楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

酒と女と男と恋と 4

2021年07月31日 03時55分40秒 | つれづれなるままに考えること
(借金の返済)
前回、1万2千円の月給で、
50万円の借金をほぼ一年で返済したと書いた。 
給料の五十か月分を一年で返済できるわけがないと、
懸命な読者の皆さんはすぐ気付かれたに相違ない。

営業の仕事をしていたボクに、
ある一定の売り上げをあげれば、
給料の他に報奨金を出す仕組みが待っていた。
沢山売り上げを出させる仕組みである。
借金返済のためにお金が必要であったボクは、
この報奨金に遮二無二喰らいついた。
営業マン平均売り上げの三倍強の仕事をした。

そのやり方は簡単で次のようである。
営業の仕事は、どれだけ沢山の人に会うかによって成果が出る。
沢山の人に会うには、
会うための沢山の時間を作ればよい。
この時間を作るのは簡単だった。

同僚達の時間の使い方を観察すると、
出社すると本日の仕事の予定、
書類の整理、上司への報告、
お得意様へのアポイントなどで、
実際に営業活動をするために、
会社を出るのは10時頃。
お昼には帰社して昼食に1時間。
帰社するまでに費やす30分。
午後出掛けるのは1時頃。
先方までの道のりに費やす時間30分。
仕事を終えて帰社するのが5時頃。

この中から無駄な時間を生み出す。
朝出社して準備を終え、会社を出るのを9時にすることで1時間。
昼食は帰社せず外で終わらせることで約1.5時間。
夕方帰社するのを1時間遅らせ1時間。
一日3.5時間を同僚より多い仕事時間を作った。

これにより一ヶ月約10日分他人より多くの時間を作ることになり、
その分売り上げを上げることが出来た。
良い仕事をするから上司の覚えもよく、
格段のボーナスももらった。
報奨金により月給は毎月倍額になった。

さて借金の返済であるが、キャバレー、クラブの借金は、
ほとんどホステスが立て替えていて、
返済に行くにはホステスに会わなければならない。
会うということは、
そこでまた飲み食いをすることになるから、
借金は減りこそすれ無くなりはしない。
そこで借金だけを返すには、
キャバレー、クラブが始まる前に行って、
ホステスに会い、返済することになる。

遊ばないでホステスに会うには、
彼女達の更衣室に行くことになる。
更衣室には、沢山のホステス達が着替えをしていて、
それこそ脂粉の香りに圧倒される。
なじみのホステスを呼んでもらうと、
殆んど下着姿の女性が出て来る。
借金を返すと、ブラジャーの裏から
束になった領収書を取り出し、
該当するボクの領収書を探して渡してくれる。
残りいくらあるのか聞いて、
翌月返済に来ることを告げて帰る。
遊びに行ったときは、気持ちよく応対してくれるのに、
借金の返済だけでは、
いともつれない素振りである。

まさに金の切れ目が縁の切れ目。
借金さえ持ってこない輩(やから)も居るに違いないのに・・・

そんな人には、せっせと電話で催促して、
取立てをしなければならないはずであるのに。
しかし、考えてみると取立てをしなければならないような顧客に
遊び代を立て替えるようなへましないのかも知れない。
そこはそれ世の中の辛酸をなめた彼女達である。

風の便りに聞くところによると、
そのホステスは両親のために、
郊外に家を購入したという。
ボクの遊び代はそのうち何パーセント
入っていたのであろうか。

めでたくボクが結婚した数年後、
図らずも彼女が会社に訪ねてきた。

お客様がお待ちだと、
出先から呼び返されて会社に帰ると、
応接室に美人が居る。
知らない人であったので、
事務所でお客様は?
と聞くと、上司がにやりと笑って、
応接室の女性だという。
その女性を記憶になかったが、
とりあえず応接室に行く。

「お忘れですか?××にいた○○です」という。
記憶をめぐらしたが、厚化粧をしていたあのホステスが、
薄化粧はしているが、
こんな美人であったことに驚いた。
今はホステスを辞めて商社の事務員であるという。
その商社がボクの扱う商品の購入計画があるので、
ボクを推薦してくれたというのである。
競合他社が沢山ある中での推薦はうれしかった。

四ヶ月くらい掛かって、
ホステスの更衣室に借金を返しにいった事が
彼女の印象に残っていたのであろうか。
借金を踏み倒すやからも多いのに、
まじめに返済し終えたのが
印象に残ったからであろうか?





