「田植え後」というタイトルの絵です。
私は、苗を植え足する女性の臀部が美しいと、
よこしまな心を持ちつつ描きました。
ここは沖縄かと目が覚めました。
どこまでも続く稲田。
基地が返還されて、稲田を作ったのかと思いました。
今日のタイトルは、「どこまでも続く稲田」です。
そんなことは無理だのコールが、頭のなかで沸き起こる。
まず水利の問題。長い距離、水面を保つ稲田は無理だ。
返還されたって、長い間農業をしてこなかった人たちが作れるわけがない。
機械も技術もない。
陸稲ならと、頭をよぎる。
麦畑かもしれないよと続く。
夢なんだから、稲田でいいじゃないと放っておく。
あるいは、中国奥地の稲田かもしれないよと続く。
違うちがう、これは沖縄で展開された稲田プロジェクトだと否定する。
日本人にとって、幸福な色は緑(青々とした稲田)とされていた。
西洋人にとっては、黄色(収穫の色)と言われる。
私の夢は、稲がたわわに実る黄色の稲田だった。
はたして、沖縄の基地が返還されたのち、多くの地権者はなにを作るだろう。
この辺りでも、ちらほら耕作放棄地が林に戻りつつある。
では、戦争前の沖縄はどうだったのか想いを馳せた。
確認したいとネットを見る。
ほとんどの写真が焼失したという。
奇跡的に残った写真には、軌道馬車が走り、延々と続く畑も写っていた。
やはりそうだ。人々は、稲田ではないけど畑を作っていた。
ということは、私の夢はありえないことではない。
現在では、地球の温度があがり、短粒種の米は無理だろう。長粒種でよいではないか。
年間700万人の観光客が集う沖縄。
人々は、どこまでも続く稲田をみたいだろうか。
いや、作りたいだろうか。
基地返還後の様子を見ることはできるのだろうか。
沖縄の人々は、どうするのか知りたい。
つるが飛ぶ 地球は丸いと 永遠に
2018年11月13日
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