楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生  ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」 山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

ワルシャワ(ポーランドを旅して 2)

2009年09月26日 08時55分00秒 | つれづれなるままに考えること
写真付をご覧になる方は、下記URLをクリックしてお進みください。

URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2009/09/post_9263.html


(アウシュビッツ1)
ポーランドからチェコ、スロバキア、ハンガリーと約二週間の旅をして、
印象に残ったのは、ポーランドのワルシャワの街並み、
それにショパンの曲とアウシュビッツ。
映画「戦場のピアニスト」に出てくる廃墟のシーンは、
第二次世界大戦で、全くの廃墟となったワルシャワそのもの。
しかし、その廃墟を全く同じ街に復元したのがワルシャワっ子の心意気という。
旧市街のスタレ・ミャストの美しい町並みが続く。

国土は日本の五分の四の広さに、約4000万人が居住する農業国。
従って、観光するには、広々とした田園風景の丘陵地帯が延々と続く中を、
バスで走っていく。
ツアー人数は14名。大型50人乗りのバスに、ゆったり座り観光を続ける。

美しいショパンのピアノ曲に魅せられ訪れることになったポーランド。
ワルシャワからバスに揺られて一時間。
その田園風景の中をショパンの故郷ジェラゾーバ・ポーラへ。
ショパンの生家でショパンの曲のミニコンサートを楽しむために出かけた。

ショパンの生家は、広大な森のある庭の中に、こじんまりとたたずんでいた。
生家の中を案内される。
食堂が、居間だ、客間だ、ピアノを練習した部屋だ、と。
家の中から外を見ると、朝日を通して黄葉が美しい。
栗のような形のブローニュの実が、落ち葉の上に落ちてくる音だけが響く静けさ。

ショパンの曲のミニコンサートが始まる。
ピアノ奏者は、アンナ・ヤストルジェブスカーキンさん。
第一回ショパン国際ピアノコンクールの優勝者。
今はワルシャワのショパン音楽アカデミーでピアノを教えている。
かなり年配の女性が美しいショパンの曲を7曲弾いてくれた。
音痴の私の心にも、これらの曲は十分快く響いた。

こうして一日は終わった。
二日目もクラクフの旧市街地を観光し、
古き良き市街地―世界遺産―を観て回った。

翌日、ヴェリチカの地下岩塩坑見学の後、ポーランド語で
オシフィエンチム、ドイツ語でアウシュビッツに出かけた。

アウシュビッツ強制収容所は、
現在「負の世界遺産」「アウシュビッツ博物館」として残っている。

アウシュビッツを見学して、印象が強烈過ぎて、頭が混乱し、
チェコも、スロバキアも、ハンガリーも何を観てきたか、
何も残っていません。

まず、アウシュビッツのガイドは、中谷 剛さん。ポーランド語を勉強し、
ポーランド語でポーランドのガイド試験に合格した、
アウシュビッツで唯一の日本人ガイド。
日本の総理大臣にも、議員さんにも、われわれ観光客にも、
「私は同じ説明をします」と言う。

とつとつと話す内容は、詳しい勉強の痕(あと)を物語っている。
戦争とは?人間とは?生きるとは?
問題を投げかける説明をする。

虐殺された数150万人。遺品をリサイクルするため、
品物ごとに展示してある。
ドイツ・ナチスが敗戦と共に、証拠隠滅を図ったが、
それでも残った膨大な展示物の数々...

髪の毛、義足など、子供の靴、女性の靴、男性の靴、
未知の土地に希望を託して、持ち込んだ全財産を入れた鞄、鞄、鞄、...

時間の経過と共に風化して触れば粉になるのではないか、と言われる
その展示物を今後どのように保存するか...
問題は山積する。

ポーランド人をはじめユダヤ人が強制収用されてやってきたが、
その人達が薄々には、感じていたと思われる処刑への旅。

列車から降りると、軍医が収容者の顔色を見て、
強制労働に耐えうるかどうかを決め、右左(みぎ、ひだり)に人を振り分ける。
右へ行けば過酷な強制労働が待っており、
左に行けば、ガス室での虐殺が待っている。    

つづく
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草加の千本松原(芭蕉の道を歩く 12)

2009年09月18日 08時35分00秒 | つれづれなるままに考えること
草加八景の一つ「草加松原」は、下記URLをクリックしてご覧ください。

URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2009/09/post_5193.html

(草加松原)
草加松原といえば、ボクの脳裏をよぎるのは、
住宅公団が作った大規模団地である。
竣工当時東京のベッドタウンとしての役割を果たした
東洋一のマンモス団地であった。
総戸数5926戸。
東武伊勢崎線の駅名は「松原団地」駅。

脱線したが、芭蕉は弟子の曾良と千住宿を過ぎて、
「その日ようやく早加(草加)という宿へつけり」と奥の細道に書いている。
その草加に千本松原がある。

左手の国道49号線に平行して旧街道があり、
右手には綾瀬川が水をたたえ流れている。
街道の両側に大小の松の木が植えられ、
道路わきにはつつじなど低木が花を咲かせていた。

