことと、鯖缶一個を土産に炊き立ての白飯を
おかずが無くなっても、腹いっぱい食べました。
鹿児島からは、木枠に入った6本の1升瓶が届きました。
芋焼酎の造り酒屋の息子に届いたのでした。
匂いを嗅ぎつけ、毎晩酒盛りです。
何を間違ったのか、高校時代の友人E谷の紹介で、寮にいるS先輩を訪ねました。
入学早々でした。
これが私の大学生生活のつまづきの元でした。
ドアを開けると、天井からガラスの破片が落ちてきました。
壁には、杜甫か李白の漢詩が殴り書きされていました。
おう、お前か。兄貴から聞いておった。
この方の兄さんは、有名国立医科歯科大に行かれていて、
E谷の姉さんと結婚されていたのでした。
S先輩は7人兄弟でした。
東大出とお茶の水大出身の両親でした。
兄弟の名前には、秀、優、龍、可、丁、春、夏とつけられていました。
どの方も、有名国立大に行かれていました。
この方は、典型的な落ちこぼれだったのです。
この方に紹介された0棟の方たちは、ほとんどが6年生、7年生と8年生でした。
中でも心酔したのが、T原さんでした。岩のような顔をした山男でした。
山男でありながら、武骨な感じではなく、頭が切れてスマートな印象でした。
11トン車の運転手、キャバレーの板さん、黒ヘルの心酔者と
世にも奇妙な人たちの集まりでした。皆さん、一応学生でした。
私は、後にこの0棟に引っ越し、毎夜T原さんの語録を書くようになったのです。
引っ越したばかりの頃、トイレの後水洗を流さないでいたのが、
S先輩に見抜かれ怒られました。
得意な料理はと聞かれ、卵焼きと答えました。
黄身をゴミに捨て、殻をフライパンでガラガラやっていました。無意識でした。
S先輩がきょとんとした顔をされました。その後、大笑いで頭をはたかれたのでした。
後々、大いに話のだしにされました。
S先輩は、剣道と哲学が大好きでした。
訳の分からない問答を繰り返していました。
かかり稽古は、執拗で終わりませんでした。
壁に叩きつけられ、床に這いつくばるまで止めませんでした。
私が、学費の足しにと始めたキャバレーのボーイの店に訪ねて来ました。
No1.の彼女を気に入り、いつまでも帰りません。
終いには、私から一万円を借り、さらに延長したのでした。
あんたがたどこさ。
地方出身者の集まりの魑魅魍魎(ちみもうりょう)の学生生活は、
その後延々と続くのでした。
またの話とします。
2014年11月12日

てんぷらときんぴら
残り物を元の皿ではなく新しいものに移すことで
残り物ではなくなります。
明日、食べようかなと思わせます。
中国でのこと。
腹いっぱいです。とまん丸のお腹を見せなければなりません。
韓国も、中国も日本でも有り余るほどの料理でお客を歓待します。
ある日のこと、食事のあと中国の同僚が送っていくからと車まで行ったあと、
少し待っていてねと言いました。
彼は、残ったものをホテルの人に弁当箱に詰めてもらって帰ってきました。
家族が喜ぶからと言っていました。
当然です。
沖縄では、勘定の前に「詰めて。」といつものように店のお姉さんに頼んでいます。
お姉さんも喜んで、プラスチックの入れ物に入れ、さらに買い物袋に包んでくれます。
世界中で飢餓が問題視されている時代だからと人は言われます。
そうかな。病院食の残ったものを明日食べたいと思いますか。
精一杯の心づくしが料理に現れています。
韓国では、一族が集まってする食事会は一月も前から準備するそうです。
食事は元気の源です。明日また食べたいなと思う残り物をいただくのです。
それでよいのかなと思います。
2014年11月11日

頑固親父には旅をさせろ
久しぶりに自分の家に帰りました。
今は、単身赴任の身です。
長年使った冷蔵庫から水が漏れるから新しいのを
買って欲しいと末娘に頼まれていました。
新しいのを買って届けました。
今度は、冷蔵庫を置いてあった床が
心配だから視てほしいとまた電話がありました。
帰った時に、行きつけの床屋に寄ります。
説明を多くしなくても済むのが理由です。
散髪が手際よいのも好みです。
髪は細くなり、白くなっています。
昔のようにふさふさとはいかないまでも、
まだあるよと言う風情に仕上げてくれます。
夜、娘二人と久しぶりに飲みました。
息子は、缶ビール1本で酔ってしまいソファで寝ていました。
娘が老けている、いや年をとっていると思いました。
翌早朝から、床の汚れを擦り落としました。
紙やすりで表面を整えました。
娘が、感心してみていました。
息子と末娘と一緒に、少し早い大掃除になりました。
食器棚の中を片づけ、長い間手つかずの数々の物を処分しました。
床にワックスをかけ、切れていた蛍光灯を替えました。
ダイニングキッチンとリビングがつながった部屋です。
部屋の真ん中に、新しい冷蔵庫が、毛布の上に乗り鎮座していました。
冷蔵庫があった場所に食器棚を、
食器棚の場所に大きな冷蔵庫を置きました。
冷蔵庫は、ひときわ存在感があります。
作業を一緒にしてみて、子供達が成長したのを感じました。
私も、昔のように「あれせい、これせい。」とは言えなくなりました。
「これしてくれる。」と頼みます。相手は、いつしか大人になっていました。
単身赴任も悪くないと思いました。
頑固な親父には、旅をさせろです。
ありがとう子供達、亡き妻も喜んでいることでしょう。
2014年11月9日