白菜漬けが秋田より届きました。これがうまいこと。
酒が進みます。
子どもの頃は、村に一軒は酒屋がありました。
故郷の酒は、甘口でした。
学生の頃は、もっぱら合成酒でした。
仇のように飲みました。
テーブルがいっぱいになるまで、徳利を返しませんでした。
よくぞ、飲まして下さいました。
会社に入ると、ジョッキで酒を飲まされました。
秋田に行ったら、お客さんと話す前に一升を空けないといけないんだと先輩から教えられました。
犯した失敗は、数知れず。完全に飲まれるまでやり続けました。
今は、2合を飲もうものなら、帰りの電車で自宅近くの駅で降りられないのが毎回のことになりました。
20年前から、これ以上飲むと危ないぞというセンサーが働き始めてからでは、もう遅かった。
酔ったかなは酩酊の始まりでした。
1988年アサヒスーパードライが売れ始めました。
バブルがはじけるまでは、ウヰスキーの全盛時代でした。
その後が、税制改正で焼酎の時代となりました。
そして発泡酒が売れ始めました。
この頃(2002年)のことです。
泡盛協会の社長と台湾に出張し、超臨界CO2抽出装置を見学に行きました。
原料(玄米)に含まれる重金属と農薬を1/10にできる優れたシステムでした。
造ったのはオーストリアの業者でした。見積もり依頼のためにオーストリアまで出張しました。
泡盛を海外に売りだそうと企画した出張でした。
今は、ワインブームの後を受けて、日本酒が見直されています。
それも海外で注目された大吟醸酒が売れています。
15年前、スイスのチューリッヒ駅裏にあった日本レストランで出されていたのは2級酒でした。
私の舌にはまずい酒でした。価格は日本の3倍近くでした。
やっと、本物が売れ始めました。嬉しいことです。
日本酒の製造プロセスを調査して報告書をスイス本社に提出したのは、10年前でした。
韓国で飲み続けたのは、マッコリでした。
30年前パキスタンのホテルで1本千円で買ったビールで腹を下しました。
栓を使いまわししていたからでした。また水のろ過も十分ではなかったようでした。
美味しい酒は、水のようにするすると喉を通ります。
精米歩留まり30%前後の大吟醸酒は、どれもうまいを通り越しています。
財布と相談し、今はもっぱらホッピーです。
キングジョッキ(ビール大瓶一本)3杯も飲めば、ごきげんです。
ヨーロッパでは、大いにビールを飲みました。
ビールはすべてモルト100%と法律で決められています。
誰もハイネケンやバドワイザーを飲む人はいませんでした。
合間にキルシュなどの強い酒を飲んで、意識をはっきりさせてまたビールです。
こうして、多くの酒に親しんできました。
弱くなっても、好きな酒です。
長く飲めるよう、ほどほどでたしなめるようになりたいと思います。
酒さんや 仲良くやろう これからも
2016年2月7日