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ゴーヤ

2021年07月29日 03時59分13秒 | 日記
夏の暑さを凌ぐのに、電気を使った冷房では無く、

環境にやさしい自然の涼しさを取り入れようと、

板橋区でグリーンカーテンの運動を始めた。

小学校の校舎の

陽の当たる窓際に植物を育てて、

グリーンのカーテンを作ろうと、

ゴーヤを植えた。

これが功を奏し、各小学校の窓際にグリーンのカーテンが出来た。

これを一般区民に広げようと、

春の時期になるとゴーヤの苗を区民に無料で配布を始めた。

ボクが住んでいるマンションの自治会長が、

ゴーヤの苗を貰ってきて、敷地面積の20%ある緑地に植えた。

時期が来るとゴーヤの実を何個もマンションの玄関ホールに、

「欲しい方はどうぞ」と並べたら、

貰う人が結構いて、ゴーヤはあっという間に無くなった。

ゴーヤは別名「ニガウリ」と言い、名の通り苦みがある。

沖縄では、ゴーヤチャンプルで戴くのであるが、

少し苦くて酒の肴に持って来いの美味しさがあってボクは好きだ。

わざわざゴーヤのために、

沖縄のお酒「泡盛」まで買ってくるほどである。



前書きが長くなってしまった。

実はそのゴーヤを我が家のベランダで育てようと、

今年、苗を買ってきて植えた。

136円也。


孔雀サボテンの花が終わったので、サボテンを整理して、

プランターに植えたゴーヤのつるを

サボテンの鉢に立てた釣り竿に絡ませた。

どんな過程でゴーヤの実が成るのか、

想像では、キュウリやカボチャの同じような課程で、
稔るのだろうと想像していたが、
なかなか、そのような花芽が付かない。
花芽の後ろにゴーヤの実らしきものがあって、
その雌花が咲いたら雄花の花粉を付けてやれば、
実るであろう、と思って居た。

首を長くして、今か今かと待って

やっとそれらしき花芽を見付けた。



毎朝眺めて、この花芽が何時咲くのだろうと・・・

やっとその日が来た。


後は、この実が大きくなるのを待つだけと期待していたら、

この小さな実は思ったより早く大きくなって行く。

小さなプランターに植えたから、

このゴーヤの実はあまり大きく成らないかも知れない。

早くも「泡盛」だけは購入した。

待ち遠しいが、かなり暑くならないと、
食べられるほどにはならないと、
気長に待って居るこの頃である。


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鬼ユリ

2021年07月27日 03時42分18秒 | 日記
散歩の途中のみすぼらしい商店街の一角に、

咲いて居た鬼ユリ。

向かいの商店の方が、景気づけにと植えられたと思われる。


同じ場所に咲いて居たユリの仲間と思われますが、

名前は解らない。



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7/24の満月ーバック・ムーン

2021年07月26日 03時06分31秒 | つれづれなるままに考えること
アメリカの先住民の間ではBuck moon(バック・ムーン)
男鹿の月という。

7月頃に雄鹿(Buck)のツノが生え変わることから、
その時期に見られる満月をバック・ムーンと呼ぶようになったと言う。

7月の満月は、
7/24 AM11:37 ですが、あいにくの曇り空でした。

日本で見た満月PM20:23雲の合間を狙って撮った月。



実際は雲が多く切れるのに少し時間がかかった。






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酒と女と男と恋と 3

2021年07月24日 03時40分36秒 | つれづれなるままに考えること
お酒にまつわる話は際限なく多い。
しかも後で考えると失敗のほうが多く、
成功したという話はほとんど無い。

酒はほどほどにして切り上げるのが得策のようである。

学校を卒業して、一年目に母を、二年目に父を失った。

人生50年、54歳と57歳の二人は、
第二次世界大戦をはさんだ激動の時期を生き抜いた人達であった。
その短い人生を覗いていたボクは、
自分の残り30年の間に、
出来るだけ多くの経験を積みたいと思った。
ところが30年どころか、
60年を超えた。
今考えれば
急ぐことは無かった、ゆっくり体験すればよかった。

父母の死で迷惑を掛ける人が居なくなったと、
両親がいれば必ず注意される未知の世界を、
覗いてみたい衝動に駆られた。
若さの所以であろう。

やっと飲めるようになったお酒には、
女性がセットになっていた。
現代では、女性が飲みに行けば
男性がセットになっている場合もあるらしいが・・・

さて、23歳で父親を失った後、
新宿、渋谷のキャバレー、バー、クラブをはしごして歩いた。
一日おきくらいに遊び歩いて、
キャバレー、クラブのホステスの源氏名は、
各お店で十数人の名前をすらすら言えるようになって、
二十五歳のボクに、ある日縁談が六つも、
ほとんど同時に舞い込んで来た。

