大学病院で案内のボランティアを始めてもう1年になる。
その昔、血液のガンにかかり、7か月入院。
治療を始める前に、家族全員を読んで下さいと言うので、
結婚して独立している息子と娘、カミさんとボクの四人と、
内科の血液科の教授、助手、研修医2名の四人がテーブルを挟んで席に着いた。
研修医の一人が病状と治療方法を説明。
(悪性リンパ腫で「三年間生存率 30%」のステージ4、
五日後から抗がん剤治療を始めます。
その間に身辺整理と心の整理をして置いて下さい。)
という。
どうして解ったのか、抗がん剤以外に治療方法はないのか、
抗がん剤治療は大変苦しいと言うから、治療しない場合はどうか、
など質問していった。
左右の肋骨の蝶番に当たる骨の部分から、骨髄をを採取されていたので、
およその覚悟はしていたボクの質問だけであった。
家族はガンと聞いただけで、その衝撃で誰も口を利く、
つまり質問することさえ出来なかった。
忘れもしない、今から17年前の5月の終わりごろの話。
その病院で拾った命、お世話になったので恩返しに、
何かできないかと始めたボランティア。
病院は広く、出入り口も多く、入って来た場所すら解らなくなってしまうほどだ。
その昔、血液のガンにかかり、7か月入院。
治療を始める前に、家族全員を読んで下さいと言うので、
結婚して独立している息子と娘、カミさんとボクの四人と、
内科の血液科の教授、助手、研修医2名の四人がテーブルを挟んで席に着いた。
研修医の一人が病状と治療方法を説明。
(悪性リンパ腫で「三年間生存率 30%」のステージ4、
五日後から抗がん剤治療を始めます。
その間に身辺整理と心の整理をして置いて下さい。)
という。
どうして解ったのか、抗がん剤以外に治療方法はないのか、
抗がん剤治療は大変苦しいと言うから、治療しない場合はどうか、
など質問していった。
左右の肋骨の蝶番に当たる骨の部分から、骨髄をを採取されていたので、
およその覚悟はしていたボクの質問だけであった。
家族はガンと聞いただけで、その衝撃で誰も口を利く、
つまり質問することさえ出来なかった。
忘れもしない、今から17年前の5月の終わりごろの話。
その病院で拾った命、お世話になったので恩返しに、
何かできないかと始めたボランティア。
病院は広く、出入り口も多く、入って来た場所すら解らなくなってしまうほどだ。