楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

浄瑠璃寺 3 (京の宿)

2004年01月31日 10時21分00秒 | つれづれなるままに考えること
(京の宿)
奈良から京都駅に着いたのは、
午後6時35分。
いつもの旅行なら、ここからタクシー。
しかし今回の旅は、歩くが主眼。
調べておいた地図を頼りに地下鉄へ。
三つ目の烏丸御池駅で下車、歩いて八分とあったが、
歩いて四分程度。

京都の道路は分かりやすい。
通りから飛び石つたいに、長く細い玄関までの道のりが、
京都の風情を出している。

総客室数六室のこの旅館は、三階建てで、地下に大浴場がある。
それにしても、その部屋数の割には、従業員が沢山いた。
もっとも、今の時期にしては、
一泊○万円で、箱根の有名旅館並みの宿泊料だから、
サービスは行き届いているだろうと思った。
部屋も素晴らしくゆったりしており、
隅に枯山水のミニ庭園があり、
床の間の香炉から煙がたなびいて、
活けられた花は、茶花風。

部屋の名も「静」京都観光は、いつもバス。
歩いたことなど一度も無く、土地勘など全く無い。
今回が初めての京都観光みたいなもの。

仲居さんが若くてかわいい。
着物の着付けが上手くないのか慣れないのか、
少し着崩れている以外はすべて満足。
出てきた食事も懐石料理で、舌鼓を打って全て平らげてしまった。
地下の大浴場もゆったり。
一人で浸かって大満足。
部屋に帰ると布団が延べられており、
布団もふかふかで、寝心地良さそう。
昼間少し歩きすぎて、疲れていたのか、
若い仲居さんに、朝七時に起こしてと頼むなり、

眠ってしまった。
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浄瑠璃寺 2

2004年01月30日 17時38分00秒 | つれづれなるままに考えること
浄瑠璃寺 2

浄瑠璃寺を拝観し終わって時計を見たら、
まだ次のバスが来るまで30分も余裕があった。
三門脇に「田舎そば」の看板があって、
お蕎麦を食べさせるらしい。

しかし田舎のことのんびり供応されるとバスの時間に間に合わなくなる。
このバスを逃すと次は二時間後でないとバスは来ない。
「田舎そば」の看板脇に公衆電話があって、
タクシーは何番と電話番号が書いてあり、
その横に掲示板ようのものがあり、空き瓶がぶら下っている。
なんだろうと思ったら
「この中に百円」と書いてある。

よくよく見るとその掲示板に20個ほど透明なヴィニール袋がぶら下げてある。
袋の中に何か陶器のタイルのようなものが入っている。
それにしても色も形も一定ではないし、
なんだろうと思って好奇心の強いボクは、
100円玉を瓶の中に入れて一袋とって見た。
中のものを取り出すと、タイルかと思ったものは、
お餅を薄く切って焼いた(あられ?)であった。
食べてみると、すこし塩分があって、
カリッとよく焼けている。

お昼も少し過ぎた時間で、お腹もすいていたためか、
とても美味しかった。

それにしても、このヴィニール袋、中に乾燥剤も入っていないのに、
パリッとした味がよく出ている。
よほど乾燥した地域なのであろう。
あるいは池が全面結氷するくらいだから、
冷蔵庫に入れてあるようなものなのだろうか?
バス停には人影も無く、ボクたち夫婦二人だけ。
周りには、蝋梅が満開になっているし、
コブシが大きな蕾をつけている。
赤い南天の実は美しい緑の葉の間に沢山あって、
そろそろ落ちそう。先客の三人が何処へ行っていたのであろう、
バス停に近づいてきたと思ったら、バスがやってきた。

総勢五人がバスに乗り込み、奈良駅に向かった。
奈良駅で腹ごしらえをして、奈良公園へ向かい、
途中人力車の勧誘にあったが、
すぐ興福寺の五重塔が見えたので、興福寺に入る。

