マルク・シャガール展を観て
昨年の初夏、上野の東京都美術館でマルク・シャガール展に出かけました。
今まで、マルク・シャガールの絵をあちらの美術館こちらの美術館と、その美術館に展示してある一枚一枚を個別に観てきたボクにとって、 その絵の印象は色鮮やかな空想物語か、美しい夢物語か夢風景と言うものでした。
今回80点に及ぶマルク・シャガールの絵を観て、考えを一新することにしました。彼の絵は、人生そのものを ― 人が生まれ育ち 結婚し 生を育み 死に至る ― その先の天国と地獄、現実と夢を表現しているもののようです。今まで観た一点一点には、#32363;がりがなく、ただ色鮮やかな 夢 、空想、 おとぎ話としか見えなかったのです。しかし、この展覧会では、人生そのものを描いた と考えを変えて観てみると、絵は生き生きと躍動感を持って迫ってきます。
美しい描写と色使い そして人生とは、神とは、疑問を投げかけています。
上野に行くといつも訪ねるのが東京藝術大学の美術館。今回の特別展示は、卒業生が残した作品展。創始者岡倉天心、続く菱田春草、橋本明治、横山大観、小林古径、萬鉄五郎、黒田清輝、荻須高徳など芸大卒業生からは、数多の有名な画家が並ぶ。しかしそれらは卒業生のほんの一部でしかないのです。芸術で一家を成すことの難しさを物語っています。
日本画、洋画、彫金、彫刻と展示してあったが、学生の優秀作として、ガラスの箱の中に展示されていた三つの絵には驚異の目を見張りました。
画用紙には、主題のくわい芋や蓮根が描かれているのですが、最初そのガラス箱を覗いた時、くわい芋やレンコンが画用紙の上に置いてあるような錯覚に陥ったことです。さらに驚いたことに、よく観ると予科生作品とある。芸大に入ったばかりの生徒の作品だ。こんな人は、卒業する頃には、どんな素晴らしい画家に育っているのだろうかと思うが、氏名を見ても私の記憶の中にいる人ではない。
この時思い起こしたのが、東京の西の外れにある奥多摩の川合玉堂の美術館(元アトリエ)である。
数年前の秋、体調をくずしていた頃、急に紅葉が見たくなって、娘夫婦に奥多摩に連れて行ってもらった時に寄ったのだが、そのアトリエに展示してあった玉堂15歳の折の画集を思い起こした。
白い画用紙の上に水澄ましが一匹止まっていた。清流の脇の美術館だから、水澄ましが展示室のガラス箱の中に迷い込んだのだろうかと思った。しかしよく見ると、白い画用紙に水澄ましが描かれている。
いつでも飛びたてる体制で。
さすが著名な画家の作品と思ったが、それが当人15歳の作品というのでさらに驚いた。やはり、才能のある人は子供の頃から天性が現れているものである。
話は変わるが、1958-9年にかけて、下宿していた頃、下宿人の中に芸大志望の青年がいた。浪人すること二年、とうとう入学が叶わず、田舎に帰っていったが、彼の部屋に残されたスケッチ・ブックに、ライオンの口の部分を描いた素描があったが、その口は、今にも躍りかかって食いつきそうに見えた。ボクはすごく感動したが、それでも芸大は受け入れなかった。それを上回る技能の持ち主でないと入学できない、芸大はそんな学校であるという認識であった。
その後数年たって、風の便りにその落第組みの画家志望の青年が、願いかなって画家として功を成したと聞いた。天は、人を見捨てず、その才能を見捨てないものだと感じ入った。
さて、芸大の美術館の展示に戻るが、卒業生が、卒業制作として自画像を残している。
1898年から1954年に至る生徒の自画像である。ざっと観て第二次世界大戦前は色合いが暗く感じられた。また、女性の自画像は、1951年から現れてくる。長い女性蔑視の時代から解き放された女性の自画像。やっと戦後6年目にして出てきているのは感慨深い。
自画像(男性の)を良く見ると、画家になる人たちは、その目つき顔かたちに共通点があるように見える。目つきは穏やかなようで視線は鋭く、顔立ちは穏やかなようで厳しい。光と影、形と色を厳しく見つめる姿勢の現れであろうか?
現実に戻って、この美術館は地下一階と三階が展示室になっているが、出入り口や、地下へあるいは三階への案内係りは、どうも東京芸大のアルバイト学生のように見受けられるが、先輩の残した自画像の厳しい表情とは打って変って、比較にならないほど明るくおおらかなものであった。現代社会と先人たちが囲まれていた過去の社会との差であろうか...
駅までの帰り道、久しぶりの上野公園をキョロキョロ見渡しながら歩いた。
不景気のあおりであろうか、ホームレスのテント小屋は増えているように思える。
ホームレス風のおじさんが歩いているが、最近では、身なりもきちんとしており、清潔感が漂って見える。
逆に目に付くのは、何時もながら修学旅行の中学生たち。全部ではないが、彼らは、今時の流行でズボンをずりさげ、ワイシャツのすそを外に出し、ダラシナイ恰好で、これまた最近の流行なのか、地面に腰を下ろし、かたまってお昼弁当を食べていた。ホームレスと比較して、どちらかといえばこの中学生のほうが、みすぼらしい。
ズボンのすそは、地面を引きずっているから、汚れ、破れており、靴はかかとを踏みつけているから、スリッパのようになっている。
これでは女性にもてるわけは無い。昔、明治 大正から昭和の戦前まで、男子学生が醤油で煮占めたような、手ぬぐいを腰にぶら下げ、かぶっている帽子は、垢でこびり付いたようなのを着用していたが、同じ心境なのだろうか。昔の学生は、苦学生(経済的に恵まれない)で、洗濯もままならないので汚れたままなのだが、現代は豊かになっているから、単なるアメリカかぶれでしかない。分別のある人のやることではない。
子は「親の鏡」というが、子を見れば親が分かる。こうした学生の親の顔を見て見たいものだ。同じように分別が無いのであろうか?
そんなことを考えながら、上野公園を歩いた。
太陽は地球上に燦々と光り輝き、噴水池では、カルガモの親子がのびのびと泳ぎまわり、平和のシンボルである鳩が、何時ものように観光客に餌をねだっていました。
(12月第一週お休みします)