楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

 「仕事探し」

2019年08月22日 04時31分22秒 | ひとり歩き旅

現役を引退して、暇な時間を埋めてやりたいことを書きだしたら、
19個あった。

その中に外国旅行があった。
カミさんを連れて、世界の105か国を旅行しようと計画した。
暇はあれど、先立つお足が無い。

やりたいことは沢山あるので、
料金の安いウイーク・デイは遊ぶのに忙しいから、
仕事をしてお足を稼ぐのは、土日祝日しかない。
週二日、土日だけ出来る仕事は、普通の人はお休みだから、
割り増しが付いて給料が多いに違いない。
加えて、皆さんお休みだから、
通勤のラッシュアワーに巡り合わなくて済む。
そんな考えだった。

所が、そんなボクの勝手な都合に合う、
うまい仕事がある訳はない。
なるべく沢山の給料がほしいから、
職歴欄に役職を書いた方が良かろうと書いたら、
これが裏目に出て、面接でこの部分を見て断られてしまう。
使いにくいからだ。

それで単純に同社定年で退職とだけにした。
これだと採用側は使いやすくなるらしく、
面接は素直に進んでいくが、
こちらの希望にはなかなか合致できない。
しかも、今までとは同じ職種は選ばず、
自分のやりたいことに的を絞ったから、
余計仕事にはありつけなかった。

止もう得ず、今までと関連する職種でも良いと覚悟を決めた時、
たまたま新聞での募集に気付いて、応募した。
同系の仕事だと、しっかり仕事をしてきたので、
採用されることは解っていた。

俺が雇えないで、誰が雇えるというのか、と自信たっぷり。
違うのは外資系の会社であったことだけだ。

面接に行ったら、人事の担当者が出てきて、
職種を根掘り葉掘り聞く、
役職の事を言うと採用が難しくなるだろうと、
はぐらかしていたが、言わざるを得なくなり話すと、
人事担当者が「少しお待ちください」と退席した。
これではやはり不採用かと思っていると、
くだんの担当者は、上司の部長と一緒に帰ってきた。

いろいろ話があって、英語のことになった、
と言うことは雇ってもよいということだ。
英語は、大学を卒業して以来、後は使ったことはない。

定年の20年ほど前にアメリカへ1ヶ月出張した時ぐらいで、
その時も一週間かかってやっと英語が聞き取れ、
片言で話が出来た程度。

幸い英検1級を定年後に面白半分に取ったぐらいの程度。
本当を言うと英検1級は高校卒業程度なのだ。
このことを話すと英語力はこれでOKとなった。

しばらくして部長は退席、
やがて社長が出てきて採用したいと言う。

その間に、いろいろ話があって、
採用したいのは、土日の休日だけが、先方の希望であったが、
それでは人を採用することができないので、
フルタイム勤務で採用することにした、という。

ボクは、土日の休日だけの仕事が希望でしたが、
それでは仕事が見つからないので、
フルタイム勤務の仕事でも仕方ないかと思い応募したと話が弾み、
結局土日祝日勤務で採用されることになった。 

話が、とんとん拍子に進むので、ボクのほうが慌てて、
「仕事の内容がはっきりしないので、1日様子を見学させてください。
その後お受けするか受けないか返事をします」と答えた。

仕事にありついて、給料が貰えるだけで、
それ以上の望みはないはずであるが、
今まで培ってきた仕事の延長と言うことになるので、
やりにくくなったら困ると思って申し出た。

要求が入れられて、翌日、一日見学することになった。
しかしボクが思っていたほど、仕事が日本ほど効率的でなく、
くだらない仕事も中に入っている。
外資系の会社はすべて合理的にできていると考えていたボクの方が、
間違いであったようだ。

そこで五か所ばかり改善をお願いするレポートを書いて、
受け入れられれば、勤務しても良いと、社長宛報告書を出した。

日本だと、係長から課長へ、課長から部長へ、
そして役員から社長への段取りで、その都度意見が出されて、
報告書は社長の手元に到着する。
つまり時間がかかるということだ。

ところが外資系は、実に簡単、スーパーバイザー(課長級)から、
部長へ、そして社長の手元に報告書は届く。

社長がのこのこやって来て、少し嫌味を言われたが、
「今すぐにはできないが、近い内に解決する」の言質を取って、
仕事を引き受けた。

従業員に土日祝日を出勤させる事に、社長は困っていたようで、
それに代わる土日祝日の出勤希望者の採用で、
体制を整えたかったようであった。

そこへボクが応募してきて、渡りに船と言う所だ。

この時の再就職で、海外旅行訪問105カ国が実現したようなものだ。

オーストラリア、ニュージーランド、北欧四カ国

(スエ―デン、ノルウェイ、フィンランド、デンマーク)