興福寺といえば、猿沢の池を欠かすことが出来ない。
それは景観の所為であろうか?
あるいは奈良のポスターのせいだろうか?
奈良と言うと、猿沢の池から写した五重塔を思い出す。
奈良京都には何回来たことだろう。

何回来ても観光はいつも観光バスで回る。
はい、こちらが、春日大社、こちらが興福寺、
こちらが東大寺などなど。
一度も自分の足で歩いたことが無いから、方角がまるで判らない。
猿沢の池を一周して、春日大社へと歩を進める。
奈良公園内を案内標識に従って歩くと、
修学旅行の生徒さんと思しき人たちとすれ違う。
天然記念物の鹿が、二匹三匹、五匹七匹と群れを成して餌をついばんでいる。
修学旅行の学生が鹿に、キャーキャー云いながら餌をやっている。
観光客から餌を貰わない日はどうやって餌にありついているのだろう?
奈良市の観光課の人たちが時間と場所を決めて餌をやっているのだろうか?
そうでないとこれだけの鹿は飢え死にをするか、
観光客に襲い掛かってくるに違いない。
公園の森は金網で仕切られているし、
金網外の木は、幹に金網が巻いてあり、
鹿に食べられないようにしてある。

春日大社にやっとの思いで、到着する。

今年は遷宮の年に当たっているのか、新しい神社が真新しい姿を見せていた。
人はまばらなのに、おみくじやお守りを渡す場所には、
沢山の巫女さん姿のお姉さんが座っていた。
普段はきっと、沢山の参拝客があるのであろう。
帰り道の参道には、やたら鹿がうろついていた。
もう宿に還る時間なのだろうか?
奈良駅に帰る途中、東大寺はこちらと、案内標識があった。
東京に住んでいるボクたちは、
鎌倉は、観光バスで歩かず、徒歩が多いので、
鎌倉の大仏はどんな顔かたちをしているか、思い出せるが、
奈良の大仏は、観光バスで見て歩くので、
心行くまでじっくり眺めたことが無いから、
どんな顔かたちであったか思い出せない。

時間は自由、旅館に行くまでの時間は定められていない。
ここが観光バスでの見学と違うところ。
東大寺に歩くことにした。
距離はあまり無いと思われるが、
昼食をとった後、午後2時からずっと歩きっぱなし。

しかも、いつも散歩に出て歩くスピードと変わりないから、
相当な距離を歩いたに違いない。
東大寺に入る時、後20分もすれば、閉館するところだった。
国宝の大仏を見上げ、用意した賽銭を入れてお参りする。
大仏殿入り口の扉は、見上げるほど高く、
厚みは手でやっとその厚さを測れるほど。
敷居はボクのように短足では、跨ぐのにやっと。
大仏殿の中には修学旅行生で満杯であった。
引率の先生が大声を張り上げて、出口へと誘導しているが、
生徒は感動してなかなか動き出そうとしない。

時間が来て閉館になるので先生はあせっていた。
ボクたち夫婦はその後をゆっくり拝観して、

外へ出ると夕焼けがとても綺麗であった。
人力車の車夫が寒い中、勧誘してきたが、
「ありがとう」と返事をしただけで、
歩くことが好きなボクに牽かれて、
カミさんが疲れた顔をしながらついてきた。

奈良駅に着いたときは、薄暗くなっていた。
京都まで特急で35分。
慌てることは無い。
観光バスツアーではないのだから、
そう言い聞かせて電車に乗った。
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浄瑠璃寺(叔母との約束)

2004年01月29日 11時30分00秒 | つれづれなるままに考えること
浄瑠璃寺(叔母との約束)

96歳になるカミさんの叔母が、老人ホームで生活している。
その叔母がまだ元気で自分の家で生活している頃、
将来ぼけないように、手先と頭の体操をかねて、
ジグソウパズルを時間かけて楽しんでいた。

