楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

河津桜を見に

2019年02月24日 14時00分17秒 | 日記
板橋区にある一本の河津桜がある場所を知って居り、

早春に咲くこの桜の開花が楽しみで、毎年訪れています。


所がその木がある場所は、我が家から歩いて3km程あります。

年齢と共に、この距離がだんだん遠くなって居るのです。

昨日、どんな具合かと、この河津桜の木を見に行きました。


都立浮間公園を抜けて、舟渡町の氷川神社別名「十度の宮」へ行くとその隣に、

この河津桜の木はあります。

(都立 浮間公園)


浮間公園は中心に池があるのですが、

この池の中心で板橋区舟渡と北区浮間の区境になって居ります。

少し見難いのですが、下の写真の(現在地)のところが池の区境。

(区境を示した地図)


どうして池で区境になって居るかと言うと、

もともとこの池は荒川をせき止めてできた池だからです。

(点線の部分が元の荒川の流れ)


元の荒川はこんなに曲がって居たために、

洪水が絶えず、治水してこれを現在の流れに変えました。

(池端に羽根休めするカモメ)


この池の南にJR埼京線の駅があるのですが、

この駅は北区と板橋区の境にあることから、双方の町の名前を採って、

「浮間舟渡駅」と名付けられています。

この駅と池の間に、梅の花が紅白で咲いて居ました。

(梅の花)


この先にソメイヨシノの並木があり、桜の時期には沢山の家族連れで賑ぎ会います。

その間を抜けて西門からさらに西に向かった所に、

サクラとしては春一番に咲く河津サクラの木があります。

(蕾の河津サクラ)


河津町のサクラはほぼ満開でTVで放映されていますが、

東京ではまだ寒いことから、

河津サクラの木は花芽がずいぶん大きくなってはいますが、

まだ咲いては居ませんでした。

(開花して居る三輪の河津サクラ)


それでも日当たりのよい所に三輪ばかり咲いて居るのを発見、

もし気象庁の方がいらっしゃれば、開花宣言をするところです。

開花宣言をして一週間すれば満開となるでしょうから、

来週の今日には、満開になると思われます。

 ――乞うご期待!――


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ゾーン30

2019年02月14日 04時55分41秒 | 日記
この間、「ゾーン30」を道路に、デカデカと書いて居た。

(ゾーン30の道路文字)


通りかかって、さて何の事だろう、と首をかしげた。

翌日、被せてあった案内標識が取り外されていたので見ると、

どうやら(スクール・ゾーン)と言うことが解った。

この道路の突き当りには、小学校がある。

(スクール・ゾーンの案内標識)


その翌日、違う道を歩いたら、真新しい標識で、

「制限速度30km」が建ててあった。

どうやら「30」は制限速度の事で、

小学校を取り巻く道路の入り口に

「ゾーン30」の標識を取り付けたようだ。

つまり、ここ一帯は学校ゾーンで制限速度は30kmと言うことのようだ。

(制限速度30kmの標識)


時々、猛スピードで通り抜ける車やバイクがあるが、

通学路だから、制限速度を守ってもらいたいものだ。

また、「ゾーン30」の標識も良いが、

時間制限が7:30~8:30になって居るが、

考えたら、子供たちは朝は隊列をなして、

地域単位で登校しているからまだ安全であるが、

帰宅時間は学年によってまちまちであるため、

三々五々、まとまってではなくばらばらに帰って行く。

子供たちはふざけながら道路いっぱいに、

時には駆けっこをしながら帰る姿を見る。


朝の整然とした登校時間の制限時間より、

バラバラに帰る午後の方が危険は多いように思われる。

制限時間など撤廃して、

時間制限なしにした「ゾーン30」にして貰いたいものである。



話変わって、

自分の免許証の返納手続きに最寄り警察署に行った。

高齢者の免許証返納は大歓迎らしく丁重に応対してくれた。

おまけにお土産まで頂いた。

伸縮用の靴ベラだった。

(その靴ベラ1)


(その靴ベラ2)
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東京に珍しい雪

2019年02月12日 04時11分23秒 | 日記
2月10日未明にかけて、東京に雪が降り積もった。

瓦屋根が白くなり、日陰の道路は珍しく白くなった。

公園の芝生に降った雪は芝生の葉に積もったせいで、

白く残った雪で子供たちが雪合戦をしたり、

僅かに降り積もった雪で、

雪だるまを作って遊ぶ姿が楽しそうであった。

(うっすらと積もった芝生の雪景色)


(子供が作った雪だるま?)


こんな光景を見て思い出すことがある。

静岡で22歳まで育った青年が、

東京に積もった雪を見て、

手で雪をすくい「これが雪かぁ~」とまじまじと眺める姿である。

静岡は位置や地形上雪が降り積もらない場所だと言うことを、

この時知った次第である。
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カプリ島とポンペイの遺跡(南イタリア紀行 最終章)

2019年02月09日 04時58分27秒 | 海外旅行 イタリア紀行
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(カプリ島1)

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(カプリ島2)

