楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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     ・おくのほそ道を歩く

一人前の高校生

2023年09月30日 04時23分51秒 | つれづれなるままに考えること
中学までの勉強と、
高1の現時点までの勉強は、
夏休みに入る前に終わりました。
中学は卒業です。

高等学校の勉強は、すべて予習をしました。
そして学校での授業の時は復讐で、
先生の説明が、
自分が理解した内容と違っている場合は、
手を挙げて質問して考えを正しました。

夏休みに入って、
サッカーの合宿以外は、やることがありません。
そこで高1の教科書をどんどん理解に努めました。
やっている内に、次から次へと知りたいことが増えて、
次の章、次の章へと進んで行きます。
夏休みの終わりころには、
高1が卒業できてしまいました。

そこでサッカー部の先輩に頼んで、
高2の教科書を頂いて、
高2の授業を独習し始めました。
新しいことが次から次へと出てきて、
止められません。

そうこうしている内に秋になって、
一斉の実力テストが行われました。
テストは五教科です。

ボクは高1だから3分の1出来れば上等などと、
友達同士で話し合っていました。
確かに共通試験は難しかったと記憶しております。
男子部、女子部、その高1~高3まで同じ問題で、
成績結果の優秀な生徒30人が、
掲示板に張り出されるのが恒例になって居りました。

ボクはこの時、先輩から頂いた高2の教科書を
半分ほど理解していました。
つまり頭の中は高2の
2学期の中間の状態でした。

この実力テストは25番目に自分の名前が、
掲示板にありました。
いつもクラスで一番の**君の名前はありません。

自慢話は今回で終わりにしましょう。

話変わって、
中間テストや期末テストは、
成績順に答案用紙が返される仕組みになっていました。
高1の一学期の中間テストの時、
数学の答案用紙が二人目に返されました。
一番はいつもの**君、
次がなんとボクでした。

答案を返しながら先生は、
「放課後職員室へ来てください」
と小声で私に言われました。

この数学の先生がクラスの担任教師だったのです。
何だろうと、恐る恐る職員室へ先生を訪ねると、
「君、試験のカンニングしただろう?」
今まで僕はいつもビリで答案を返してもらっていたのです。
それが二番めにテスト結果だったことに
不信を抱いたに違いないのです。
だから先生はカンニングしたと思ったのです。

一番の**君はクラスでぼくと同じ列の
一番後ろに座っています。
ボクはその列の一番前に座っています。
「今までの成績が悪かったので、
先生がそう感じられるのは当然です。
席のある場所から考えても**君から、
回答を盗み取ることはできません。
ほかの学科の成績も見てもらいたいです。
ぼくはこの春休みの間に、
ずいぶん勉強したつもりです。」

先生は頷いて、この場は終わりました。

期末テストの時期がやってきて、
やはり数学の担任教師は、
二番目に答案用紙をボクに渡しました。

その時、
「よく頑張ったね、高等学校を卒業するまで、
この成績を続けるように、
この間(あいだ)の事は先生の間違いだったよ!」
と言いました。

その時のうれしかった気持ちを、
生涯忘れることはできません。

「為せば成る」なんて言葉は、
こんな時を指すのですね。


新型コロナ以降、家に籠って、
話題が少なくなりました。

今日という日が素晴らしい日に、
なりますことを祈っています。







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知らなかったことを知ること

2023年09月28日 04時15分16秒 | つれづれなるままに考えること
知らなかったことさえ知らなかったことを、
知ること、
それが勉強!

勉強なんて難しいことを言うから、
嫌になり、やり方を覚えたらッて、
言っても覚えようとしないのです。

知りたいこと、
例えばゲームの遊び方、
教えられたら一度で覚えますーーこれが勉強なんです。
そして一生忘れません。

トランプのカードの「ババ抜き」「七並べ」
1回やり方を教わったら、覚えて忘れません。

知らないことを知るのが勉強ですから、
知りたいと自分に思い込ませれば、
良いのです。

ボクは中学三年を卒業して、
母に諭されて考えたことは、

「あなたより成績の悪かった子は
落第して中学を卒業できなかった。」

高校で、そうならない為に、
一から勉強をし直そう。

小学校で覚えなければならなかったことを、
小学校で教わるべきことが何だったのかを、
それを知りたい!

