故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ロッククライミングウォール

2016-02-12 06:43:21 | 思い出話


アウトドアー専門店の屋外に設置されたロッククライミングウォールです。
友人の会社が設計・施行しました。20m近くの壁です。
私には、壁(クライミングウォール)を鉄骨にどのように取り付けたか興味を持ちました。



40年前、尊敬していた先輩に連れられて、鹿沼近くの岩山に行きました。
初めてみる岩山でした。
先輩に勧められて昇りました。初心者用の亀裂や突起がいっぱいあるルートでした。
上に到達すると、俺が降りるから確保しろと言われました。
先輩は、ザイルを巧みに使ってするすると降りました。
残り5mのところで、先輩は岩を蹴って空中を飛びました。
確保しろと言われた手前、必死にロープを掴み
狭い岩山のてっぺんで踏ん張ったのを覚えています。
どっと汗が吹き出しました。

それからというもの山にとりつかれるように登りました。
山とすそ野を行ったり来たりの単独行ばかりでした。
30Kgの荷物を背負って30Km歩くのが目標でした。
国師岳は、木の根っこがむき出しの長い上り坂でした。
雲取山の向こうは崖でした。金峰山で森林限界を見ました。
一日500円の山歩きは楽しかった。
寺や学校や公民館に泊めていただきました。
春まだ浅き、風呂に入らずの2週間の山歩きは、只々臭い山男のひよっこを作っただけでした。

高じて、初めての現場で天井梁に残ったロープを取りに行けました。
20mのオーバーハングの梁でした。
梁は500mmのH鋼で脚が回らず、昇った後に後悔しました。

アウトドアーの経験は、家族を持ってからも大いに役立ちました。
この時だけ、かみさんや子供達に目を細められたものです。
あのまま山歩きを続けていたら、後に苦労する馬鹿なことはやらなかったでしょう。
汗を出すだけで、必死に登るだけで楽しかった。
毎日自分と向き合えたのでした。まだまだだと。

話には、オチがあるものです。
子供達から手が離れかみさんとよく山歩きをしました。
かみさんを亡くした後は、会社の先輩たちと横須賀の山を歩きました。
膝を悪くし、腰を痛め山を歩けなくなりました。
今もいつか行こうと、三浦雄一郎バージョンの重い靴を履いて平地を歩いています。
清々しいのですが、腿がつるようになりました。
腰を痛めて2年が経ちました。夏には、草取りもしました。
やっとドライバーを思いっきりひっぱたけるようになりました。
そのうち、すそ野くらいは歩けるようになるでしょう。
今度は妻と行きたいものです。

滝しぶき 来てよかったと 汗ぬぐう

2016年2月12日

初現場でのロープ取りのオチを参照にしてください。
2014年12月4日投稿記事「初めての現場」です。

コメント
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