ドイツのお城ノイシュバンシュタインなど.
かなり大きなジグソウパズルを完成させていた。
出来上がると「差し上げます」とよくボクにくれた。
ボクも貰っても家に飾ることも出来ず、
さりとて無碍にお断りもならず、「有難う」と言って貰っていた。
記憶に残っているのが、

この「ノイシュバンシュタイン」と「浄瑠璃寺の雪景色」の二つ。

貰った時に、いつかこのジグソウパズルにある絵の
「写真を撮ってきて、差し上げましょう」と約束をしてあった。

それからもう10年にはなる。
ノイシュバンシュタインは5年前にドイツへ旅した折、
絵葉書でも送ってあげたが、
自ら写真を撮ってお土産と一緒に、もって行って喜ばれた記憶がある。

しかし、いつでも行かれると思う浄瑠璃寺はなかなか行くことが出来ず、
一昨年叔母が転倒して大腿骨を骨折した時から、
早く約束を果たさないといけないと思っていた。

昨年暮に、何の気も無くN航空会社のマイレージが,
12月31日で有効期限か切れてしまうことがわかり、
無料で行けるならと、約束の浄瑠璃寺写真を撮りに行くことにした。

お寺の場所は京都にあるが、
乗り物は奈良駅からバスに乗って30分、
一日に数本しか出ていないバスに乗った。

車窓からは郊外の田園風景が目に映り、
人影もめったになく、行き交う車も少ない道路を、
どんどん山里の中へ入っていく。

浄瑠璃寺と同じ名のバス停で降りる時、今来た順路で帰るには、
「次のバスの発車時刻は何時ですか?」と、
運転手さんに聞いて置きたくなるほど、鄙びた田舎へ来た。

バスに乗った時は、カミさんとボクの他にもう一人、
御婦人が乗っていたが、二つ目の駅で降りていったので、
バスは殆ど二人貸切り状態で来た。

お寺までは、(200メートルです)の案内看板を見て、
道路を覗くと、向こうに三門らしきものが見える。
門をくぐると、左手に鐘楼、正面に池、
右手に本堂があり、池のほとりに三人の先客があった。
きっと一時間前のバスで来たに違いない。
他には誰もいない静かな山里であった。
右手の本堂の方に歩くと、
「本堂参観できます。御希望の方はこちらへ」と、右矢印の看板があった。

旅行案内では、今の時期は国宝級の九体の仏像は、
特別拝観の時期で無いとあったのにと、
不審に思いながら本堂前に進んだ。

賽銭箱があり、その賽銭箱に仏像拝観料は300円、と書いてある。
振り返ると池の向こう側に、
三重塔がやや高い位置にそびえている。

池を回って、三重塔の方へ歩く。
池は寒さで全面結氷しており、寒さが深々と伝わってくる。
三重塔の前に、薬師如来を拝んだ後、
彼岸の極楽浄土にある阿弥陀様を拝むように書かれている。

なんだボクたちは、逆に来たんだと思ったが、
済んだことは仕方がない。
初めからやり直すことにした。

池の東側にある三重塔の薬師如来は、
過去の世界から現世に光を当て、
苦悩を越えて進むための薬を与える仏様であるという。

真ん中にある池は現世で、
お釈迦様がこの世を導いて、池の西側に、
理想の未来に(極楽に)導く阿弥陀如来が、お出でお出でのしるし、
右手の親指と人差し指でマルの形(OKの形)を作り、お迎えしていると言う。

金300円也を払って、本堂の九体の阿弥陀様を観る。
見事な金箔に覆われている。
真ん中にある大きな香炉から、
たなびく香の匂いが気持ちを浄化させる。
賽銭を入れ、入れた賽銭が千万倍になりますようにと、
それから健康で長生きできますようにと、欲張ったお祈りをして、
本堂を出ようとすると、高く積み上げられた沢山のお経に囲まれて、
一心にお祈りをする修行僧が蹲っていた。
全く人の気配も感じさせないでいた修行僧は、
たった数分のことでも、冷たさで足が痛くなるほどの場所に、
作務衣の様な着物一枚で、じっと祈る姿に心打たれた。

