(男の子の15歳:僕の場合)
古いアルバムを整理していたら、6歳で亡くなった、弟の写真が出てきた。悲しみよ今日は!そんな写真である。
15歳―この歳になってボクはやっと思春期を迎えた。
思春期―本人にとって、なんとあでやかな言葉であろう!
何のことはない、男は髭が生え始め声変わりをし始める。体は大人になろうとするのに、頭の中はまるで子供。
この時期いろんなことが起きる。いろんな体験をする。
その三月に事件は起こった。
この四月に小学校へ入学する予定の弟が、高熱を出して元気なく遊び先から家に帰ってきた。そんなことは知らない母が、やっと新調した入学用のジャケットと半ズボンを、手にぶら下げて
「さあ着てご覧!」と弟に着せた。
新一年生にピッタリの白地のワイシャツに紺の洋服であった。
「さあ、ランドセルも背負ってご覧!」
弟はランドセルを背負って、寂しげに笑っただけだった。
「ん?」何かおかしいと感じたのは、ボクだけだったのだろうか?
弟は普段ならもっとはしゃいで、洋服とランドセルで部屋中走り回るはずだ。
次の瞬間、母の膝元に、弟は崩れ落ちた。母が抱き起こして、
「すごい熱がある!」
ランドセルを取り外し洋服も脱がすのもとりあえず、布団に寝かした。氷枕だ、医者だ、と慌てて。
チビが言った
「赤いウンチが出るの」チビはそのまま意識不明になり、うわごとを言うようになった。
医者が来て、首を振った。何を注射したか知らない。
チビは一晩中うわごとをいいながら、目は半眼に開いて、黒目が左右に動き回り、熱と戦っていたが、明け方そのまま息を引き取った。
(ランドセルを背負って見せた、寂しい微笑みと命のはかなさ がボクの記憶の中に永遠に焼きついた。あんなに可愛がった弟の死に直面してボクは混乱した。)
弟が死んだ時、僕も悲しかったが、母の狂ったような悲しみ様を見ていることは出来ない。
自分より若年の者の死ほど悲しいものは無い。
古いアルバムを整理していたら、6歳で亡くなった、弟の写真が出てきた。悲しみよ今日は!そんな写真である。
15歳―この歳になってボクはやっと思春期を迎えた。
思春期―本人にとって、なんとあでやかな言葉であろう!
何のことはない、男は髭が生え始め声変わりをし始める。体は大人になろうとするのに、頭の中はまるで子供。
この時期いろんなことが起きる。いろんな体験をする。
その三月に事件は起こった。
この四月に小学校へ入学する予定の弟が、高熱を出して元気なく遊び先から家に帰ってきた。そんなことは知らない母が、やっと新調した入学用のジャケットと半ズボンを、手にぶら下げて
「さあ着てご覧!」と弟に着せた。
新一年生にピッタリの白地のワイシャツに紺の洋服であった。
「さあ、ランドセルも背負ってご覧!」
弟はランドセルを背負って、寂しげに笑っただけだった。
「ん?」何かおかしいと感じたのは、ボクだけだったのだろうか?
弟は普段ならもっとはしゃいで、洋服とランドセルで部屋中走り回るはずだ。
次の瞬間、母の膝元に、弟は崩れ落ちた。母が抱き起こして、
「すごい熱がある!」
ランドセルを取り外し洋服も脱がすのもとりあえず、布団に寝かした。氷枕だ、医者だ、と慌てて。
チビが言った
「赤いウンチが出るの」チビはそのまま意識不明になり、うわごとを言うようになった。
医者が来て、首を振った。何を注射したか知らない。
チビは一晩中うわごとをいいながら、目は半眼に開いて、黒目が左右に動き回り、熱と戦っていたが、明け方そのまま息を引き取った。
(ランドセルを背負って見せた、寂しい微笑みと命のはかなさ がボクの記憶の中に永遠に焼きついた。あんなに可愛がった弟の死に直面してボクは混乱した。)
弟が死んだ時、僕も悲しかったが、母の狂ったような悲しみ様を見ていることは出来ない。
自分より若年の者の死ほど悲しいものは無い。