故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

どこまでも続く稲田

2018-11-13 06:18:02 | プロジェクトエンジニアー

「田植え後」というタイトルの絵です。
私は、苗を植え足する女性の臀部が美しいと、
よこしまな心を持ちつつ描きました。


ここは沖縄かと目が覚めました。
どこまでも続く稲田。
基地が返還されて、稲田を作ったのかと思いました。

今日のタイトルは、「どこまでも続く稲田」です。
そんなことは無理だのコールが、頭のなかで沸き起こる。
まず水利の問題。長い距離、水面を保つ稲田は無理だ。
返還されたって、長い間農業をしてこなかった人たちが作れるわけがない。
機械も技術もない。
陸稲ならと、頭をよぎる。
麦畑かもしれないよと続く。
夢なんだから、稲田でいいじゃないと放っておく。

あるいは、中国奥地の稲田かもしれないよと続く。
違うちがう、これは沖縄で展開された稲田プロジェクトだと否定する。
日本人にとって、幸福な色は緑(青々とした稲田)とされていた。
西洋人にとっては、黄色(収穫の色)と言われる。
私の夢は、稲がたわわに実る黄色の稲田だった。

はたして、沖縄の基地が返還されたのち、多くの地権者はなにを作るだろう。
この辺りでも、ちらほら耕作放棄地が林に戻りつつある。
では、戦争前の沖縄はどうだったのか想いを馳せた。
確認したいとネットを見る。

ほとんどの写真が焼失したという。
奇跡的に残った写真には、軌道馬車が走り、延々と続く畑も写っていた。
やはりそうだ。人々は、稲田ではないけど畑を作っていた。
ということは、私の夢はありえないことではない。
現在では、地球の温度があがり、短粒種の米は無理だろう。長粒種でよいではないか。

年間700万人の観光客が集う沖縄。
人々は、どこまでも続く稲田をみたいだろうか。
いや、作りたいだろうか。
基地返還後の様子を見ることはできるのだろうか。
沖縄の人々は、どうするのか知りたい。

つるが飛ぶ 地球は丸いと 永遠に

2018年11月13日
コメント
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