故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

自由にさせる

2018-02-17 07:56:56 | プロジェクトエンジニアー

可愛い顔しているけど、意志が強そうです。
頑張れ。


今日のタイトルは、「自由にさせる」です。

地域おこし協力隊になって半年が過ぎたころ、
役所の扱いに変化が起きました。
役所というのは、コントロールしたがるものです。
年配の経験者でも同じ扱いです。

商工会、役所、果樹組合、町内会のイベントに毎週のように出ました。
イベントのない休日は、居ぬきの家の片づけを延々としました。
住めるようになるまで、3か月かかりました。

イベントの手伝いは、それはそれで面白いのですが、
タダ働きをして、誰かが得をする構図でした。
市民の大半(90%)の会社員は関心を持っていないと感じました。
点と点を行ったり来たりしているだけだと思いました。
都会と同じでした。

誰に相談することもなく、持ち主の「好きにして良い」という
許可をもらいました。
昔の由緒ある通りが、伸びすぎた草と木々でうっそうとしていました。
とにかく、来る日も来る日も刈りました。
休耕している畑には、篠竹が伸び放題でした。
一本ずつ切り、草を刈りました。
こちらだって、3か月かかりました。
切り取った木々は、枯れた頃クリーンセンターに運びました。
一人でやりました。
妻は、何のためにやっているのか、気が狂ったんじゃないかと思ったそうです。

役所は、こいつはコントロールできないと思ったのか、
今日のタイトル「自由にさせる」と決めたようでした。
役所にも、地域おこしについて自論をぶつけました。
一人の課長が面白がってくれました。
陰で支えてくれていると感じました。
地域おこしに正解などありません。
どこかの成功例も通用しません。
しかし、研修会に出て他の地域の取り組みを学び続けました。

誰にも相談せず、やり続けました。
空き家の草を刈っている時、すずめ蜂に刺されました。
対処方法を検討していたら、市役所が派遣したすずめ蜂駆除のプロが退治しました。
通りを行き来するおばちゃんが、「ようやってくれた」と褒めてくれました。
通りの中間にある埋もれていたカフェの持ち主と賃貸契約の交渉をしました。
借りることができるまで、半年のロングランの交渉でした。
内部は荒れ放題で、片づけ傷んだ箇所を手直ししました。
全ての電燈をLEDに交換しました。
親の眼が行き届く、俯瞰で見える2階にしました。
年寄りが、安心して来られるアプローチと階段にしました。
開店までに2か月かかりました。
補助金では足りず、家の手直しもカフェの手直しにも自己資金を投入しました。
地域おこしをするには、自らリスクをとる覚悟でした。

俺にも手伝わせろと、役所からも市民からも声が上がるようになりました。
その声を聞くまで1年かかりました。

プロジェクトマネジメントの初めは、いつもこうでした。
お客さんや協力業者は、素人に何が出来ると冷ややかでした。
この人(組織)はなんか違うと思い始めるまで時間がかかります。
常に同じ土俵でやる。理解するまでとことん勉強する。
プロジェクトエンジニアーの仕事は、いつも初舞台です。
恋と同じです。
相手に想いを告げ理解していただくまで努力するのは当たり前です。

これと見込んだ人には、「自由にさせる」とはらはらしながら任せます。
いつでも尻ぬぐいはしてやると覚悟をしなければなりません。

親孝行 生まれ始まり 一生分

2018年2月17日
コメント
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