学生時代、バイト先で縁談を持ちかけられたことはあった。
20歳になったばかりで、
まだ学生でもあり、生活費さえ稼げないのに、
どうしてそんな話が来たのだろう、
相手のお嬢さんは日本舞踊の名取の方だそうだ。
結婚など、全くその気がなかったので、
丁重に断った。

その時母親から、
「人はある時期に縁談が重なる時がある、
そのときが結婚適齢期と思って結婚しなさい」
といわれた。

つまり縁談が重なったその時が、
女性も男性も売り時だというのである。
その時機を逸すると、生鮮食品ではないが、
賞味期限が無くなって売れなくなり、
挙句の果てには物が良くても、大安売りの、
たたき売りをしなければならないというのだ。

その縁談が重なったとき、
遊び歩いた後を振り返ったら、
借金の山であった。

今なら、さしずめサラ金に借金して、
にっちもさっちも行かなくなるところであるが、
当時はそんなものはなく、
お金を借りるには、質屋しかなかった。

しかし、質種になる金目(かねめ)の品物を持っているわけもなく、
唯一金目のものは、学校を卒業して就職した折に買ってもらった、
スイス製の腕時計くらいなもの。

初任給が手取りで1万2千円のころ
(これでアパートを借りて東京で一ヶ月生活が出来た)
この腕時計で1万円を借りることが出来た。

振り返ってバー、クラブ、キャバレー、の借金の山は、
総額50万円ほどになっていた。
たった二年間の遊び代だ。
質屋の1万円どころではない。

50万円の金額は、東京近郊で土地30坪付きの建売住宅が
60万円で購入できた時代の話である。
毎月の給料で払えば、飲まず食わずで50ヶ月分。

こんな男に縁談が降り積もったのは、
遊ぶお金ほしさに一所懸命働いた
おかげであるに違いない。

ボクは営業の仕事をしていたが、
一定の売り上げを上げると、
千円、二千円の報賞金が給料に加算された。
くわえて成績がよければ
人事考課でよい得点が得られ、
それがボーナス、昇給に反映された。
それを考えて一所懸命仕事をした姿だけを見て、
「良く仕事をする」の結果から縁談が来たに過ぎない。

会社はボーナスが多いことで有名であった。
夏冬合わせて、月給の15か月分ほどあった。

さて、縁談は一度も会ったことのない女性では、
一度会ってしまうと断るのに
理由がつけようもないと、会う前に全部断ってしまった。

しかし、結婚適齢期であるという認識だけは残って、
一生付き合える、自分にあった女性探しを始めた。

しかしだ、今までを振り返って、
女性との付き合う機会があったのは、
小学校の六年間、大学の四年間しかなかった。
小中学校では疎開やら、
戦後の混乱で異性との付き合いは出来なかった。
高等学校では、小中の勉強不足で、
学業が同期の生徒に追いつくよう、
寝る間も惜しんで勉強していたし、
大学では、サッカーに夢中で女性と会話すら交わしたことがない。

社会人になって女性と口を利いたのは、
キャバレー、クラブ、バーのホステス以外にはいない。
こんな中に苦学している女子大生もいたが、
この世界の女性を、
結婚相手として対象には出来なかった。

他には、僅かに会社の同じ課の女性二人、
下宿のばあちゃんと二児の母の若奥さんだけ。
交際範囲は以外に狭い。

そもそも、人の活動範囲は、そんなに広いものではない。
30年間住んだ東京で、隣近所の顔見知りだって、
そんなに多くない。
指折り数えて三~四十人あればよいほうである。
この中で世間話が出来る人は限られていて、
半分いればきっと多いほうに違いない。
ボクはかれこれ50年以上住んでいるが、世間話が出来る人は、
十指に満たない。

話がそれてしまったが、
この少ない知り合いの中から、
今のカミサンを選んだ。
結婚式をあげるまでには二年待ってほしいと頼んだ。
酒を飲んだツケを整理する必要があるからだ。

今になって思えば、降りそそいだ縁談の中から
選んでも同じであった。
就職するときも、尊敬する先生に勧められた会社を断って、
男子たるもの腕一本で生活してみせると意気込んでいたが、
時には人生の先輩の意見に従うのが正しい場合があるようだ、

と今では考えて居る。

人生は二通り体験することが出来ないから、
どちらが良くてどちらが失敗なのか、
判定は出来ない。

さて、その二年後には借金の山をすっかり整理して、
結婚資金も稼ぎ出して、挙式も滞りなく済ませ、
二人の子供に恵まれ、
今は孫達が、上は社会人、下は大学4年になり、
何不自由なく幸せな生活を送っている

ボクがここに居る。




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