カナダ、etc.と続く・・・・。

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 「費用の捻出」

2019年08月21日 04時20分05秒 | ひとり歩き旅
2003年の話、定年後の海外旅行は、

訪ねる国の目標は105カ国と決めてあったが、
これだって、歌人の斉藤茂吉亡き後、
旅行好きの奥さんが生涯で訪ねた国が104カ国であったから、
それでは一カ国多い105カ国にしようと、
実に単純に決めた。
国連加盟国の約半分をと言うのはあとでつけた屁理屈。

海外旅行は、東京オリンピック開催年の1964年4月に、
結婚した時のカミサンとの約束。

当時は一ドル360円で、ボクの給料は手取り5万円ほど。
理髪料が日本で500円の時、アメリカでは5ドル(1800円)もしていた時代。

海外旅行は、今で言えばロケットに乗って月世界へ旅行するような話。
後で聞いた話であるが、あまりにも夢のような話で、
馬鹿馬鹿しくてそんな話はカミサンは聞いていない――つまり、
直ぐ忘れてしまったと言うのだ。

定年になる前、勤続35周年のお祝いで、夫婦ハワイ旅行10日間。
費用も手配も全て会社で済ませてくれた。

このとき200円(=ドル)だったと記憶している。
観光から三度の食事も全て会社で手配してあった。

そして定年にはなったが、旅行費用も無く、
そんな夢のような話と言っていたカミサン。
パスポートの申請に行くに当っても、まだ半信半疑だったらしい。

ボクは、これから稼いで費用を捻出しなければならない。
幸い年金で生活はできるから、今後稼いだお金は、
全部ボクの小遣いで自由になる。

ロンドン・ローマ・パリのヨーロッパ14日間の旅行費用は、
定年になった1996年時は、二人で130万円もした。

ドル円の為替レートは105~107円であった。

しかし旅行の手配は自分でしなければならない。


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 #7日間チャレンジ 「心の整理」

2019年08月20日 04時55分56秒 | つれづれなるままに考えること
医師から告げられた「三年間生存率 30%」の意味を考えた。

三年生きられるのは30%しか無い。

30%の持つ意味について話したい。

今はどうか知らないが、ボクが現役時代は、ビール業界では、

キリンビールが圧倒的に人気があって、市場占有率50%を超えていた。

独占禁止法では以下のように、

「独占的状態に関する規制は,競争の結果,50%超のシェアを持つ事業者等がいる等の市場において・・・・・。」

と述べられている。

つまり、50%を超えると

「昨日ビール飲み行ったよ」と言う会話があるとすると、

聞いた人はキリンビールを飲んだのだと思う。

バーでも、レストランでも、「ビールください」と言えばキリンビールが出てくる。

もし、その店のビールがアサヒだとすると、

「私どもはアサヒですが、よろしいでしょうか?」と断りを入れなければならなかった。

独占禁止法では、50%を超えると、もうそれ以上増やせないので、

TV、ラジオなどで宣伝出来なくなってしまう。

それが、たかだか50%だ。


話を戻そう。

「三年間生存率 30%」と言うことは、「三年間死亡率 70%」と言うことになる。

「50%でほとんどがキリンビールになる」と言うことは、

「三年間死亡率 70%」はほとんどの人が三年の間に死んでしまうと言うことだ。

数字のマジックというが、上手く出来ている。

つまり、心の整理とは、死ぬ覚悟を5日間で終わらせて来いと言うことなのだ。


こんな事が、入院直前、病院の門をくぐることになってやっと解った。

最後の別れをしようと、家に居るカミさんに電話したら、

泣きじゃくって居て、話が出来ない。

仕方なく、

「今夜の食事の用意はできたか、

明日の朝飯は何にするのか、考えて用意した方が良いよ。

今、病院の入り口に居ます。明日から治療に入って苦しむかもしれないが、

気にすることは無い。きっと元気に退院するから」と電話を切った。


この時、心の整理が付きました。

(自分の事ばかりにとらわれていないで、他人への気配りをすること、

それで自分が救われる。)と。
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 #7日間チャレンジ 「神様! 仏さま!」

2019年08月19日 04時38分38秒 | つれづれなるままに考えること
臨時に5日間のお暇が出た。

我が家に戻って、身辺整理に励んだ。
約束事は、連絡を取ってキャンセルをした。
身辺整理はすぐ片付き、一日が過ぎた。

覚悟を決めるという心の整理はなかなか付かない。
どうすれば心の整理は付くのか・・・

永平寺の道元禅師は座禅をしている時、
突然「心身解脱」と叫んで悟りを得たと言うが、

「何とでも成れ」というか、
「成るようにしか成らん」と考えるのか、
「成せば成る」のか、
「だまって眠れば良いのか」

簡単に書いたが、
「神様仏様!お願いです教えてください!」の心境だ。
どうすれば心の整理はつくのだろう。

悩みに悩む。
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 #7日間チャレンジ 「治療方法の説明」

2019年08月18日 04時59分30秒 | つれづれなるままに考えること
当方は、ボクを入れて家族4名と
相手は、教授を含む医師団5名で、
大学病院の一室で会合。

