山吹のいつかはつける実一つというタイトルの絵です。
七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき、
太田道灌が雨に会い、雨具を借りに入った百姓家でのできごとでした。
山吹は、ひっそりと咲く花です。
私は実をみたことがありません。
調べてみたら、一重はつけて八重はつけぬそうです。
今日のタイトルは、「迷惑」です。
迷惑とは、
どうしてよいか迷うこと。
困り苦しむこと。難儀すること。
他人からやっかいな目にあわされて困ること。
(広辞苑より)
これは、意外な解説でした。
すべて、一人称の感情と様子を表しています。
本来の意味合いは、こうだったのでしょう。
しかし、現代日本語では「迷惑」は三人称(自分以外の他人)が
感じるものと思われがちです。
子供に迷惑をかけたくないと、死を選ぶ。
そろそろ逝ってくれと周囲の空気を読む。
こんな哀しいことはない。
不倫報道で大騒ぎをする。
完膚なきまでたたく。
あげくの果て、その人の仕事も奪ってしまう。
不倫を知らぬまま、その人の仕事を讃えていたのに、手のひらを返してしまう。
噂を広める本人(週刊誌の記者)が不倫をしているかもしれない。
迷惑以前の話です。残念です。
子供が大病をする。
助けようと周囲は一生懸命です。
老人が大病となると、空気は変わります。
そろそろかとなります。
そう思うものの、一生懸命のふりをします。
どこが違うのか。
子供には将来があり、老人には将来がないと思うからです。
老人に莫大な資産があったら変わるのでしょうか。
そんな馬鹿なことはない。
人の命は尊いものです。
周囲が、迷惑を基準に決めるものではないはずです。
人の命について、私達はもっと考えるべきです。
おおざっぱに、こんなものと括らないでほしい。
望まれない子供といじめないでほしい。
誰にも生きる権利があり、死ぬ権利もあるはずです。
周囲が決めることではない。
これが、尊重です。
夫婦喧嘩は、当人たちは一生懸命です。
傍から見ていると、面白い。
ちょっとだけ、ゆとりをもって見ることが出来るとよいのです。
変わった人だなと思います。
それが個性と思えば、気持ちが変わります。
迷惑は、一人称の感情です。
花さわぐ あれま恥ずかし お月さん
2018年2月11日