(これでこそ極楽往生ができる)

そう思わせる真言律宗のお寺であった。
叔母と約束した写真は、
その薬師如来が安置されている三重塔が白壁の塀の向こう側にある図柄であったが、
何処をどう観ても、そのような構図は見当たらなかった。

その昔、院展でその絵を見た記憶があるが、
絵であるから多少創作した嫌いがある。
いずれにせよ三重塔は沢山カメラに収めたから、

葉書にして送って、約束を果たしたいと思う。
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夫に先立たれた姉への手紙 2

2004年01月27日 05時31分00秒 | つれづれなるままに考えること
(スペインを旅行して 1998年)
4月6日発の13日間のスペインを旅行した折、セゴビヤ
(Segovillia)という田舎町を訪れました。そこはスペイン出身の
ウォルト・ディズニーが動画「白雪姫」を製作するに当たって、
モデルにしたといわれる、美しい中世のお城があることで
有名な(?)街です。

確かに、見覚えのある尖塔を持つ美しい城が断崖絶壁の上にあり、
その下には雪解けの、清らかなせせらぎと緑の牧草地が広がり、美しさでは、そのロケーションを写真で見るか、あるいは現地へ赴くかしてみるしかないと、筆舌には表現できない美しいところです。

その城には、あのセルバンテスが「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の作品の中で表現している、鉄の鎧が、これまた馬に纏わせる鉄の鎧をにまたがり、長い槍を小脇に抱えて、今にも動き出しそうにしている広間を通りぬけて、コロンブスがその雄弁を振るって、新大陸発見のための当市をお願いしたという広間も核やあらんという、女王謁見の間の豪華絢爛さに目を奪われました。

古い歴史に想いを馳せながら、通り抜けた部屋の一つ一つには、それぞれの壁に歴代君主の肖像画が架けられていました。

そんな部屋部屋を通り抜けると、いわゆるパティオと呼ばれる
中庭に出てその向こう側には、敬虔なカトリック教徒である
スペイン人らしく、神父様の部屋が用意してありました。
その部屋は、現在はこの城を訪れる観光客のためにSouvenir
(お土産)を売っている部屋になっていました。

そのお土産を売っている部屋に入ると、売店の売り子は修道士で、
部屋に流れる音楽は、なかなかその辺りでは聴くことが出来ない、
私にとっては奇妙な音楽でしたが、なんだか心打たれるというか、
清浄感のある音楽でした。

お土産に並べてある鎧や、槍、剣のミニチュアをぼんやり眺めながら、その音楽に聞き入っていました。あまりにも印象に残ったので
CDを一枚買い求めて帰りました。
CDをよくよく見るとスペイン語で修道士が歌っている賛美歌でした。

どうも僕が持っていても役に立ちません。同封しますのでお聞きください。CDプレーヤーをお持ちでなければ、孫に話して借りて
お聞きください。

神と語る言葉といわれるスペイン語の美しさは、賛美歌と教会で聞く神父様の説教の中にあるのかもしれません。
昔の歴史の流れから、イギリス語は海賊の言葉、フランス語はそれが持つ発音の美しさゆえに、恋を語る言葉、そして話されることばとして、第二の地上面積を持つ(第一は英語)スペイン語は、発音の清浄感から神と語る言葉といわれてきました。

話が大変逸れましたが、ついこの間なくなられた上智大学の教授で
エッセイストの須賀 敦子さんのエッセイ集「ヴェネチアの宿」
(修道院やシスターがふんだんに出てくる)を感動して読みながら、
どうもこの讃美歌集はは自分が持っていても何の役にも立ちそうも無いと思い立ち、その経緯を書いてお送りすることにしましたので、
どうぞお受け取りください。

まもなく梅雨に入ります。どうぞお体に注意して長生きしてください。幸い我が家の者は、孫を含め元気にしておりますので御安心ください。

この九月には、倅のところで出産を予定しており、孫がもう一人増えにぎやかになりそうです。

次は 北欧を予定しています。では......