お酒でも出て食事会なら楽しい話であるが、
ボクの入院した治療方法についての会合である。

助手の一人が話を切り出す。

「余り緊張なさらずに、気楽にお聞きください。
罹ってしまったものはしかたありません。
病気は悪性リンパ腫。つまり血液のガンです。
血液ですからガンは全身に廻っているのは普通ですが、
首から上には転移していませんでしたが、
ガンの進行では第4ステージです。
と言っても、よく理解できないと思いますが、
こう言えば御理解いただけるでしょうか。
ガンですから治療して治っても、
(三年間生存率 30%)と言えば、
ご理解できますでしょうか。」

ここでボクが質問した。
「ガンの治療は大変苦しいので、治療しないという選択肢もあるのでしょうか?」
「それも含めて今日集まってもらったのです。」
「治療しないとどうなりますか?」のボク。

すると今まで黙っていた教授がやおら口を開いて、

「そのときは、あと一年の命です。」

ずばりと答えた。正直な先生である。
「それで治療方法について今日集まっていただいたのです。」という。
「入院期間はどのくらいでしょうか?」
「およそ半年」

この前手術の時に初めて知った。
(治療方法については患者が納得して了解を得ないと、
治療が始められないということを。)

これを、「インフォームド コンセント」という。

イエス・キリストの十字架のような木の手術台の上に乗せられ、
両手を広げ片方の腕に血圧計をつけ、
手術前の麻酔の時に、
「全身麻酔にしますか、部分麻酔にしますか?」と訊かれた。
この了解と同意を得ることが「インフォームド コンセント」

即座に、
「部分麻酔にしてください。
手術中の会話が聞こえるし、
上で光っている照明に映る影で、
どんなことをしているかが判るので。」と答えた。

昔、痔の手術をしたことがあった。
手術中、医師が話す言葉が聞こえてきたので、
気持ちがまぎれた経験があったからだ。
麻酔医師は頷いて、部分麻酔にした。

ところが電気メスが、
「ジャキッ」と音がして、
下腹部に猛烈な痛みが走って、体が反応した。

それで医師が「全身麻酔にしましょう」と変更することにした。
これも「インフォームド コンセント」

何故麻酔が効かなかったのか、
ボクが酒豪だったからかどうか知らないが、
変更することに同意した。
あるいは始めから変更を予定していたのかもしれない。

医学上は、治療に当たっては、治療方法について、
患者の納得と同意が必要だからである。
「全身麻酔にしますか、部分麻酔にしますか?」
これは同意が必要だったのである。

しかし考えてみれば患者はそのどちらが良いか知らないのが普通。
ボクのように手術の経験があったから部分麻酔と言えるが、
経験のない人は、どちらと答えることは出来ない。

「お任せします。」の回答を、
実は期待していたに違いない。

さて、全身麻酔に変更することになった。
医師が言う。

「十まで数を数えてください。そのうちに眠くなりますから。」

十まで数える必要もなく、四まで数えたら麻酔は効いて、
意識を失い、手術は終わったようである。

気が付いたら病室のベッドの上であった。
ボクは知らなかったが、
麻酔からさめて患者の応答があるまで、
手術室から動かすことは出来ないそうである。
応答があったから病室に居るらしい。

カミサンと息子が居て、
「気が付いた?」と。
「手術前から摘出したものを見せて欲しいと頼んであったのだが」とボク。
「見せてくれたよ。温泉卵みたいなものだったよ」という息子。
その摘出したものが悪性腫瘍で、
全身に転移したものだそうである。

さて話が脇にそれてしまった。

家族四人が五人の医師団に囲まれて説明され、
治療して三年待って死を選ぶ方が良いのか、
治療を止めて一年以内に死ぬ方が良いのか、
判断に困った。

いろいろ考えて、三年先には医学も進歩しているに違いない、
その時は、生き延びられるに違いない。
定年後まだ五年だ。
やりたいことはまだ一つも成し遂げていない。

今、大事なことは、
治療には患者の同意が必要であることだ。
化学療法を行うことをボクは了解した。

「それでは6月2日から治療を始めます。
それまでに身辺整理と心の整理をお願いします。」
大学教授が軽く言った。

つまり必要なのは、死ぬ覚悟だ。

それまでに、まだ五日ある。

なんとかなるだろう。

そう考えたボクが甘かった。

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