なかなかの男前で、スポーツマンタイプです。
首の太さから判断しました。
今日のタイトルは、「するりと逃げる感じ」です。
女の人をくどいていて、最期の瞬間にかわされた。
思えばラッキーでした。
いい加減な気持ちは、どこかに隙があるものです。
女の人は、どこかでそれを感じる。
これは、「するり」ではなく、「ゆるり」です。
本気の時は、覚悟半分だから結果をしっかりと受け止められる。
魚釣りの時、大物の予感がし、根に逃がし糸が切れる。
これは実感が薄い。
鰻をつかまえて、手で握り逃げられた感じが近い。
ほとんどものにしているようだけど、結果は同じで逃がしてしまった。
この「するり」の感触は人さまざまです。
するりとは、
動きなどが滑らかで滞りのないさま。(広辞苑より)
「するり」にはスピード感がある。
田舎に来てよかったと感じる。しかし、この良かったの根拠が判らない。
判ったようで分からない。するりと逃げる感じ。
里山で暮らすことが、賛美されるような番組があります。
都会(人工的)と田舎(ナチュラル)の比較などできない。
どこが、人々の心を捉えるか。
田舎は、交通弱者を除いて、車社会であり都会人より歩かない。
冬は畑作業ができない。雪が畑を覆っていなくても土は凍っています。
身体をなまらせないために、散歩をされてる方をよく見かけます。
ドイツの都会の真ん中を走る川がありました。
水量が多く、狭い橋の下を通過する時大きな波(うねり)が出来ていました。
人々はサーフィンを楽しんでいました。見物客も多かった。
バンコクの電気が引かれていない民家の暗闇のなか、
ゆるりと流れる風を感じながら、床に大の字になって日中を過ごす。
働くときは、辛いパクチーで涼をとる。
田舎では、感じる速度が違うように思う。
コンクリートなどで守られていない分、直に感じる。
林を抜ける風がある。
行きかう人が誰でも声を掛ける。都会では、きちがい扱いです。
目的地(畑、職場)まで近いため、時間にゆとりがあるからできるのです。
感じる速度は、ありゃの「瞬間」から、心地よい「まったり」まで幅があります。
その時間軸すべてが心地よい。何故でしょう。
きっと、人間も自然の産物だから、自然の中での時間の流れ方が心地よいのです。
その流れる時間に合わせて生活ができる。
調和でしょうか。
自然を求め、自然に求められの関係です。
そばにいる人を口説く必要がないのです。
一緒に過ごす時間の共有。
それだけで、言葉はいらない。
合言葉は必要なくても、互いに努力しなければ生きていけない。
息使いが感じられる。
不労所得などない、厳しい現実です。
かなりよい線まで来ています。
次の瞬間、「するりと逃げる感じ」です。
ええいままよ、夜這いをかけちまえ。
これは短絡的です。自重しましょう。
空泳ぐ 百合を手折れと ぬしがいう
2018年2月23日