小3の教科書から、読むことにしたのです。
算数の分数、少数点、加減乗除、

ふ~ん分数というのは、
分母の数字で割った数のことだったのか、

国語の漢字の書き取り、
知らなければならない漢字、言葉の意味、
いとこというのは、おじおばの子供のことだとか、

鎌倉時代から現代にいたる歴史、
義経はどうして頼朝に迎えられなかったのかとか、

日本の都道府県や主要都市などの地理、
理科、化学などなど・・・
知らない事が一杯在りました。

高等学校で落第しない為に、
卒業したら先生になるために、
知らなかったこと、
知らなければならないこと、
沢山ありました。

高1に入る3月の休みの間に、
小学校の勉強は卒業をしようと思いました。
朝6時起床、朝食後机に向かって、
翌朝の3時、就寝の毎日でした。
こんなに勉強したのも、後で役立ちました。

それでも3月中には
小学校で知らなければならないことを、
殆ど勉強し、
自分では小学校を卒業できたと思っています。

4月に入って、高1の授業が始まります。
すべて翌日の授業の予習をして置き、
学校での授業は復習で、予習の時覚えた内容が、
当日、先生の説明と違った場合、
手を挙げて質問、覚えた内容を訂正しました。

同時に中1からの教科書を読み始め、
理解に努めました。
中学の基礎知識がなければ、
高1の授業が分からないのです。
高1の授業の予習をする時、わからないことが出てきます、
その時は中学の教科書を手あたり次第読んで、
高1の授業を予習します。

そんなことをしているから、
時間が足りませんが、
毎夜、明け方の3時には寝ることにしていました。

高1の時は同時に中学生でした。

何と言っても知りたいことだらけですので、
一度読んで理解したら生涯忘れることはありません。
将棋がやりたくて、
駒の動き方を覚えるのによく似ています。

理科でも数学でも英語でも、
知りたいと思って読んでいるのですから、
全部、正しく覚えてしまうのです。
むさぼるように読みました。

起床は6時、朝食後登校していました。
当時、サッカー部に所属していたので、
日が暮れてから家に帰り、夕食後20時ころから、
高1の予習をする。

それから自分で区切りをつけた、
中学校の教科書を納得するまで読み進める。
それが毎朝3時まで掛かりました。

でも土曜日だけは、夕食後に就寝、
翌朝まで18時間、寝だめしていました。

よく寝ました。
高1の時に間違って寝小便をしてしまいました。
夢の中でトイレに行き堂々と小便をしました。
すると腰の周りがだんだん暖かくなってきて、
夢であることを知りました。

起きたら布団一面の小便の海で、
母に手伝ってもらい布団の両端をもって、
小便を裏庭に捨てたことを思い出だします。

でも中学は、夏休み前に、
卒業できたと自分では思っています。
これでやっと一人前の高1の生徒です。




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我が人生ーLife is but an empty dream.

2023年09月26日 05時13分35秒 | つれづれなるままに考えること
ボクの声変りが始まり、多感な年頃の15歳、
中学を卒業して高校に入る直前の3月に、
可愛がっていた末の弟を失った。

ボクの保護者(母)が、この3月の間に、
ボクが通って居た中学校に呼びだされて、
先生から、
「今のままでは、高等学校を卒業できるかどうか、
解りません。お宅の息子さんより、
成績が悪かった二人が落第しました。」
と告げられていた。

家に帰った母から次の様に訓示を受けた。
「あなたは、将来、学校の先生になるのじゃなかったのですか?
高等学校に進学しても、卒業できないかも知れないと、
今日、先生に言われてきました。
どうなんですか?」

ボクは返事が出来なかった。
小学校は戦争中で、小2から疎開して、
さつま芋つくりは覚えたが、勉強なんかした覚えもない。
第一、戦争で先生は居なくて、代用教員だった。
女学校を卒業していれば先生になれた時代だ。

戦争が終わって、疎開先から実家に帰ると、
食糧難で、小学校の校庭を耕し芋畑にして飢えを凌いだ。
疎開先で覚えた芋つくり畑つくりには、
大いに役立ったと覚えている。

小6の3月の卒業をまじかに控えて、
最後の授業で算数の分数を習って居た。
今では小3で習う分数だ。

先生が
「二分の一足す三分の一はいくつですか?」質問した。
殆どの生徒が手を上げた。
一人の生徒が答えて、
「五分の二です」
先生「合って居ると思う人」
生徒の殆どが手を上げた。

