楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

今年最後の一善!(言うは易し、行なうは難し)

2003年12月31日 09時40分00秒 | つれづれなるままに考えること
(一日一善!)
クリスマス・ディナーの案内が、懇意にしているレストランから来ていた。
いつものように繁盛しているそのお店は、
クリスマス・イヴに、夕食の予約の電話を入れたときは、
すでに満席で、またの機会にと諦めた。

しかし、案内状に入っていた500円のサービス券は、
12月最終日まで利用可能になっていたので、
12月30日のあわただしい中、
カミさんの慰労をかねて、食事に行った。
会計を済ませるに当たって、500円のサービス券を利用したのは、言うまでも無い。

年末セールのスーパーマーケットでも恒例の福引があり、
はずれは、500円の買い物券である。
こんなサービスを利用して、サービスを受けた分を、
今年一年間まとめたら12500円になった。

ガン治療で命を拾って退院した一年後から、感謝の気持ちを込めて、
このお金をユニセフへ寄付することにした。
結婚してから買い物をするに当たって、一割以上安く買い、
安くなった分を老後のために貯金をしてきた。
サラリーマンの生涯収入は、約三億円といわれるが、
こうしたお金が積もり積もって12%の貯金が出来た。
退職金を含め、経済的には豊かな老後を迎えることが出来た。

年金生活に入ってからは、老後に向けて蓄える必要も無くなったが、
図らずも病を得て、もっと苦しむ人に気がついた。

そこで、こうしたサービスで得たお金を寄付することに決めた。
昨年の暮れから始めたことだ。
さて、この寄付金は、申告すれば所得税から控除されて、
キャッシュバックされる。
実際には、払うべき税金から寄付しているようなものだ。

ただし、最初の一万円は控除されない。
具体的にいうと、年間二万円寄付した人は、一万円が所得税控除の対象になる。
気をつけなければならないのが、
寄付しても控除にならない寄付がある。
例えば学校への寄付とかは、
控除できないものもあるから要注意だ。

今年最後の一善が、なんだか持てるものがその優越感を満たすために行った、
慈善行為のようで気が引けるが、
この一善で何人かの命が救われるのであれば、本望この上も無い。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せの感じ方

2003年12月30日 09時30分00秒 | つれづれなるままに考えること
(幸せの感じ方)
数日前、ラジオで国連難民高等弁務官、緒方貞子さんの講演を聞いた。
二時間に渡る講演で、四谷の上智大学聖イグナチオ教会で、
約二千人を集めて行われたものを収録したものが放送された。
終わりに次のように話されたのを聞いて、ハッとした。

「人道支援として、自衛隊が派遣されます。
世界の国々から、難民救済の申し出は、すぐ来ます。
飢餓で何人も死んでいく。
水道が無く汚れた水を飲んで、疫病が蔓延し死亡者が数多くでる。
きれいな水が欲しい、病気を治す医薬品が不足している。
そんなニュースを聞いて援助の申し出なのです。
しかし、状況が改善されるとそこで終わりになってしまいます。
本当の難民支援は、ここからです。
その国の人々の手によって、自分たちでこんな不幸な事が今後あってはいけないから、
こうしようという、将来にわたる国の運営が出来るようになるまでが大切です。
それには如何したら良いか?それを考えると、

どうやら教育のようです。
子供たちを教育して、この子達が、二度とこんな境遇にならないように、
それぞれが自覚して、国を盛り上げていく、
そんな教育が必要なのです。

ソマリア、カンボジア、エチオピア、アフガニスタンなど、
まだまだ沢山の国々が困難の中にいます。
日本に帰って、沢山の人に出会いましたが、
そんな国々の人から比べると、
日本人の平和ボケにがっかりしました。」と。

そこで疑問に思った。
人間は、幸せをどう感じているのであろうか?
水の無いところでは、一滴の水にありつくことが幸せであり、
水に恵まれているが、食料の無いところでは、
一杯のスープにありつくことが、幸せである。

子供が発熱して苦しんでいる母親にとって、
子供の熱が下がり、食欲が出てくる医療にありつくことが幸せである。
人は、自分の希望を満足させることが出来ると、幸せを感ずる。

勉強の出来ない人が出来るようになって、
泳げない人が泳げるようになって、
ピアノが弾けるようになって、
食事が出来るようになって、
お酒が飲めるようになって、
便秘が治って、逆に下痢が治って、

その一つで幸せを感じます。

これを読んでいる皆さんは、こんなことで幸せを感じますか?