その松並木の中にひときわ高く望楼が見える場所が「札場河岸公園」(*)で、
公園に入るとすぐ芭蕉像があり「札場河岸公園」の入り口に当たる。
道路の先を見ると道が一本、長く続き、右手の綾瀬川の向こうは広場で、
大人も子供も一緒になってボール遊びなどしている。

(*)札場(ふだば)河岸
綾瀬川を利用した舟運に使われていた私(わたくし)河岸。
所有していた家が高札の立った場所にあり
屋号が「札場」であったことからそう呼ばれています。
(草加市)

今も昔も同じ景観なのかどうか良く判らないが、
とてもよく手入れされた街道である。
ガイドブックを見ると、前回述べた「東福寺」と共に、
この草加松原は「草加八景」の一つに数えられており、
「日本の道100選日光街道」の大きい顕彰碑も見える。

すぐ近くには、高浜虚子の句碑がある。

・順礼(巡礼)や 草加あたりを 帰る雁  (高浜虚子)

散歩を楽しむ人たちが歩き、遊歩道には矢立橋、
続いて百代橋が太鼓橋で造られており、歩道橋の役目をしている。
進むと松尾芭蕉文学顕彰碑があり、
ここには西村本「おくのほそ道」として、次のように刻まれている。

「ことし 元禄二とせにや 奥羽長途の行脚 
只(ただ)かりそめに思い立ちて
呉天に白髪の恨みを重ねぬといへ共 ――中略――
さすがに打ち捨てがたくて
路地の煩となるこそ わりなけれ」と。

その先に水原秋桜子の句碑、

・草紅葉 草加煎餅を 干しにけり  (水原秋桜子)があり、

その先に松原北端の碑で、1500メートル続く松並木の街道は終わる。
とても歩きよく、美しい手入れされた道で、
さすが「日光街道百選」に選ばれる道と思った。

ボクの一句、

・水恋し 陽射しの中に 子らの声  (hide-bach

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東福寺(芭蕉の道を歩く 11)

2009年09月11日 10時17分00秒 | つれづれなるままに考えること
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URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2009/09/post_583e.html

(東福寺)
元祖のせんべい屋さんを後にして、
旧日光街道を進むと左手に東福寺の石柱があり、
奥に山門が見える。

東福寺については、
(東福寺は、草加宿の祖・大川図書が創建した寺です。
正式には「松寿山不動院東福寺」と言います。 
1606年(慶長11)に大川図書によって創建され、
僧 賢宥(けんう)開山したといわれています。
本堂は明治年間に藁葺から瓦葺になり、
1993(平成5)には大規模改修が行われました。 
境内の墓地には大川図書の墓があります。
山門、本堂外陣欄間、鐘楼は市指定文化財で、
草加八景の一つでもあります。)(草加市役所)と説明がある。 
なお、大川図書については(芭蕉の道を歩く 9)の末尾をご覧願います。

指定文化財になっている、山門、鐘楼、本堂の欄間の一つ一つ時代を感じさせる。
また、本堂の屋根瓦が二個飾ってあったが、目を見張るような立派な鬼瓦であった。

さらに、鐘楼と本堂との間に「三鈷の松(さんこのまつ)」と称する松があるが、
普通松の葉は二葉が普通であるのに、この松は三つ葉であり、
ボクは始めて見る。

説明によれば、
(この松はお大師様が、真言宗が広まることを祈って、
中国より三鈷を投げたところ高野山の三つ葉の松にかかり、
以来この松を「三鈷の松」という。
なお、この落ち葉はお守りとして免許証入れやお財布に入れます。――後略)

つまり四葉のクローバーと同じで、
幸運がもたらされる縁起の良い葉とされているようです。
一つ拾って持ち帰りカミサンプレゼントしたが、
その後良いことがあったかどうかは聞いていない。

東福寺を出て、街道を進むと左に「神明神社」があり、
これは正徳三年(1713)草加宿の総鎮守となった。
以後毎月五、十の日に市が生まれ、
大変な賑わいを見せたという。天照大神を祭った神社である。

その先の信号で道路は左に折れ、県道49号線に合流するが、
信号の手前左右に記念碑がある。

左側が「おせん公園」、右側に「曾良の銅像」が見える。
「曾良の銅像」の後ろに
(曾良(そら)は河合氏(かはいうじ)にして惣五郎(そうごろう)と云(い)ヘり。
このたび松しま・象潟(きさがた)の眺(ながめ)共にせん事を悦(よろこ)び、
且(かつ)は羈旅(きりょ)の難をいたはらんと・・・ 
松尾芭蕉「おくのほそ道」より松本 孝書)と銅版に刻んである。
芭蕉と奥の細道を一緒に歩いた弟子の曾良。
その曾良の同行旅日記も読んでみたい貴重な書物である。

信号を渡り左折し、伝右川の橋を渡ると、
右側が望楼の見える「札場河岸公園」があり、
松尾芭蕉翁の銅像が見える。

ボクの一句、

・そら(曾良)芭蕉 煎餅楽しむ 草加かな  (hide-bach)



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