楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

2024年最初の満月

2024年01月30日 04時03分47秒 | 日記
1/26はボクの誕生日。

奇しくも最初の満月の日に当たろうとは
考えもしませんでした。

そこで撮った写真がこれ。


1月は「ウルフムーン」(日本語にするとオオカミ月)

アメリカ先住民が満月に独自の名前をつけることで、
季節の変化を捉えていた伝統に由来しています。

満月に向かって遠吠えするオオカミを想像してください。
彼女を探しているのでしょうか?
悲しげなオオカミの声が聞こえて来そうです。

(ネットから)



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すき焼き

2024年01月27日 04時17分42秒 | 日記
1/21のこと、ヴィンテージ・ワインならぬ
すき焼きの記事があり、
気温の寒さが重なり、季節柄美味しそうだったので、
我が家もすき焼きにしてもらった。

さて、すき焼き鍋は?
どこに閉まった?

やっと探し出して広げて、思い出した。

ヴィンテージな「すき焼き鍋の箱」、
ボロボロで、これでは今後の保管が効かない。

(ヴィンテージなすき焼き鍋の箱とその鍋)


箱には「松屋特撰 すき焼き鍋」と書いてある。

結婚した年の冬、寒さが募り、
「こんな時には、すき焼きが食べたいなぁ」と、
呟いたのがきっかけで、買うことになった鍋。

新婚当時は、あれが無い、これが無い、
季節が変わるごとに、足りないものに気が付き、
その都度買い増していた家財道具の一つ。

結婚して、もう60年経つ、年期もの。
このヴィンテージ鍋で今夜はすき焼き。



お正月に娘がプレゼントしてくれた、
清酒「麒麟山」の期間限定酒と、
ともに古女房と楽しく、美味しく頂きました。

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冬の陽当たり

2024年01月24日 11時10分03秒 | つれづれなるままに考えること
我が家は集合住宅の五階の一室です。

南向きに三室あり、

一番東に、六畳の畳の寝室、

真ん中にリビング兼キッチン、

西側に十三畳の洋室と並んでいます。

冬は太陽が南に下がるため、

部屋いっぱいに陽が差しこみ、

汗ばむほどで、陽が昇ると、

部屋の暖房は止めます。

朝、十時ころの陽差し、

1月は部屋の半分ほど、太陽が差し込みます。

(その陽差しの状況)

夏は太陽の位置が、北側に移動するので、

陽ざしは屋根の上にあるのですが、

上階の部屋が遮ってくれます。


マンションの部屋選びのコツは、

1)部屋が南向きであること。
(東向きは、夏の朝太陽の日が部屋に入る、
 西向きの部屋は西日が避けられない)

2)上下左右に太陽の日が当たらないように、
  他の部屋があること。
 (下の部屋は太陽の光に関係がないが、
  夏は冷房、冬は暖房を入れるから、
  その上の部屋は床冷房、床暖房があるようなもの)
 
3)1階、最上階の部屋は避ける。
  (一階は出水の時困る、また湿度を避けるため。
   最上階は、夏場に太陽をもろに受けるし、
   地震火事で避難が難しいから)

