楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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     ・おくのほそ道を歩く

頼政神社の内村鑑三記念碑(旧中山道を歩く 81)

2006年08月01日 12時31分00秒 | つれづれなるままに考えること

{写真付をご覧になりたいの方は、下記URLをクリックしてください。
URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2006/08/post_083a.html

(高崎宿3)
その高崎公園のさらに南に位置するところに、ひっそりと頼政神社がある。
この神社は、源三位頼政を祭ったものであるが、今では、どんないわれがあるのか、
知る人も少なく、訪ねる人も少ない。
そして、その神社内の南はしに、内村鑑三の碑が建っているが、
頼政と内村鑑三との関係は定かでない。

源三位頼政は、清和源氏の祖 源径基-満仲-頼光―頼国―頼綱―
仲政―頼政に繋がる源氏一族の一人。歌人としても有名である。

新古今和歌集には
今宵たれすずふく風を身にしめて吉野のたけにつきを見るらん

また、千載集には
都にはまだ青葉にて見しかども紅葉ちりしく白川の関

そして恋歌の
思へどもいはで忍ぶのすり衣心の中にみだれぬるかな

などが見受けられる。

一方の内村鑑三は、札幌農学校の教師 クラークの影響を受けた人である。
札幌農学校の開校に当たって、校則をあれやこれやと意見が出されたが、
なかなか決まらず、クラークに意見を求めるや、
クラークの鶴の一声で決まった。

「Be gentlemen!(紳士たれ)」

学校を離れるときの惜別の辞、

「Boy‘s be ambitious!(少年よ大志を抱け!)」は

あまりにも有名。

このクラークに師事した内村は、札幌農学校の二期生で、
群馬県の出身。

頼政神社にある鑑三の記念碑には次のように刻銘されています。

上州無知亦無才
剛毅木訥易被欺
唯以正直接萬人
至誠依神期勝利
              鑑三

その意味は
「上州人としての私は、知恵も才能もなく、
剛毅木訥で、欺かれやすく、ただ正直をもって
万人に接し、神によって至誠を尽くし、勝利を期した。鑑三」である。

上州人といわず誰もが、もって肝に銘ずべしである。
内村鑑三が持っていた考え、

(肌の色、性別、富豪と貧乏、年齢、宗教による違いは、
それを差別せず、「人間は全て同じ」)は、広く共感を得られている。

偉大な哲学者で、東京大学の総長など有識者を多数育てている。
内村鑑三の影響を受けた人には沢山居るが、著名人の、文学者では、志賀直哉、有島武郎、
正宗白鳥、岩波文庫の創設者 岩波茂雄、などがいるという。
(斯くいうのボクはごく普通の人間であるが、鑑三の影響を受けた一人である。)

昔のといっても1930年に亡くなっているから、ついこの間まで、
生存しておられた偉人である。

今後残された人生で、「その行いや善し」と言われるような行動を
心掛けたいものである。



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