感じる人もあれば、感じない人もいらっしゃるに違いない。
そうした日本人を見て、平和ボケの日本人にがっかりしたと言っています。

人それぞれに幸せの感じ方が違うと思われます。
ある一つが満足できて幸せを感ずる人、
すべてを満足できなければ幸せを感ずることが出来ない人もいるでしょう。
たった一つで幸せを感ずることが出来る人は、幸せな人です。
すべてを満足させなければ、幸せを感じない人は、欲張りで不幸せな人です。

毎日、何の変化も無く、平々凡々に暮らして幸せを感ずる人は幸せです。
明日の食事を心配しなければならぬ人と比べればはるかに幸せだからです。
僅かなことに感謝し、幸せを感じられる人になりたいものです。
そして、平和ボケの日本人と、いわれない日本人でありたい。

ボクはそう思う。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カミさんとボク 4 (結婚しよう!の巻)

2003年12月29日 20時08分00秒 | つれづれなるままに考えること
(結婚しよう!)

毎日のように遊び歩いていて、
遊ぶお金ほしさに、仕事も一生懸命していたボクに、
ある時、縁談がいくつか重なって来た。
見合いの話は、知らない女性と改めて交際し、
良し悪しを返事しなければならない。

世話をしてくれる人は、僕をよく知っているが、
相手のことは、表面的なこと以外、あまり知らないケースが多かった。
お断りする理由も探さねばならず、
また、相手から断られることもあるから、
自分も傷つくこともあるだろうし、相手も傷つくこともあろう。
そう思って全ての見合い話を断った。

そんな話を、以前書いた。
そして、自分の結婚相手として考えられる二人の女性を選んだ。
毎日の生活を予想して、あらゆる場面を捉えながら、
相手をよく観察して、今のカミさんを選んだ。
毎週日曜日に掃除洗濯に来てくれて、お礼に晩御飯を御馳走して、
「バイ、バイ」というお付き合いが半年ほど続いた。
ある時、彼女に用事があって、
彼女が掃除洗濯に来ることが出来ない日曜日が来た。
いつものことが、ある時突然なくなると、ずいぶん不安になるものである。
その用事が何であるか詳しく聞くのも失礼と聞いていなかったのが原因であった。
いろいろ想像する。
こんな時良くないことばかり考えるのが人間である。

もしかして、誰かとお見合いでもしていないだろうか、
他の男性とお付き合いを始めたのではないか、
第一毎週、掃除選択ばかりさせているから、
ボクと一緒にいるのが苦痛になったのでは?
ボクの気持ちが焦燥と不安に襲われ、いても立ってもいられない。
これが、惚れた、好きになった、いつも一緒にいたい、気持ちの表れだ。

夕方19:00頃、彼女の自宅へ電話した。
電話には母親が出て、本人は今いるが、
電話口に出られないから、あとで電話させる、といわれて電話を切った。
それから、一時間まって、やっと電話がかかってきた。
先ほどから、髪を洗っていたという。
そこでこれから一緒に出かけたいが、どうかと訊ねたら、
髪の毛が濡れたままで、髪の毛が結えないから、嫌だ、という。

断られるとますます、会いたくなる。
何のことはない冷静に考えれば、
ボクはいつの間にか彼女が好きになっていたことを知った。
後先を考える暇も無く、強引に彼女を連れ出し、
羽田空港までドライヴした。
空港は二人でよく訪ねた場所である。
誘導路に点滅する青や赤、黄色の誘導灯が縦横におりなす光が幻想的で美しく、
アナウンスが英語で、外国にいるような雰囲気が好きであった。
そのドライヴの間、結婚して一緒にいることになって、
お互いに、もし我慢できないと困るとがあってからでは遅いと、
聞きたいことと、話しておきたいことを、
会話の中に入れながら、車を運転した。
そしてどうやら、お互い我慢ができそうに思い、
彼女の家の前に戻った時、「あなたと結婚したい」と申し出た。
彼女は一瞬、ニコッとしたが、
どう返事してよいか解らなかったらしく、黙ってしまった。
22歳の若さもあり、結婚を考えていなかったかもしれないし、
急なことであったので、返事に窮したと思われる。
「今、返事くれなくても、後でもいいよ」といったら、
こっくり頷いて、彼女は家に帰った。
さよならも、またね、とも言わず。

