楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

アルバム 4

2003年11月14日 10時34分00秒 | つれづれなるままに考えること
(男の子の15歳:僕の場合)

古いアルバムを整理していたら、6歳で亡くなった、弟の写真が出てきた。悲しみよ今日は!そんな写真である。

15歳―この歳になってボクはやっと思春期を迎えた。
思春期―本人にとって、なんとあでやかな言葉であろう!
何のことはない、男は髭が生え始め声変わりをし始める。体は大人になろうとするのに、頭の中はまるで子供。

この時期いろんなことが起きる。いろんな体験をする。

その三月に事件は起こった。

この四月に小学校へ入学する予定の弟が、高熱を出して元気なく遊び先から家に帰ってきた。そんなことは知らない母が、やっと新調した入学用のジャケットと半ズボンを、手にぶら下げて

「さあ着てご覧!」と弟に着せた。

新一年生にピッタリの白地のワイシャツに紺の洋服であった。

「さあ、ランドセルも背負ってご覧!」
弟はランドセルを背負って、寂しげに笑っただけだった。

「ん?」何かおかしいと感じたのは、ボクだけだったのだろうか?
弟は普段ならもっとはしゃいで、洋服とランドセルで部屋中走り回るはずだ。

次の瞬間、母の膝元に、弟は崩れ落ちた。母が抱き起こして、

「すごい熱がある!」
ランドセルを取り外し洋服も脱がすのもとりあえず、布団に寝かした。氷枕だ、医者だ、と慌てて。

チビが言った
「赤いウンチが出るの」チビはそのまま意識不明になり、うわごとを言うようになった。

医者が来て、首を振った。何を注射したか知らない。
チビは一晩中うわごとをいいながら、目は半眼に開いて、黒目が左右に動き回り、熱と戦っていたが、明け方そのまま息を引き取った。

(ランドセルを背負って見せた、寂しい微笑みと命のはかなさ がボクの記憶の中に永遠に焼きついた。あんなに可愛がった弟の死に直面してボクは混乱した。)
弟が死んだ時、僕も悲しかったが、母の狂ったような悲しみ様を見ていることは出来ない。

自分より若年の者の死ほど悲しいものは無い。



コメント
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