「違うと思う人?」
二人ほど手を上げた。そして答えた。

生徒1「ハイ!六分の五です」
先生「正しいと思う人?」

二人か三人の生徒が手を挙げた。

先生「これが正しいです。」

そう言ってから、少しの間があって、
先生は教壇でメガネの奥から大粒の涙を落とすと、
(この子たちは大きくなってから、どうなるのだろう・・)
とつぶやいた。

ボクは背が低かったので、
一番前の席にいてそれを眺めていた。
そして小学校を卒業した。
この時、ボクはこの先生に感動して、
(大きくなったら、こんな生徒思いの先生になろう)と、
この時決めた。

弟を亡くしたのは、
母からこんこんと諭された後であった。

弟はこの時6歳で、小学校に上がる寸前であった。
高熱を出して、「赤いウンコが出るの」と言って、
田舎の叔母に連れられて家に帰ってきた。

第二次世界大戦が終って六年目で、
日本はまだ食料事情が厳しかった。
そこで食べるのには困らない農家、
母の実家ー母の妹の家に、
弟は預けられていたのだ。

母は弟が一年生になる時のために、
なけなしのお金をはたいて、
ランドセルと白いシャツ、
紺色の上下服を用意していた。

田舎の農家から帰ってきた弟に、
母が洋服を着せ、ランドセルを背負わせて、
「これで一年生ね」と言った時、
弟の寂しそうな笑顔を、
今でも忘れることが出来ない。

弟は「うん」と言った後、
ランドセルを背負ったまま母の膝に倒れ込んだ。
母はこの時初めて弟の高熱を知った。

医者が呼ばれ、
弟は意識もなく寝かされていたが、
医者は「赤痢です。今夜一晩もつかどうか・・・」
の診断であった。

その夜、医師や両親、姉やボクに見守られて弟は他界した。


人の命の、あまりにもあっけないのをひしひしと感じた。
何をしても、何時か解らないが、
人は死んで行く。

ならば、何も好んで長く生きて
父母のように嘆き悲しむような体験をする必要はない。
まして自分の置かれた今の立場、
高等学校へ進学しても、卒業も危うい。
先生にもなれるかどうか・・・・。
こんな状況で、生きて居ても仕方がないではないか・・・

人は何時か死んで行く、
何時か解らない時では無く、
今、死んでしまえば、
こんな幸せなことはないに違いない。
そう考えて 父が持って居た和剃刀を、
手首に血の滴るほど強く当てた。
この剃刀を、手前に引けば死ねる状態で、
夕闇の中でいろいろ考えた。

これが我が人生の最大の分岐点だったでしょう。

次の高等学校で劇的な進化があり、
さらに大学での変化に依り、今があり、

そして「楽しんでこそ人生」のブログがある。

表題の
Life is but an empty dream.

直訳すると、
「人の一生は空っぽの夢のようなもの」

本当はそんなこと判りきった上で、
生きる道を見出すのが、
人間本来の姿であるとボクは思う。
 
意訳すると、
「道を行い父母の名を世に挙げる人生」

それこそ
「楽しんでこそ人生」
でしょうね。

爆笑!爆笑!!爆笑!!!


今日と言う日が、
穏やかで楽しい一日となりますように、
お祈りして居ります。




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お彼岸団子ーあんころ餅

2023年09月23日 05時41分02秒 | 日記
お彼岸に作るあんころ餅の事を、

「おはぎ」という。

それは、秋のお彼岸(9/23)の頃には、

萩の花が咲くからだそうです。

なるほどと納得!

春のお彼岸のあんころ餅は、
文字を見て、もうお分かりですね、

そうです!

牡丹餅!(ぼた餅)
牡丹が咲く頃だからです。

その萩の花があっちこっちに咲いている。





「ふるさと農家体験館」の前にあった萩の花。


一部拡大して撮った写真。

やっと萩の花に見えますね。



柳の弦のように伸びる萩は、
「宮城野萩」(ミヤギノハギ)と言います。




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ヒガンバナ 2

2023年09月20日 05時00分29秒 | 日記
彼岸花が花芽を出したと報告をした。

その翌日には、1輪咲いていた。


この一輪が咲くということは、
昨年咲いたところにも咲いている違いないと、
足を延ばしたら、

あった!!

一杯咲いている。


これでは、ひょっとして、色違いも咲いているかも・・・


しかし黄色のヒガンバナは咲いていないどころか、

花芽も伸びていませんでした。


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