翌日、会社で顔をあわせると、
「次の日曜日、家に遊びに来て欲しいと、母が言っています」とのこと。
「わかった」と言って別れた。

次の日曜日、彼女の家を訪ねた。
すき焼きの用意がしてあり、
ボクが酒飲みだと言うことが判っていたらしく、お酒を頂いた。
初対面の彼女のお母さんに挨拶をして、結婚したい旨話した。
一人娘ですが、嫁に出そうと思いますと、
お母さんが答えた。
養子を頂くようなことはありません。
その後は、ボクの生い立ちや、家族の事を話し、
彼女のことそしてその家族の事をあらまし聞いて、プロポーズは成功した。

事情は説明しなかったが、遊び歩いた借金の整理と結婚資金を貯めるのに、
少なくも二年は掛かると思い、
結婚式は二年後にしたいとこのとき申し出た。
二年後には、ボクは28歳、彼女は22歳、ちょうど良い。勝手に決めた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カミさんとボク 3 (369回の「愛しています!」)

2003年12月28日 17時27分00秒 | つれづれなるままに考えること
(369回の「愛しています!」)

先日、T大学病院の定期健診に行った。
毎月のことであるが、「どうですか?」と医師は聞く。
「特に異常はありませんでした」定例の挨拶はボク。
「今年は、喉にくる風邪、お腹にくる風邪が、流行っていますので、気をつけて!」
「有難うございます」とボク。
血圧を測り、血液検査結果を見て
「もう少し、運動を増やすか、食事に注意してカロリーを減らすか、頑張ってください」
首から腋の下を、
手探りで押さえてリンパ腺に異常がないか点検する。
上半身裸になって、お腹を押さえて内臓の異常をチェック、
股の付け根から太ももまで、
リンパ腺に異常が無いか手で触っていく。
それから、聴診器で、胸、お腹、背中と、何かを聴いている。
これも何時ものこと。
「来月、CT-スキャン撮りましょう。安心のために」
半年に一回ガンの再発が無いか、機械的にチェックする構えで、

退院後、もう二年が経過することになる。
「先生!告知を受けた日に、命は三年間あれば良い方、
と言ったのを覚えていますか?
もう、あと残り一年になりましたよ!」とボク。
「早いですね!摂生して、三年が五年になれば、
それだけ儲かったと思えば、好いでしょう。
その時期が来て、さらに五年十年と延びれば万歳ですね!」
医者は他人事だから気楽なもの。

本人はいつも三年を基準にしているのに。
特別な問題も無く検診を終わった。
今年のクリスマスの夜。
カミさんと夕食の時、
「きよしこの夜」の歌はどんな意味か知っている?と聞いてみた。

歌の「日本語訳の通りでしょ」

いえいえ、こうだと次ぎのように訳した。

♪清らかで、静かな夜。
いつものように、あなたを愛しています、と言って欲しい。
天国の雲のような、柔らかなベッドで、
生まれたままの赤ちゃんのすがたの、あなたを、
やさしく清らかに、愛しいつくしみ、
心安らかに静かに眠りにつくよう、
あなたを誘(いざな)いましょう♪

どのように意味を汲み取ろうと、
それは読者の勝手である。

ボクは、即興で自分の気持ちを伝えた。
詩とは全く関係ない勝手な翻訳である。
ただただ、あと369日の生命を思っての訳にした...

そして次のように提案した。
「これからは、お互いを呼ぶ時に、ファースト・ネームで呼ぶことにしよう!
そして一日に一回でいいから、
お互いに(あなたを愛しています!)をいうことにしよう!」
カミさんはこっくりと肯くだろう、と思った。
「今さら、そんなー」とカミさん。

命は、あと369日!
369回の愛の告白!話は途切れた。
さて、その後どうなったと思います?
皆さんのご想像にお任せしますが、ご意見が欲しいところです。

ロマンティストのHIDE-SANより
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カミさんとボク 2 (はじめまして!)

2003年12月27日 10時02分00秒 | つれづれなるままに考えること
(はじめまして!)