(カプリ島とポンペイの遺跡)
カプリ島もシチリアと同じでリゾートとして名高い。
中でも世界の話題になるのが、青の洞窟。入り口が狭く天候が悪く波立つと
中へ入れない。洞窟の中へは小さな船ではいるのだ。
中へ入れないときは仕方ないとしても、入った後で波立ち、
出るに出られなくなるということはないのだろうか?
出口を舟で洞窟の外へ出ることができなくなり、舟から飛び込んで一人ずつ
洞窟の入り口をくぐって外に出るなんてことはないのだろうか?
閉所恐怖症で水泳が全くダメの金槌のボクは、舟に乗るのさえ怖いのに、
洞窟に閉じ込められるなんて、気が狂ってしまう。
第一、海の中の洞窟でなくても、陸上の洞窟さえ恐怖感があり、
ガイドさんのすぐ後ろに陣取って、いの一番に逃げ出せる体制でないと
洞窟にさえ入らないボクである。

しかし、ボクたちが訪ねた日は、幸いというか残念ながらといおうか、
雨が降り波立っていたので、青の洞窟は中止になった。
ほかのツアー客には言えないが、心の中で「バンザーイ」を三唱した。

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(ポンペイから見たベスピオ山)

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(ポンペイの遺跡)

紀元79年に起きたベスビオ山の大噴火によって、火山灰が6メートルも
降り積もり、ポンペイの街は埋れ、家畜や人達は、逃げる途中に
死んでいったとされる。
三日間の噴火が、大量の火山灰を、雪が積もるように積もらせたと言う。

熱い灰の中に閉じ込められた人達は灰の中で燃え、灰の中に骨だけが残った。
熱で分解して無くなった肉体の跡が灰の中に残り、空洞が出来、後世の人が、
その地中の空洞に石膏を流し込み当時の人、物、家畜を再現しながら発掘は行われた。
火山の噴火による犠牲者達の石膏像が展示されている。
子供を抱えたままかがんでいる婦人、ほとんどの人が上から降り積もる灰を
避けた形でうつ伏せになっている。
口をあいて苦しみにゆがんだ顔の人、一方で服装から奴隷と思われる人の像、
ロダンの「考える人」よろしくうずくまっている人、などなど。

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(人)

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(考える人?)

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(うつぶせの人)

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(苦悩の顔)

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(苦しみを感じる顔)

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(腹の帯が奴隷を現す)

建造物では
・ 水道跡
・ 浴場あと
・ 売春やどの跡
・ 道路の飛び石
・ 夜間の誘導用の白大理石の埋め込み
・ パン屋の粉挽き臼や、かまど跡 etc.
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(道路の白い大理石は夜の道路の目印)

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(飛び石、雨の日の水を避けた)

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(彫刻1)

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(彫刻2)

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(パン屋の挽き臼)

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(壁の彫像1)

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(壁の彫像2)

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(売春やどの壁画、以前は観覧できたが今は観ることが出来ない。ポンペイの雑誌より)

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(壁画2何の絵か想像してください)

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(壁画3)

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(壁画4)

壁に描かれたモザイクやフレスコ画、沢山の彫刻、
観るものは沢山あり、詳しい説明を受けながらの見学は二~三日掛かりそうだ。

今回で二回目のポンペイ見学は、10年前と違って驚いたり感動したり
ということは無く、比較的落ち着いて、冷静に見学できた。

日本で言えば、原爆投下跡の焼け野原、そこにうずくまる人の姿、
御影石に残された人の影などを思い出させる。もし地獄絵があれば、
これこそ地獄絵、を思い出させるポンペイの遺跡の数々である。

自然災害は止むを得ないが、それでも予防する手立てを考え、
被害を最小限にとどめようとする人類の英知は歓迎するが、
原爆などの人的災害は二度とあってはならない。

宗教の違いか、民族を、国を、守るためか、はたまた一握りの個人の
身を守るためなのか良く解らないが、核を保有し、いつかこれを利用して
殺しあう事態にならないよう、お互い気をつけなければならない。
また、国を指導する人が、自らの利権を守るために、国民を煽って
間違った方向に導こうとするのを手を拱いて見ていてはならない。
断固、阻止しなければならない。

人はいつも誰もが平和を願っているのであり、その平和を勝ち取るために、
命を投げ出し、殺しあう戦争に突入するのは間違っていることを
みんなで自覚すべきである。

ポンペイの苦悩を表す石膏像を見て、平和の尊さを知りたいものです。

そんなことを考えながら、南イタリアの旅を終えました。

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ウナギ料理

2019年02月06日 04時28分54秒 | ひとり歩き旅
近所にウナギ料理屋さんがある。

近くに荒川があるからか、繁盛しているのであろう、

店先にウナギの供養塔が置かれている。

(ウナギの供養塔があるウナギ料理店)


以前、昔荒川で、今新河岸川として、

東京水辺ラインが、板橋区小豆沢水上バス乗り場からお台場まで、

王子ー両国を経由して、また途中から新河岸川は隅田川と名を変えて、

東京湾に流れている。

その川でカワウが、ひっきりなしに川にもぐり、餌の魚を取る姿が見える。

ある時、そのカワウがベルトのようなものをくわえているのを発見。

よく見るとウナギであった。

どのようにして食べるのかと、しばらく様子を見ていると、

やおら、ベルト用のウナギを空中に投げて、落ちて来るところを、

頭から飲み込んでしまった。

ウナギは生命力が強いから、カワウの胃から口元まで、

細長い首がうねって居るのを見たことがある。

荒川には結構大きなウナギがいるのに気が付いた。



そんなことで、昔は荒川のウナギを料理して、

お客さんに提供して居たものと思われる。

そこで沢山のウナギを供養する意味で建立したのであろう、

立派な供養塔であった。

(ウナギの供養塔)


その供養塔に赤い花が手向けてあったのは、

料理人のご主人の心遣いであろうか・・・・。
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