4)見晴らしが望めるから、できれば四階以上が良い。

我田引水ですが・・・・

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縁切り榎

2024年01月20日 05時29分52秒 | ひとり歩き旅

日本橋を起点とする五街道(東海道、中山道、
奥州街道、日光街道、甲州街道)が、
江戸時代初期に出来た。

その五街道の一つ中山道の第一の宿場町が、
現在の板橋です。

板橋の名称は、
板橋宿内にある川(現石神井川)にかかる
板の橋に由来します。

その昔、旧中山道を探しながら歩いた時、
旧街道筋の旧跡を見て回りました。

そのお陰で、早飛脚なら15日、
皇女和宮の行列でも25日で、
旧中山道を歩き終えるのに、
ボクは49日かかりました。

東海道53次、
中山道69次として知られる
各宿場に到着して、宿場の観光ボランティアに、

「板橋から来ました、旧中山道を歩いています。」
と言うと、

尋ねられることは、一様に、

「板橋宿には、板の橋はありますか?
 縁切り榎は残っていますか?」の

二点でした。

各宿場では、中山道について勉強されるとき、
板橋については、その橋と縁切り榎が、
印象に残ると思われます。

板の橋については、
源頼朝が安房に追われて後、再起を図った折、
この板橋で集合したと「義経記」にあり、
縁切り榎については、奇妙なエノキがあるものと、
記憶されたと思われます。
皇女和宮の行列も、この榎を避けて通行しました。

板の橋は「現在は板の橋に似せたコンクリートの橋」で、
縁切り榎については、
三代目の榎が健在ですと答えてきた。

司馬遼太郎の小説のようですね。
前置きが長く、
やっと本題の「縁切り榎」が出てきました。

(縁切り榎について)

(ゆきのや おけら歌)
「榎(エノキ)は縁の木(エンノキ)なれば  
   あながちに縁を断つこと
          のみならず
  善縁をむすび 
    悪縁をたつことこそ 
 神の御心なれ
   縁のいとのむすふも 
         とくも 
   人こころ
  誠しあらは神そ守らん
   雪廼舎 朮 歌      」

縁切り榎は、縁を切るだけでなく、
悪縁を切り善縁を結ぶことにあると言っています。

板橋宿は、平尾宿、仲宿、上宿と三宿に分かれていました。
板の橋も、縁切り榎も、その仲宿にあります。

縁切り榎

「縁切り榎」の右側の旗の後ろが、
当の「縁切り榎」の木である。

幹が竹矢来で囲われていますが、
未だに木の幹を削って持って行く人がいるから、
榎の幹が削られないようにしてあるのです。
それでも竹矢来の上部の
ケヤキの幹は削られています。

榎の木を削るということは、
この木を煎じて飲ませると縁が切れると、
信じられているのです。

ところが、煎じて飲ませても、
縁が切れないことに業を煮やし、
区役所にクレームの電話を掛ける人がいるそうです。

区役所も心得たもので、
「一回ではだめですよ。」と答えるそうです。(噂話では)

神社の手前には、沢山の絵馬が、
願いを込めて掛けられています。

以前は願い事が赤裸々に描かれていました。
およそ女性からのほうが多かった記憶です。

「どうぞ○○男と縁が切れますように!」

のような絵馬が多かったですね。
ところが最近は、
記入したところを目隠ししてあるのです。

個人情報が漏れるのを防ぐためです。





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トイレと洗面化粧台のリフォーム

2024年01月16日 05時13分31秒 | 日記
1/10 トイレと洗面化粧台のリフォームをした。

ボク自身は何も不自由には思わないが、
カミさんが腰と足に力が入らないのと、
便座の位置が低いので、
立ち上がるのが困難だという。

便座を高くして、
立ち上がるのに手すりが必要になった。

便器と洗面化粧台を交換することにした。
我が家のトイレには、
電球で明かりをつける以外の電源がなく、
ボクが欲しいウオシュレットが付かない。

まず電源を引くこと、
二つ目に立ち上がるのに手すりを付けること、
便器そのもの坐位が高いこと、
が条件でトイレの便器交換となった。


新しくなったトイレと洗面化粧台の写真。

1.洗面化粧台。


2.トイレと手すり。

40年使ってきたトイレの坐位より位置が高い、
それと立ち上がるのに掴まる手すりが付いた。

座った場所が暖かい、
お尻を洗う水洗(温水の)もできる。

願ったり叶ったりだ。

昨年中に付け替える予定だったが、

申し込むのが遅かったせいで、
1月になってしまったが、
これは春から気持ち良いトイレとなった。


二度とこない今日と言う日が、

豊かで幸せでありますように



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