ボクの会社から下宿先までの通勤路は、
道玄坂を歩いて渋谷駅へ、
東急玉川線の路面電車(ちんちん電車:通称玉電)に乗って、
三軒茶屋経由、下高井戸方面へ行き、松蔭神社駅で降りて、徒歩数分。
今では電車も田園都市線などと言って、
しゃれた名前があり、地下を走っている。

電車でなければ、渋谷からバスで世田谷通りを下り、
世田谷一丁目で下車、歩いて数分であった。

ボクがカミさんと出逢ったのは、
会社から渋谷駅までの道玄坂を下る会社からの帰り道であった。
駅まで約十分ばかりの間に、
彼女が母一人娘一人の家庭であることを知った。
父親は戦争で無くなっている。
死んだかどうか不明のままらしい。

まだ18歳で目の大きな、世間知らずで素直な可愛い女の子という感じであった。
そのうち仕事のことで、
どうしても資料作りをしてもらう必要が出てきてきた。
まだ会社に入って間もないボクには、
仕事を依頼する権限も無く、
仕事の合間を縫っての資料作りを彼女にお願いした。

上司に内緒であったが、彼女は気持ちよく引き受けてくれた。

内容はこうだ。
ある商品が在庫日数を60日超すと、
販売利益が損(赤字)になるという原則に気がついたからである。
その証拠となる資料作りを彼女に依頼した。
60日を超えて販売された商品の全てと
その損益を洗い出す作業であった。根気の要る仕事であったが、
お陰で資料作成が出来、
この商品については、60日以内に利益を度外視して売り切るルールが出来た。

会社は、以後損を計上することなく、
売り上げをあげることが出来ることになったのは、いうまでも無い。
さらに、商品を分析して、商品の入荷から販売完了まで、
60日以上かかりそうな商品の特徴を見極め、
手早く販売に見切りをつけ、通常の50%の利益でも、
あるいは利益0円でも、入荷と同時に販売することにより、
更に利益確保(赤字より儲け無し)に、貢献することになった。
そして数年後には、業界全体にこの原則は取り入れられ、
業界全体に貢献することになった。

さて、話を戻そう。
結果としていろいろ接触する機会が増え、
休みの日曜日にも資料のことで話さなければならぬ事が出来て、
電話でやり取りもするようになった。
そんな時、たまには映画でも観ようかということになり、
さらに接近していった。

ある日曜日、彼女がボクの下宿先へ遊びに来るという。
ノーという理由も無く、彼女は遊びに来たが、
御存知の通り、男やもめに蛆が湧くほど汚い四畳半のアパートの部屋であった。
その頃のボクは、両親を亡くし、誰にも迷惑はかからぬと、
散々遊び歩いている最中であった。

ボクは26歳、彼女は20歳の時のことである。
この模様は以前書いた。
部屋の中は、布団は敷きっぱなし。埃が立つから、
ほこりの上に新聞紙を重ね重ねして一ヶ月経つと掃除をするという生活であった。

下着類、靴下もゆうに三十足は超えて、
着るもの、履くものがなくなると洗濯をするという生活であった。
彼女が遊びに来るというので、
とりあえず汚れ物は、押入れに突っ込んで、
曲がりなりにも部屋は掃除をしたが、
彼女は汚いといって、掃除を始めた。

四畳半であるから、掃除を始めると、一人で十分。もう一人は邪魔になる。
そこでボクは部屋の外で、隣の下宿人と世間話をして暇をつぶした。
その内、雑巾は何処にあるかと思い、彼女が部屋を探した。
探すところは、押入れしか他には探すところは無い。
押入れを開けたら、洗濯物が山ほど出てきた。
今度は洗濯をするという。
遊びに来たはずが、掃除洗濯になって一日が終わり、彼女は帰った。

これに懲りてもう来るなんて言わないだろうと思った。
次の日曜日、先週のお礼に昼食を御馳走することにした。
食事後、ボクの部屋へ掃除に来るという。
こんなことが、何週間も続いた。
そして、これが結婚する最初の出会いであった。
結婚後、この話をして、「ボクの部屋へ、よく来る気になったね」と話すと、
「お兄ちゃんの部屋を掃除する気分」であったそうだ。
なお、独身時代に持っていた、下着、靴下、パジャマ、布団のシーツなどは、
結婚後汚れ物として、すべて廃棄処分されていた。

ボクの知らぬ間に...


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!