May.18.1998.

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夫に先立たれた姉への手紙

2004年01月26日 10時14分00秒 | つれづれなるままに考えること
(姉はクリスチャン・ネームをマリア・テレジアといい、
敬虔なクリスチャンです。一部以前 Ocn Cafeに
述べましたことと重複しますがお許しください。)

夫に先立たれた姉への手紙

寒さが本格的になり、冬本番となりました。
先日のお通夜、告別式では、心身ともにお疲れになったことでしょう。
夫婦の別れがどんなものか計り知れませんが、
その後如何お暮らしでしょうか?

さて、私は今、藤沢周平の「三屋清左衛門残日録」を読んでいます。
冒頭で清左衛門なる主人公が残日録とは、

「日残りて昏るるにいまだ遠しの意味で、
残る日を数えようという意味ではない」と語っています。

人生やるべきことをやって隠居したが、
残された人生、まだまだ終わらないぞ。と語っています。

人生如何に行くべきかについて、語ったものです。

そもそも文学というものは「人生いかにあるべきか」を
探求する学問ですが、ことに感銘深いのは、
この物語の冒頭にある

「人生の日数は残っており、日が暮れるのには(一生を終わるのには)、まだ早い」

明日もあさってもあるぞ、そしてまだ先は長いぞ、
だから精一杯生きよう。という気概を感ずることです。

このようにして文学は人生を突き詰めて考えることから始まります。
へミングウエイの「老人と海」の物語のように、悪戦苦闘して大魚を捕らえても、
この大魚を港に運ぶまでに、鮫に食われて骨だけになってしまう―――
つまり「何をしても何も残らない」あるいは
「人はどんなに あがいても 神の立場からみれば 何かをどうかする」などと
言うことは出来ない。という結論に達していきます。

大宇宙のかなた(神)から見れば、地球は一個の小さな惑星であり、
地球上の人間はさらに小さなものであることは事実です。
神の立場から見れば「人はどんなに あがいても 何もしてない」
ことになります。だからキリスト教では「全ては 神の御心のままに」
お任せしておけば良い、ということになります。

話をもっと解りやすくすると、人間の世界で「蟻に何かをさせても、
何もしていない」ように見えるのと同じことです。

ところが仏教の世界では、もともと儒教の「人事を尽くして
天命を待つ」思想が強く、極楽往生するには(天国へ行くは)、
仏の道を修行しなければならない(禅宗)と言う事になっています。

しかし、それでは誰も(一部の有能で体力のある人以外は)極楽往生すること出来ない。
「そんなはずは無い。仏はそんなに無慈悲ではない」と法然上人は考えた。
仏の慈悲に縋って、ただただ「南無阿弥陀仏」を唱え参らせれば、
極楽往生できる、としたのが浄土宗です。

いやいや「南無阿弥陀仏」を唱える気持ちが起きた時は、
すでに仏の慈悲に縋っているのだから「何もしなくてよろしい」と親鸞は説いています。
では「なぜ念仏を唱えるのですか?」の問いに対して
「極楽往生させていただけるそうですが、有難いことです」
のお礼のためです。と答えています。(浄土真宗)

こんな勉強をして、さらに勉強を深めれば充実した一生を
過ごすことが出来るものと確信しております。

先だって、定年退職のお知らせの中に「今後は心静かにすごしていきたい」
と書きましたのは、こんな意味を含んでいました。

お互い今後の寿命を図り知ることは出来ませんが、悔いなく、
それこそ「心静かに過ごしたい」ものです。

取り留めのないことを書きましたが、先だってのお通夜の和尚さんの
説教と今読んでいる本を思い出しペンを執りました。

では、今後とも、心を落とすことなくお元気にお過ごしください。




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